いつかくる介護生活に向けて今からできることって? どうすればお互いに笑顔で過ごせる? 後期高齢者となった両親と同居する、50代の独身フリーランス女子によるプレ介護な日常のあれこれを、5回にわたって綴ります。

1. 薄い人間関係、上等! 心地よく地元コミュニティに交じる

自宅から歩いて30秒というのに、ついつい立ち寄ってしまうバーがある。いいことがあったときも、悪いことがあったときも、私はそのドアを無視できない。自宅に入る前に、一度リセットしたい気持ちになる。職場と家庭をしっかり区別したい世のお父さんの心境も、そんな感覚なのだろうか。私も仕事のことも、趣味のことも、自宅で両親を相手に語ることはほとんどない。そんなことはそのバーでつぶやき倒すのだ。
 
 そのバーはカウンターのみ。もともとは小さなタバコ屋さんだった店舗を改築したので、6席だけのコンパクトな空間だ。棚には所狭しとウィスキーやリキュールが並び、本格的なカクテルが味わえ、葉巻をくゆらすようなオトナな店だが、そこは都心をちょっと離れた住宅地。客のほとんどが、地元の常連客で、なんとなく顔見知りだ。
フランス語で3を示すその店名は、草野球チームに入っているマスターの背番号から来ているとのことで、常連にはチームメイトも多い。リーグ戦後にはここは部室か! という和気あいあいとした雰囲気に。WBCの期間中も、野球ファンならではの「細かすぎる」解説や、熱い討論も聞けたりして、スポーツバー感覚で楽しめた。
 
そこのマスターは野球だけでなく、オリンピックに、W杯にとすべての競技に詳しい。カーリングやブラインドサッカーにまで精通し、話題を振るとすぐ返ってくるのは、よっぽどスポーツ観戦好きなのだろう。同じく「日本代表戦」と呼ばれるような大きな大会が好きな自分にとっては感動を共有できる話し相手だ。
ちょっとしたことを語り合える、職場や学校の集まりとは違う仲間って大切。世代も、業種も、それぞれの家庭環境も全く違うのに、地元周辺のニュース、今世間で話題になっていることといったゆるっとしたテーマで自分の思いを吐き出すことができる。SNSだと炎上しそうな過激なコメントだって、お酒の力もあって、この狭い空間だけのオフレコということで許してもらえるだろう。そんな薄い人間関係が心地いい。
 

2. 心が弱ったときに駆け込むなじみの店は、いわば心の保健室

そういえば、うじうじと悩み、落ち込むときに寄りかかるのもこのなじみのバーだ。仕事で思わぬトラブルを抱えたとき、人間関係がこじれたとき、家では消化しきれないネガティブな感情はここで吐き出した。愛犬セサミが死んだときにも、このバーでめそめそと泣いたんだっけ。
仕事でも恋愛観でも、友人にさえ話しづらいテーマ(話したらウザがられることうけあいのグチや熱き思いも!)もここでなら、遠慮なく語れる。隣の誰かのどうでもいいのろけだって、聞いてあげられる。名前も知らぬ若者の将来の迷いも、近隣に住む「中年A」としての立場なら、真正面に向き合える。友人や職場の仲間と違って、すこし距離があるからこそ、ある意味、責任感なく、本音で語れるのだ。そして知っている。そんなアドバイスこそ、響くこともあるということを! そしてそんな常連の、この空間でのすべてを知りつつ、冷静に見守るマスターの存在も大きい。(なぜならしらふだから!)
 
