同居する気はなく、いつかは施設にと考えていた矢先の、父の急死。病室で交わした最期の約束から、母との同居生活が突然始まりました。多感な時期の子どもたち、受け入れてくれた夫への罪悪感、そして仕事で家を空ける平日に起きる数々の「事件」。正解のない日々の中で、怒ることをやめ、母の行動を先回りして対応する工夫にたどり着くまでの記録です。

あまりにも突然の父の急死と別れの中、病室で旅立つ直前の父と交わした「母のことは私に任せて」という最期の約束。それが、それまで考えてもみなかった母との同居生活の幕開けとなりました。もともと同居する気はなく、いつかは施設に入ってもらうものだという現実的なプランを描いており、心構えもないまま介護生活が始まってしまいました。しかも、家庭内には中学・高校という多感な時期を迎えた二人の子どもたちがいました。ただでさえ自身の進路や人間関係に悩み、繊細で揺れ動く年頃です。そこにいきなり、介護が必要な祖母が日常の空間に加わる。子どもたちにとって、それは自分の居場所や親の関心を奪われかねない、戸惑いに満ちた変化だったはずです。
そして何より、私の独断とも言える約束から始まったこの同居で、夫にとって心休まる場所であったはずの自宅を巻き込んでしまったことに、深い罪悪感が付きまといました。仕事から疲れて帰ってきても、妻の母親がいる空間では心からリラックスなどできないのではないか。それなのに不満も言わず受け入れてくれている夫に対し、申し訳なさと感謝、そして甘えの混ざった複雑な感情が胸を締め付けました。
親としてはわが子の心に寄り添いたい気持ち、子としては最期の約束を果たして母を守りたい責任感、そして夫への強い罪悪感という、さまざまな感情との葛藤の中で、家庭内の張り詰めた空気に胸を痛めないはずがありません。「これでよかったのだろうか」という自問自答と、家族への申し訳なさ、そして母の前では気丈でいなければならないプレッシャー。この同居の始まりは、家族それぞれの人生が交錯し、見えない葛藤と静かな痛みを伴う選択の瞬間だったのです。

同居生活が始まると、要介護1という状態のリアルな壁が、次々と「事件」となって私たちの日常に襲いかかってきました。当時、私は正社員として働いていたため、平日の日中は家を空けなければなりません。小規模多機能型居宅介護の事業者と契約を結んで週3日は通いで母を見てもらっていましたが、残りの平日2日は、母が一人で家で留守番をする時間でした。この「目が届かない時間」こそが、予測不可能な事態の温床となっていったのです。
ある時は、飼い犬に人が食べるパンを袋ごとすべて与えてしまったり、またある時は仏壇にお供えしたばかりのお菓子を勝手に食べてしまったり。仕事から疲れて帰宅した私は、その光景を見るたびに余裕を失い、「犬にこんなものをあげちゃダメでしょ!」「これは仏様のものだから食べちゃダメ!」と、抑えきれない感情のままに大声を上げてしまいました。しかし、怒ったところで母の行動が改善するわけではなく、激しい自己嫌悪と虚しさが残るだけ。そんな風に怒り散らし、感情をすり減らす自分自身に、私はほとほと疲れ果てていました。
「怒って疲れるくらいなら、こちらの考え方を変えよう」
そう思い至ってからは、発想を切り替える工夫を始めました。仏壇のものを食べてしまうのなら、最初からそこへ、母にお昼に食べてほしいおにぎりや、好きなお菓子を「お供え」として置いておくことにしたのです。母の行動を禁止するのではなく、行動を先回りをして安全な受け皿を作る。この意識改革が、私の心を少しだけ軽くしてくれました。
しかし、摩訶不思議な事件はそれだけにとどまりません。ある日、きれいに洗濯して畳んでおいた衣類に、なぜか大便が付着しているのを見つけたときは、目の前が暗くなるほどのショックを受けました。なぜこんな場所に。どうしてこんなことが起きるのか。理由のわからない衛生面での事件が頻発する日々は、精神的にもこたえるものがありました。

それでも、私がいちばん恐れていたのは「火事」と「徘徊」という、命に直結するリスクです。こればかりは対策を怠るわけにはいきません。毎朝の出勤前には必ずガスの元栓を閉め、仏壇の線香やライターはすべて母の目が届かない場所へ移動させました。さらに、万が一の外に出て徘徊するのを防ぐため、玄関の鍵を中からは開けられない仕様にしただけでなく、窓にも補助キーを追加で取り付けるなど、家中の安全対策に文字通り翻弄される日々が続きました。
仕事と介護の狭間で、事件が起きるたびに知恵を絞り、環境と自分の心をチューニングしていく。それは、きれい事では決して片付かない、手探りで同居介護を生き抜くためのリアルな闘いそのものでした。

日中の留守番時間に母に役割を持ってもらう工夫として、何より効果的だったのが「洗濯物を畳む仕事」をしてもらったことでした。実は認知症になる前の母は、洗濯物を畳むことが大の得意作業だったのです。私は仕事に出かける前、あえて乾いた洗濯物を多めにリビングの床やソファにバラまくようにして置いていくことにしました。ただ置いていくのではなく、「お母さん、私が仕事に行っている間にこれを畳んでおいてもらえると、本当に助かるからお願いね」と声をかけ、頼りにしていることをしっかりと伝えて出勤するのです。
平日の日中、一人きりの静かな家の中で、母は体が覚えていたかつて得意だった作業に没頭していました。夕方、私が仕事から疲れて帰宅すると、あちこちに散らかっていたはずの洗濯物が、驚くほどきれいに四角く畳まれて、静かに積み上がっていました。この取り組みは、母から「日中の退屈」を奪い、指先を動かすことで認知機能の安定にもつながりました。何より「娘の役に立てている」という実感が、母の自尊心を満たし、穏やかな表情を取り戻させてくれたのです。
ただ守られるだけの存在にするのではなく、本人の輝いていた頃の得意分野を生かして家庭内での役割を作る。それは、私が留守にしている時間も母の心に寄り添い、お互いの絆を温かくつなぎ直してくれる、最も優しい解決策となりました。
写真:PIXTA
著者:渋澤和世(しぶさわ・かずよ)
在宅介護エキスパート協会代表
会社員として働きながら親の介護を10年以上経験し、社会福祉士、精神保健福祉士、宅地建物取引士、ファイナンシャルプランナーなどの資格を取得。自治体の介護サービス相談員も務め、多くのメディアで執筆。著書『親が倒れたら、まず読む本 入院・介護・認知症…』(プレジデント社)、監修『親と私の老後とお金完全読本』(宝島社)などがある。
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