在宅介護を続けた約8年間で、母の介護度は要介護1から3、そして5へと進んでいきました。中でも心身ともに限界を迎えたのが、まだ自分の足で動けた要介護3の時期です。繰り返す転倒と骨折、ろう便、深夜の徘徊、そして母に手を上げてしまった夜。泥沼のような日々の中で、私を踏みとどまらせてくれたものは何だったのかを綴ります。

1. 在宅介護で最も心が折れかけた「要介護3」という名の泥沼

最も心が折れかけた「要介護3」

在宅介護という名の終わりなきトンネルを走り続けた期間は8年くらいでしょうか。母の介護度は要介護1から3、そして最後には5へと進行していきました。その長い月日の中でも、私の心が最も激しくきしみ、精神的にも肉体的にも限界を迎えていたのは、間違いなく要介護3の時期でした。あの頃の記憶は、今振り返っても胸が締め付けられるほど苦しく、泥沼の中でもがいていたような感覚が鮮明によみがえります。

2. 転倒・ろう便・深夜徘徊:精神的限界を迎えた壮絶な介護トラブル

転倒・ろう便・深夜徘徊 介護トラブル

要介護3の時期の母は、まだ自分の足で動けたからこそ、私たちは常に「転倒」の恐怖に翻弄され続けました。一度や二度ではありません。家の中でも外でも、母は転倒を繰り返しました。ある日、目を離したほんの一瞬の隙に羽が生えたかのようにいきなり外へ飛び出していってしまいました。慌てて追いかけた私の目に飛び込んできたのは、道端の石につまずき、受け身も取れずに顔面から激しく地面に叩きつけられた母の姿でした。顔中から血を流す母の姿にパニックになりながら、慌てて病院へ連れて行ったときの恐怖は今も忘れられません。

そんな突発的な事故だけでなく、転倒は母の体を確実にむしばんでいきました。相次いで左右の大腿骨を骨折し、そのたびに入院を余儀なくされました。動けない痛みに苦しむ母を見る辛さと、退院した後にさらに介護度が重くなるのではないかという先行きへの不安。「今度はどこで転ぶのだろう」という目に見えない恐怖に四六時中監視されているようで、私の心は休まる暇がありませんでした。

それに追い打ちをかけるように、自宅での日常は壮絶を極めました。排せつ物を自らの手で触り、壁や床を汚してしまう「ろう便」。その光景を目の当たりにするたび、悲鳴を上げたい衝動を必死で抑え、雑巾を動かしました。ようやく訪れる夜にも、本当の休息はありません。深夜、静まり返った部屋で母がむくっと起き上がり、暗闇の中で玄関の鍵を「ガチャガチャ、ガチャガチャ」と鳴らすのです。廊下を徘徊する母の足音を焦燥感に駆られながら聞くたびに、私の神経は擦り切れていきました。家の中に染みついた加齢臭と排せつ臭は、どんなに消臭剤を置き、換気をしても完全に消えることはなく、まるでわが家の絶望そのものが可視化されているかのように私を苦しめました。

3. 限界からの脱出:認知症の母とクルーズ旅行で見つけた一筋の光

限界からの脱出 認知症の母との旅行

たまの息抜きで家族で外出するときでさえ、母を一人で留守番させるわけにはいかず、常に同行させなければなりませんでした。しかし、外の空気を吸っても心は休まりません。ある日、立ち寄ったレストランでの外食中、私の張り詰めていた糸がプツリと切れ、つい「頭おかしい」という言葉を母に向けてしまいました。その瞬間、母の怒りの導火線に火が付いたのです。母は一般のお客さんが大勢いる店内で急に立ち上がり、激しい剣幕で私に怒りの反撃をしてきました。周囲から冷ややかな、あるいは好奇の視線が向けられます。狂乱する母を必死でなだめているとき、情けなさと、恥ずかしさと、どうしようもない悲しさが一気に押し寄せてきました。車に戻ったとき、もう何もかも投げ出して、どこか遠くへ逃げてしまいたいと本気で思いました。

