これは、50代の息子(著者・久保研二〈ケンジ〉)と80代の父親(久保治司〈ハルシ〉)が交わした日々の断片の記録です。数年前、息子は関西に住む父親を引き取って、2人で田舎暮らしを始めました。舞台は、山口県の萩市と山口市のほぼ真ん中に位置する山間部・佐々並(ささなみ)にある築100年の古民家です。ここで、歌や曲や文章を書くことを生業(なりわい)とするバツイチの息子と、アルツハイマー型認知症を患っているバツイチの父親が、関西人独特の「ボケ」と「ツッコミ」を繰り返しながら、ドタバタの介護の日々を送っています。
MySCUE(マイスキュー)に連載中の「漫才介護」について、珍しく著者自ら、ちょっと真面目に考えてみることにしました。
一般的にお笑いや漫才の文脈では、人工的(意図的)に作り込まれた「ボケ」を完璧に演じ切る技術が高く評価されます。けれども、その「加工品であるボケ」よりも、はるかに上級な「天然もののボケ」が持つ、人工物では到底到達できない圧倒的な価値に注目することが、現代社会においての新たな視点……発明ではないだろうかと気付いたのです。
たとえば風邪薬のような既存の薬の未知の副作用(副反応)を見出し、睡眠導入剤のような別の効能とし利用するような、特許法上で一般に「用途発明」、医薬分野では「用途特許(効能・効果に関する特許)」と呼ばれるものと構造が酷似しているように思えます。
通常私たちの社会において認知症のお年寄りは、「記憶や理性が失われていく状態」「生産性や社会的役割の消失」といった減点法で、どんどん無価値化されていきます。
そこで、私たちの頭を切り替えて、認知症の症状を「加工されていない純粋な真実」として捉え直す時、そこには現代社会が失いつつある新たな価値観が見えて来ます。
お笑い芸人(必ずしも面白いとは限らない)が、ステージで繰り出す「ボケ」は、どれほど精巧であっても「狙って作られたフィクション(人工・加工品)」でしかありません。そこには「笑わせよう」という計算や、常識の枠組みを前提とした意図が存在し、それがある種の嫌らしさを漂わせる場合もあります。やっぱり養殖よりも天然物の鯛やハマチの方を有り難く感じるのは人情でしょう。
認知症の人間の悲劇たる喜劇には、不純物が一切ない、「純度100%の真実」があります。
喜劇王、チャップリンは、かつてこう明言しています。
"Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot."
訳せば、「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇である」となります。真実を言い得た、見事な洞察力としか言いようがありません。ここから学ぶことは決して少なくはありません。
予測不可能な創造性、常識やロジック、固定観念という「社会の重力」から完全に解き放たれた言葉や行動は、プロの脚本家やコメディアンがどれほど知恵を絞っても絶対に生み出せない「超・現実」なのです。
まさに唯一無二、その瞬間にしか立ち現れない思考の跳躍や独自の文脈は、添加物にまみれた加工品があふれる現代において、極めて希少価値の高い「一期一会の表現」と言えるのではないでしょうか。
思えば私たちが生きる現代社会は、「正解」「効率」「論理」「生産性」を極限まで求めたがります。その枠組みから外れたものはすぐにマイノリティに分類され、「無価値」のレッテルを貼られがちです。まるで消費期限切れの哀れな商品のように。
ところが、高齢化社会における認知症という状態が提示する狂気や非合理さは、社会の息苦しい合理主義に対する強力な批評であり、脱出口になり得ます。
たとえば、「時間は時計が示す通りに進まねばならない」「物は本来の用途でしか使ってはいけない」という一見当たり前の考えは、そもそも人間が自分たちの都合で作った勝手なルールです。認知症になった老人は、それらをいとも軽やかに、ホイホイと踏み越えていくのですから。
人類が発明した最大の宝物の一つが、「人権」であり、また「生」の根本的な肯定を是とするならば、社会的役割や肩書、生産性をすべて削ぎ落としたあとに残る、ただそこにいて独自の感覚で世界を生きているという姿は、もはや私には、存在そのものの根源的な尊厳や面白さを私たちに突きつけているようにしか思えないのです。そうです。人は生きているだけで美しいのです。
本シリーズ「漫才介護」を読んでいただければ明らかなように、認知症の人間(ハルシ)が生み出す予測不能で刺激的な日常は決して不幸や損失、悪夢の記録ではなく、かけがえのない上質なドラマであり思い出であり、効率と正解に縛られた私たちが忘れてしまった「自由な発想」「生の生々しさ」「人間の愛おしい不条理さ」を届けてくれる極めて贅沢で希少なプレゼントです。同時に、この世に生を得た1人の人間の、人間としての貴重な自己表現なのです。
ハルシを例にとっても、決して老巧洒脱(ろうこうしゃだつ)とまではいかないにせよ、「枯淡の趣」にあふれていることは疑う余地がありません。
私たちの社会が認知症のお年寄りに対し、手がかかる厄介な存在だととらえず、むしろ心の底から愛おしむまなざしを持つこと。それこそが、より人間的で豊穣な文化のあり方と言えるのではないでしょうか。私は心からそう思うのです。
写真(トップ):PIXTA
この著者のこれまでの記事
・認知症の父が覚醒!?「阪神電車の各駅停車を抜かすな」の巻|父と息子の漫才介護⑳
・親の字の教えと生前戒名? 認知症の父と古民家で笑う|父と息子の漫才介護⑲
・デイサービスの人気者、ハルシ! 職員を救った神対応と禁断のオムツ論争|父と息子の漫才介護⑱
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著者:久保研二
久保研二(くぼ・けんじ)
作家(作詞・作曲・小説・エッセイ・評論)、音楽プロデューサー、ラジオパーソナリティ
1960年、兵庫県尼崎市生まれ。関西学院中学部・高等部卒。サブカルチャー系大型リサイクルショップの草創期の中核を担う。2007年より山口県に移住、豊かな自然の中で父親の介護をしつつ作家業に専念。地元テレビ局の歌番組『山口でうまれた歌』に100曲近い楽曲を提供。また、ノンジャンルの幅広い知識と経験をダミ声の関西弁で語るそのキャラクターから、ラジオパーソナリティや講演などでも活躍中。2022年、CD『ギターで歌う童謡唱歌』を監修。
プロフィール・本文イラスト:落合さとこ
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