1. 当事者と当事者を、そして社会とをつなぐネットワークとして
「認知症の人と家族の会」(以下、「家族の会」)は、1980年1月に京都府で誕生した公益社団法人です。“認知症になっても安心して暮らせる社会をつくる”という理念のもと、全国47都道府県に支部を置いています。
ピアサポート活動に力を入れており、各支部では認知症と向き合う人々の交流をはかる「つどい」を開催。このほか、会報の発行や電話での相談受付も行っています。会員制を採ってはいますが、つどいへの参加やフリーダイヤルの電話相談は、誰でもアクセスが可能だそう。鎌田さんは、「認知症のご本人とご家族が同じような立場の方々とつながるということを、いちばんに重視しているんです」と教えてくださいました。
「今は認知症に関する情報へのアクセスが容易になり、ケアマネージャーのサポートもあるという社会になりました。しかし、この会ができた頃から変わらないことがあるんです。それはご本人やご家族が、認知症という事実を受け入れることの辛さや大変さです。だからこそ、同じ思いをしてきた認知症の人や家族が、今、悩んでいる人の声や気持ちを聞いてもらえることや一緒に悩む人がいることが、とても重要だと考えています。目の前にある状況は変わらなくても、受けとめてもらえるだけ、わかってもらえることで心が軽くなる。前を向こうという気持ちになれるんですね」
認知症に向き合う人と人を、さらには社会とをつなぐ架け橋になる「家族の会」。会員数は現在、9700名。その中には、認知症に日々向き合う方々はもちろん、医療や介護に携わる人々もいるそうです。また、国や自治体に対して要望書を提出するなど、より住みよい社会をつくる活動にも積極的に行っています。
2. 認知症のことを、どこまで知っていますか?
認知症は脳の病だということは、すでに広く知られています。でも、認知症の実際の症状や、当事者の生活については、まだあまり理解されていない部分も多いと、鎌田さんは言います。
「まず、症状は記憶障害だけではありません。怒りっぽくなったり、意欲がなくなったり変化があったり、身だしなみに無頓着になったりと、実はさまざまなんですね。そして、多くの方が『認知症になってしまったら何もできなくなってしまう』という理解をしている方が多いです。認知症での生活の支障は一部分で専門職のアドバイスや自分で携帯電話のアプリ機能を使うなどの工夫をし、自身のペースで日常生活を送っている方々がたくさんいるんです」
こうした誤解は、いつしか差別や偏見につながると言います。
「周囲から“何もできない人”という目で見られることは、当事者にとってすごく辛いことなんです。なので、これを恐れて引きこもりがちになったり、家族がかばって外に出さないということが起きたり。また、過保護に接することも当事者には悩みの種。“かわいそうな人”とか“支えが必要な人”と見られる視線に、苦しんでいる人は多いんです」
3. 「いつまでも“私らしくいるために”」。今、社会が変わるとき
そうなんです、認知症は深刻なイメージが定着しているわりに、一般にはその実像があまり知られていないのが現状。しかし、認知症はいつか誰もが当事者もしくは介護者になりうる病とも言えます。いつまでも自分らしく、特別な存在とみられることなく人生を歩むことができる社会であるために、今何が必要なのでしょうか。
今年は6月に、認知症基本法案が国会成立しました。これは、認知症の人が尊厳を保ちながら生きることができる社会の実現を目指して制定されました。また8月には、初期アルツハイマー病の治療薬「レカネマブ」が、日本でも承認されました。今まさに、認知症を取り巻く状況は大きく変化しています。
「家族の会」の
ホームページなどのサイトには、こうした最新ニュースはもちろん、認知症に関する情報が盛りだくさん。まずは便利なデータベースとしてチェックするのもおすすめです。最後に、鎌田さんのこんな言葉が印象的でした。
「当事者たちがつながることで、声は社会に届きやすくなります。当事者の声で、社会を変えるんです」
4. 取材を終えて…
世の中の環境や制度は良くなってきていても、一人ひとりが心理的に孤立してしまうことが、介護の周辺ではよくあるのではないでしょうか。介護に関する取材を続ける中で、認知症の手強さを痛感する時があります。しかし、“認知症とともに生きる”という観点で私たちの暮らす社会を見つめていけば、どうでしょうか?
筆者はまだ認知症と関わりを持つことなく生活しています(当事者でなく、症状を抱える人も身近にいません)。そういう立場から今回もお話を伺ったのですが、鎌田さんのお話を伺う間に、こんなふうに考えるようになりました。「自分も、この会に参加してみようか?」と。
認知症に直面する方々はもちろん、誰もが参加できるというのが、この「家族の会」の魅力のひとつだと感じました。当事者周辺のみならず、社会全体の理解が深まることが、何らかの形で力になっていくように感じました。誰もがなりうる病だからこそ、一緒に考える・備える姿勢でありたい。そんな思いが強くなりました。