そんな限界寸前の日々の中、「骨折を乗り越え、母がまだかろうじて歩けるうちに日常から抜け出したい」という一心で、私は一つの大きな決断を下しました。認知症の母を連れ、外国船クルーズ旅行へ行くことにしたのです。「もし何かあっても、所詮は船の中。飛び降りでもしない限り、迷子になっても逃げ場はない」——自分にそう言い聞かせ、半分は割り切りでの出発でした。

しかし、その決断は私たち親子に奇跡のような時間をくれました。今でも鮮明に、愛おしく思い出すのは、見渡す限り水平線しか見えない船内にある美容室での出来事です。日常の介護から完全に切り離されたその空間で、私たちは親子そろって並んで髪を切ってもらいました。鏡の中には、長い間ずっと見ることができなかった、母の本当に久しぶりの心からの笑顔があったのです。ただ髪を切るという普通のことが、これほど愛おしく、贅沢に感じられるなんて。それは暗闇の中で見つけた、一筋の眩しい光のような、束の間の喜びでした。

4. 介護虐待の寸前で:私を救い、踏みとどまらせてくれたプロの存在

介護虐待の寸前 プロの存在

とはいえ、夢のような旅から現実の自宅に戻れば、容赦のない日常が再び牙をむきます。何より辛かったのは、母にそもそも「自分は介護されている」という意識が一切ないことでした。お世話をされているという意識がない母と、どうしても「これだけやってあげているのに」と思ってしまう私。二人の感情は、自宅という狭い檻の中で激しくぶつかり合いました。

そしてある日の夜、何度も繰り返される転倒への不安や、日々の容赦ない介護疲労がピークに達し、激しい言い争いになった瞬間、私は理性を失い母に向かって思わず手を上げてしまったのです。

そんな私をそれ以上の虐待の手前で踏みとどまらせてくれたのは「私が正社員として働き続け、平日の日中に母と物理的な距離を置けたこと」でした。そして何より、私が仕事で家を空けている間、母の命と尊厳を守り、わが家を支え続けてくれた小規模多機能型居宅介護のスタッフの方々の存在です。

もし、あの平日の日中に家から離れる時間がなければ、そしてあの温かい支援のプロたちの存在がなければ、私は間違いなく心が完全に壊れ、母とともに共倒れしていました。あの事業者の方々に対しては、私、そして家族の命を救ってくれたのだという、言葉では到底言い尽くせないほどの深い、深い感謝の念を今も抱き続けています。


写真:PIXTA



この記事の提供元
Author Image

著者:渋澤和世(しぶさわ・かずよ)

在宅介護エキスパート協会代表
会社員として働きながら親の介護を10年以上経験し、社会福祉士、精神保健福祉士、宅地建物取引士、ファイナンシャルプランナーなどの資格を取得。自治体の介護サービス相談員も務め、多くのメディアで執筆。著書『親が倒れたら、まず読む本 入院・介護・認知症…』(プレジデント社)、監修『親と私の老後とお金完全読本』(宝島社)などがある。
https://peraichi.com/landing_pages/view/zaitaku-expert/

この著者のこれまでの記事

呼び寄せ~同居介護の現実と限界──母との生活の始まりと衝突を避ける工夫と対策【介護体験記②】

2026年10月12日

遠距離介護と老老介護の限界──シルバーカーの転倒から「チーム介護」へ 【介護体験記①】

2026年10月5日

関連記事

呼び寄せ~同居介護の現実と限界──母との生活の始まりと衝突を避ける工夫と対策【介護体験記②】

2026年10月12日

着やすくておしゃれ! ケアする側、される側に優しい「粋楽陽(きらび)×健康の森」新発売!

2024年3月27日

Temp C item

MySCUEで できること 使い方

Temp C item

記事一覧 記事

Temp C item

相談・質問

Temp C item

SCUER ブログ ブログ

Temp C item

コミュニティ

お買い物

お買い物

Cancel Pop

会員登録はお済みですか?

新規登録(無料) をする