自宅や職場以外にあるこんな場所は心の保健室でもある。心が折れそうになったとき、自制できないくらい浮かれたとき、漠然とした不安に落ち込むとき、バーでも、居酒屋でも、カフェでもいい。その場に行ったら誰かに会える心の保健室をつくることは、気持ちを安定させるためにも不可欠だ。なんとなく話を聞いてくれる相手、なんとなく集まる安心感。お年頃の私たちにとっては、定期的に通うことで、精神的な生存確認にもなる。なので、私は月に一度は顔を見せ、小さな世間に「自分は大丈夫だよ」というメッセージを残す。
 

3. 家族以外の誰かに、SOSを発信すること自体がセラピーになることも

そうそう。薄い人間関係のほうがSOSを発信しやすいこともある。職場や親しい友人、ましては家族には知られたくない弱い部分もあるだろう。外の社会には一番いい顔の自分を保ちたい、という見栄もある。けれど私は地元のここでなら、かっこ悪い自分を見せられる。精神的に追い詰められたら、まずここで「限界かも」とアピールするだろう。バーのマスターや顔なじみの常連客はそんな私に、優しくてそっけない態度で接し、無難なコメントをくれるだろう。ときには無責任に世の矛盾に対して憤慨してくれるかもしれない。それがいいのだ。
 
年を重ねると何事も悟るものだが、たいていの悩みは完全には解決できない。知らぬ間に曇りなくすっきり晴れるなんてまず無理だろう。それを知っているからこそ、なんとか自力で乗り切ろうとするのだ。出口のないトンネルを抜けるためには、現実をやりすごす力も必要だ。
 ちょっと年上のフリーランス仲間が口にした、心に響くひとことがあった。「この年になったら、自分で自分の機嫌をよくする方法がわかっているからね」と。なるほど! そうか。自分たちではどうにもこうにも改善できない状況ならば、自分自身の機嫌をよくするように努めればいい。そんな場所を自分でみつければいい。人は変えられなくても自分自身なら変えられる。
 

4. なじみの店は介護中の一家のハレの場所、気分転換としても機能

介護の渦中にいる人にとってもなじみの店は心の拠り所だ。そのバーのお向かいには人気のイタリアンバルがあり、私もたまに立ち寄る。少し遅めの時間に夫婦で、ときには親子で訪れる近所の常連さんがいて、帰り道であるここを通るたびにお見かけする。ほぼ毎日だ。なぜこんなにこのバルに通い詰めているのか、ずっと謎だった。
あとで知ったのだが、ご家族を自宅介護中で、落ち着き、ふと時間が空いた夜に、気分転換として外出するのだそうだ。バルならばちょっと一杯、ちょっとつまみを、と夕食をすませしたあとなどのすきま時間でも外出できる。疲れた一日の終わり、バルでの晩酌は、日常を晴れやかにするひとときなのだろう。閉塞感のある日々から解放される瞬間だ。
 
なじみの店主と向き合い、ときにはなじみの誰かとつながるバーは心の保健室となる。人にとってはカフェであったり、ヘアサロンでもいいだろう。地元の図書館がそんな存在になっている人もいるかもしれない。
気持ちがふさぐ時でも、ここへ駈け込めば大丈夫。ちょっと気が晴れ、気分転換ができるのが心の保健室――そんな場所を確保しておくのも、人生の荒波を乗りこなすコツなのかも。
 
最後にちょっとした余談を。いつも頼りにしている例のバーのマスターとお向かいのバルの店主。年代が近いこともあり、仲良しなのだ。定休日の日曜日にちょっとへべれけになっている二人を見かけるとほっとする。時にははめをはずしてほしい。誰にだって心の保健室は必要。誰かが誰かの拠り所となって、世界はまわっているのだ。
 
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著者:間庭典子(まにわのりこ)

中央線沿線の築30年以上の一軒家に後期高齢者の両親と同居する50代独身フリーランス女子。婦人画報社(現ハースト婦人画報社)「mc Sister」編集者として勤務後、渡米。フリーライターとして独立し、女性誌など各メディアにNY情報を発信し、「ホントに美味しいNY10ドルグルメ」(講談社)などを発行。2006年に帰国し、現在は日本を拠点に、旅、グルメ、インテリア、ウェルネスなど幅広いテーマの記事を各メディアへ発信。旅芸人並みのフットワークを売りとし、出張ついでに「研修旅行」と称したリサーチ取材や、さびれた沿線のローカル列車で進む各駅停車の旅を楽しむ。全国各地の肴を味わえる地元の居酒屋やスナックなどの名店を探すソロ活動も大好き。

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