その距離感が難しい“娘による実母の介護”について考える連載。今回は、大学進学を機に地方の実家を出たことで物理的にも、心理的にも距離が出来たことでうまくいっていた母娘関係が、介護をきっかけに崩れてしまったとき「自分はどうなってしまうのか…」と将来に不安を感じている娘の声です。
一人っ子のC子さんは、母親の良き相談相手でした。ただ、相談相手だと思っていたのは母親だけです。C子さんは母親の口から発せられる、義理の実家の、父親の、仕事の他愛もないものを含めたグチを物心ついたころから一人で受け止め続けてきました。一方でC子さんの側が教師だった母親に相談をしても説教になってしまい、話を聞いてもらえません。その結果、C子さんは母親はもちろん、誰に対しても自分の気持ちを打ち明けることが苦手になり、人に頼ることが難しい性格になってしまいました。
C子さんは自分と母親の関係性がとても近かったと振り返ります。それは母親も一人っ子で、複雑な家庭環境で育ったためか、周りに心を開くことが得意ではなかったということが原因かもしれません。さらに母親は学級委員を歴任するような優等生タイプでプライドが高く、心を許せる友人はあまりいなかったようです。そのため、一緒に買い物に行ったり旅行に行ったりと母娘で仲良く過ごす時間もあり、愛情も感じていたといいます。しかし、母親は娘のC子さんに子ども以上の役割を求めていたのでしょう。母親の孤独をわかりはするものの、このまま母親の近くにいることに不安を感じたそうです。さらに、両親ともに教師という家庭環境は「いい子」を強いられているようで苦しく、C子さんは大学進学を機に実家を出ました。ただ、母親は地元に戻ってきてくれることを強く望み、その思いをC子さんはまるで「足かせ」のように感じていたそうです。
C子さんは母親から離れて暮らすことで、息苦しかった実家での暮らしのしんどさに気付き、実家は自分の居場所ではないという思いが強まりました。そのため、C子さんは何があっても実家には戻らない、と心に決めます。
そんなC子さんの思いを知らない母親は、C子さんが帰省するたびに喫茶店に連れていき、女子トークという名目の母親の“相談”を聞かされ続けました。さらに、話題は自分のもとを離れたC子さんの生き方についてのダメ出しへと続くのです。
母親からのダメ出しに反発しようとしても、親の願いを汲んだ「いい子」を払拭できず、心のどこかでは期待に応えたい自分もいたというC子さん。30歳を過ぎると母親からの結婚へのプレッシャーがひどくなったといいます。元教師の母親にとっては、親元を離れてまで派遣や契約社員で働くC子さんを理解できず、「大した仕事でもないなら、ブラブラしていないで早く地元へ戻って、結婚して子どもを持ちなさい」と連日の電話攻撃が。当時のC子さんは仕事も恋愛もうまくいかない時期だったこともあり、女性としても人としても否定されているようで気持ちがボロボロになってしまったといいます。
はからずも、地元には戻りはしなかったものの、母親の望みをなかば叶えるかのように結婚をして、子どもを授かったC子さんは高齢出産の初産という心細さから里帰り出産をすることにしました。ところが、産後の心身ともに不安定な時期にも母親は相変わらずグチを言ってきたり、子育てに関する理想を押し付けてきます。C子さんは気が付くと涙が止まらなくなったり、眠れなくなるなどの症状が表れ、産後うつ状態になってしまいました。その後自宅に戻ると、自身の身体と乳児の世話が大変でも、体調は戻っていったそうです。
そんな一件があったにもかかわらず、母親は「二人目はどうするの?」と言ってきていました。数年後にC子さんは第二子を妊娠します。つわりがひどく、上の子どもの世話もあるため、初めて、自分から「助けて欲しい」と母親に懇願するも、「自分はもう高齢だから、頼らないでほしい」と断られたといいます。このとき、それまで母親に対して我慢してきた何かが“ブチッ”と切れたのがわかったそうです。そして、それまでは対応していた母親からの電話に対しても距離を取るようになったのです。娘の変化に気付いても母親は「なぜ、娘がそんな態度を取っているのか」がわからず、娘に対して腫れものに触るような態度を取るようになってしまいました。
ちょうどコロナ禍も重なり、母親とはこれまでにも増して物理的にも、心理的にも距離を取れていたC子さん。しかし、子どもたちのリクエストにより先日、久々に帰省をした際、約3年ぶりに会った両親の老いを強く感じたそうです。70代後半の両親に対して「介護がすぐそこまでやってきている」と強い危機感を持ったそうです。そして、実家に引き戻される、自らも家庭を持ちやっと外れたと思った「足かせ」をまたはめられるような恐怖を感じたといいます。できることならば、これまでに自分が築いてきた、心身ともに健やかでいられる母親との今の距離感を保ちたい。「でも、介護となるとそうはいかなくなるのでは…」と大きな不安に襲われたのです。さらに、ダブルケア(介護と育児の同時進行などいくつかのケアが重なること)になることは確実です。久々の帰省で、将来が不安でたまらなくなってしまいました。
