岩手県でひとり暮らしを続けるアルツハイマー型認知症の母。介護施設を利用せず、東京から通いで在宅介護をする道を選びました。離ればなれのまま、息子が家族3人の介護をする10年の物語です。

1. 10年の介護の始まりは祖母の救急搬送から

「おばあちゃんが大量出血して救急車で運ばれた! お母さんがね、病院まで一緒に付き添ったって」
 
2012年11月。わたしは岩手に居る妹からの電話を、勤めていた東京の会社の廊下で受けました。あれから10年が経った今は祖母の介護ではなく、重度のアルツハイマー型認知症である母の介護をしています。
 
この原稿は岩手での遠距離介護を終えて、東京へ向かう東北新幹線の窓側の席で高速で移り変わる田んぼを眺めながら書いています。
 
わたしは介護作家として多数の本を執筆し、介護ブログ『40歳からの遠距離介護』を運営している工藤広伸(くどうひろのぶ)です。介護で悩む人、これから介護が始まる人に向けて文字や音声で発信を続けていて、こちらの活動も10年が経ちました。
 
 
発信を機に介護者と直接お会いする機会もあり、出版記念イベントに来てくださった女性がわたしの手を握りながら涙を流して感謝してくださったり、88歳男性がわたしの文章を読んで、どうしてもペンを握りたくなって認知症の妻についてお手紙をくださったりしたこともありました。
 
この10年で特に印象に残った介護について、振り返りたいと思います。
10年の介護の始まりは祖母の救急搬送から

2. 家族の誰が介護するか問題は1秒で解決!

「親の介護は、長男・長女の役割でしょ?」
「親の家の近くに住んでいる、あんたが介護すべきでしょ?」
 
自分だけは親の介護から逃れようと、1947年に廃止になったはずの家制度を引っ張り出して長男長女に押し付けたり、親と距離が離れているからムリと言ったり、逃げる理由を必死に探す方が多くいます。いくら逃げても追いかけてくるのにです。
 
介護そのもののストレスより、こうしたきょうだい間の争いのほうが大変かもしれません。わが家ではこの問題を、わずか1秒で解決したのです。
 
「自分がやるから」
 
わたしのこの言葉には、下記の3つの意味が含まれていました。
 
・祖母と母の2人を同時に介護する
・介護離職をする
・岩手と東京の遠距離介護をする
 
母親思いの息子、妹思いの兄とよく言われますが、そんなステキな話ではありません。シンプルに勤めていた会社を1日も早く辞めたかった。転職してまだ1年も経っていなかったので、介護という最強の口実が突然やってきたことに感謝したくらいです。
 
もうひとつは単純に後悔したくなかったから。もし祖母を介護せずに亡くなったり、認知症の母を放置したりして東京で働き続けたら、いずれ「あのとき介護しておけばよかった」とズルズルと何年も後悔すると思ったから「自分がやる」と宣言しました。
 
わたしは二男で、親との距離は直線で500kmも離れています。妹のほうが岩手の実家に近いのですが、メインの介護者はあくまでわたしです。なので家制度や距離に関係なく、親の介護に関わることができます。
 
こうして2012年から遠距離介護生活が始まり、2023年の今も続いています。

3. 4年間一切連絡を取らなかった父の介護と看取り

倒れた祖母は子宮頸がんで、入院から1年後に亡くなりました。それから4年経ったある日、今度は岩手に居た父がICUに入ったと妹から連絡がありました。東京から駆け付けたわたしが、急いで不織布のガウンに着替えて手術室に入ると、たくさんの管につながれた父が寝ていました。
 
診断は悪性リンパ腫。いわゆる血液のがんで、余命は1か月から3か月の診断でした。
 
父はわたしが18歳の時に実家を出て、母と同じ盛岡市内にマンションを買いました。最期まで離婚はしませんでしたが、義母や妻の介護に一切参加していません。そんな父とケンカをしたのは、祖母の葬儀の日。
 
家を出て23年も経っていた父がいきなり葬儀場に現れ、喪主のわたしにあれこれと指示を出し始めたのです。
 
「二度と関わるな! 介護もしてないくせに!」
 
このケンカから4年経った、再会の場所がICUだったのです。それでも父の介護をした理由は、やはり自分のため。将来後悔しないかどうかだけを考えたら、子煩悩だった父の姿を思い出し育ててもらった恩もあったので、怒りの感情を外に追いやって介護をしました。
 
やれることはすべてやったものの、余命宣告通り父は2か月後に亡くなりました。
4年間一切連絡を取らなかった父の介護と看取り

4. 重度のアルツハイマー型認知症の母の介護

祖母が救急車で運ばれたとき、実は母も認知症らしき症状が出ていました。祖母が入院するために必要な大事な書類の記入をすっかり忘れ、白紙のまま居間のコタツの上に置いてあったのです。 あれから10年が経過し、母の認知症は軽度から重度まで進行。最近はわたしの顔を見て「あんた誰だっけ?」なんて言うほどです。 ずっと笑いながら介護できたらいいのにと思いますが、正直なところ簡単ではありません。時にはケンカをして、激しく自己嫌悪に陥る日もあります。 それでもケンカしたことをすっかり忘れた母が「気を付けて帰ってや~」と言いながら、いつまでも笑顔で手を振ってわたしを見送る姿を、東京へ向かう新幹線の中でつい思い出してしまいます。 母の介護の話を中心に、これから綴っていきます。






この記事の続き
【離ればなれ介護vol.2】親が元気なうちにやるべきこと
【離ればなれ介護vol.3 】離れて暮らす親の見守りはどうする?

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著者:工藤 広伸

介護作家・ブロガー
1972年岩手県盛岡市生まれ、東京都在住。2012年より岩手で暮らす認知症の母を、東京から通いで遠距離在宅介護を続けている。途中、認知症の祖母や悪性リンパ腫の父も介護し看取る。介護に関する書籍の執筆や、企業や全国自治体での講演活動も行っている。認知症介護の模様や工夫が、NHK「ニュース7」「おはよう日本」「あさイチ」などで取り上げられる。著書に『親の見守り・介護をラクにする道具・アイデア・考えること』(翔泳社)、『親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと』(翔泳社)ほか
介護ブログ『40歳からの遠距離介護』https://40kaigo.net/

音声配信voicy『ちょっと気になる? 介護のラジオ』https://voicy.jp/channel/1442

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