1. 日常生活に加わった、介護という初めての課題
私が介護を経験したのは、今から20年以上前のことです。もともと持病があった母の病状が悪化し、1人で生活するのが困難に。そこで私と妹が一緒に、日々のお世話をすることになりました。私自身は30代の前半で、まだ子どもも小さいという時です。
それからは、子どもの学校がない週末や祝日に、両親と祖母が暮らす家へ向かうのが普通になりました。私たちの主な役割は、食事の世話と通院でした。当初の母は、家の中くらいならば自ら歩くことができて、トイレや入浴はサポートをしてあげれば自力でなんとかこなせるという状態でした。
医者の先生には、最初からはっきりと「もう元のような体には戻らない」と告げられていました。だから、「これは怪我が治っていくのとは違う。母は日を追うごとに動けなくなっていくんだ」と私も妹も理解していたんです。それでも、まず何よりもショックが大きかったですし、お世話をするにも何をどうしていいのかわからない……という戸惑いも。それと同時に、「こんなに早く、介護をすることになるとは」と圧倒されたことも覚えています。
2. 体力的にも精神的にも、負担をやわらげる“支え”が必要
ご飯を用意して食べさせ、おむつを取り替えるなど下の世話をし、着替えをし……という作業の繰り返しで、一日はあっという間に過ぎていきます。当時はまだ介護保険というものができたばかりの時代。サポートの充実度や家族の介護に対する理解度においても今とはかなり状況が違っていたと思います。
私たちは、行政が用意しているヘルパー訪問や各種サービスを利用したり、介護ベッドのような特別な設備を揃えたりすることはなく、使っている布団も母がそれまで使っていた一般的なものという具合でした。そのため、寝ている母の体に床ずれができないように寝返りを打たせたり、入浴などのために抱え上げて、立ち上がらせるだけでもひと苦労。私たちがいくら30代だったとはいえ、腰などへの負担も大きかったですし、母自身もきっと辛かっただろうと思います。
とにかく母が少しでも明るく気持ちよく暮らせたらと考えて、「痛いところはある?」「食べたいものはある?」と尋ねたり、喜ぶ顔を見たくて、新しいパジャマや好物の差し入れを持っていくことも。また、気持ちをやわらげるために好きなクラシック音楽を流してあげたりしていました。本人が喜ぶことが、私たちにとってもいちばんの喜びだったんですね。
私の場合は、介護する相手が自分自身の母親。だから、変に気を遣うということはなく、元気な頃と変わらないくらい口げんかもしていましたね。ただその分、辛そうな様子を見るのが辛い。徐々に母が衰弱して自由がなくなっていく様子を前に、精神的に追い込まれそうになることもありました。そんな時は、妹と話をすることで救われました。孤独な作業ではなく2人で協力してお世話していたので、気持ちをなんとか保つことができたように思います。
3. 先の見えない日々のために、すぐにできることは……。
当時を振り返って実感するのは、介護はいつ終わるのかわからないものだということ。そして、自分が張り切って頑張ろうと思えば思うほど、倒れてしまいそうになるということ。今でも、介護に家族だけで取り組もうとなさる方が多いと聞きますが、まずは住んでいるところの行政の力を頼ることが重要なのではないかと思います。
介護生活が始まるとわかったらすぐに役所に行き、どんなサービスを受けることができるのかを確認する。ヘルパーさんの派遣や介護用品の貸し出しはもちろん、家の中に手すりを設置するような工事の補助が出る場合もあるそうです。そういったものを可能な限り手配するのが先決。また本人がまだ動けるのならば、週に1度でもデイサービスを利用するなどして、お互いが離れる時間を作るのも有効だと考えています。
私たちは今、高齢になった父の介護に向き合う時期にきています。今回はすぐにできる限りの設備をレンタルして、ヘルパーさんにも来てもらえるように手配しました。外部のサービスに頼らないで家族の中で抱えてしまうと、どうしても行き詰まる時期がやってくる。とにかくその状態を作らないことが大事だと思うんです。こうしたことは、母の時の経験があったからこそ。あの日々を振り返りながら、次の介護生活の準備をしているところです。