そんな悩みを抱えているC子さんと岡崎が語り合いました。親の介護が始まって、C子さんが倒れてしまうという一番の悲劇は避けなければいけません。なぜならば、両親も、子どもたちも、C子さんが元気でいないとサポートできないからです。今後、母親(父親)に介護が必要になったとしても、自分が健全でいられる距離感を死守するべきというのが岡崎の考えです。
もしかしたら、母親から泣きながら「助けて!」という電話があるかもしれません。あるいは、周りから「お母さんを助けてあげたら」という声が上がるかもしれません。でも、それらに振り回されて自身を客観視できなくなってはいけません。厳しい言い方かもしれませんが、いろいろ言う人がいても誰もC子さんの代役はしてくれません。
私も要介護になった母親との同居を考えたこともありました。でも、数時間だけでも衝突が絶えない母娘が一緒に住んだらお互いに疲弊するだけ。身体的にはきついこともありましたが、私は通いの介護を選択しました。そのために徹底的に自分の協力者を作りました。非常に信頼できるケアマネジャーだったので、彼女に包み隠さず、母娘関係も含めて相談をして、できる限り、私が元気でいることができる道を探りました。両親の介護を一人で行うことは難しいため、父の在宅介護を施設介護に切り替えること、育児・仕事との両立をするためにも母には訪問ヘルパーやデイサービスを利用してもらうことを検討しました。
将来に不安を抱えているC子さんが今できることは、次に実家へ帰省したとき(帰省しなくても、自宅から電話で)親の住む地域を担当する「地域包括支援センター」を調べておいくこと。そこで資料をもらい、親の住む地域ではどんな福祉サービスがあるかを把握しておいてほしい。時間があれば地域包括支援センターの職員に現状を相談しておくのもいいでしょう。いざ、介護が必要になったときに「あのサービスが使えるかも!」と心の支えができるのではないでしょうか(私は母のときに、自宅に訪問してくれた地域包括支援センターの職員にもあれこれと聞きまくり、デイサービスのことなど有益な情報を得ました)。
また、C子さんは介護保険による介護サービスを利用するための申請は家族がするものだと思っていたようですが、それも「申請代行」のサービスを活用すれば、わざわざ実家にいかずとも、最初から最後まで家族が関わる必要はなくなります。
C子さんには、幸か不幸か⁉ 彼女が現在暮らしている地域と実家には、どこでもドアがない限りは物理的な距離があります。それをプラスに捉えて、恐怖すら感じるという母親との諸々の距離感が縮まりそうになったら「私には埋められない物理的な距離がある」と心で唱えてください。第三者(介護のプロなど)を見つけて彼らに協力してもらいながら、“心理的”な距離感も近くならない介護体制を作ることが大切だと、岡崎が介護の先輩として伝えさせてもらいました(あくまで岡崎の意見です。なんだか、偉そうでスミマセン)。
「遠方に年老いた両親を残して自分らしい人生を」なんて言うことは自分勝手でわがままなのではとつい思ってしまい、「いい子」の呪縛からなかなか抜け出せないというC子さん。「いい子は卒業して、親にどう思われるかではなく、自分主体の人生を大切にしながら介護を考えたいと思う」と、最初は不安そうにしていたC子さんの表情が、話が終わるころには明るくなっていたことが印象的でした。
※前回の記事:娘はつらいよ!?①|実の母親を介護するということ
著者:岡崎 杏里
大学卒業後、編集プロダクション、出版社に勤務。23歳のときに若年性認知症になった父親の介護と、その3年後に卵巣がんになった母親の看病をひとり娘として背負うことに。宣伝会議主催の「編集・ライター講座」の卒業制作(父親の介護に関わる人々へのインタビューなど)が優秀賞を受賞。『笑う介護。』の出版を機に、2007年より介護ライター&介護エッセイストとして、介護に関する記事やエッセイの執筆などを行っている。著書に『みんなの認知症』(ともに、成美堂出版)、『わんこも介護』(朝日新聞出版)などがある。2013年に長男を出産し、ダブルケアラー(介護と育児など複数のケアをする人)となった。訪問介護員2級養成研修課程修了(ホームヘルパー2級)
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