1. シングルマザーとして前向きに生きてきた50代女性
このお話の主人公は、北村真由美さん(56)。10年前に離婚をした真由美さんは、東京都郊外の分譲マンションで、大学生のひとり娘・美咲さん(22)と二人で暮らしています。
離婚するまで専業主婦だった真由美さん、離婚を機に全国展開しているスーパーマーケットでパートの仕事を始めました。娘の美咲さんに、ひとり親であることで肩身の狭い思いをさせたり、金銭的な理由でやりたいことを諦めさせたりしたくないという思いから、必死に働きました。その努力が認められ、真由美さんは5年前、そのスーパーマーケットで正社員として雇用され、2年前からは管理職として現場のパート職員を束ねる役割を担っています。
ひとり娘の美咲さん(22)は、シングルマザーとして経済的に苦労しながら大学にまで行かせてくれた母親に感謝しつつ、大学卒業後は得意の英語を活かして海外で仕事をしたいという夢を抱いています。
真由美さんは、子育てももう終わりが見えてきたところで、今の仕事にやりがいを感じており、健康に良い食事を心がけ、適度な運動を取り入れるなどして健康寿命を延ばしていけば、誰にも迷惑をかけることなく「人生100年時代」の後半戦を、ひとりで前向きにたくましく生き抜くことができると考えていました。
2. 地方で暮らす80代母親が転倒!そのとき東京で仕事をする娘は?
そんな矢先。夕方、スーパーでの勤務を終えた真由美さんが、ロッカーに置いていたスマホをのぞいてみると、神戸市内でひとり暮らしをしている母親の増田好子さん(83)から何度も着信があったようです。
「昼間は電話しても出られないよって、何度も言っているはずなのに」
母親の好子さんは、真由美さんの父親である夫を6年前にがんで亡くした後も、生まれ育った神戸の街から離れたくないということで、今も築50年の一戸建てに一人で暮らしています。83歳という年齢の割にとても元気で、杖など不要で姿勢よく歩き回ることができ、以前に比べて新しいことを理解するスピードが多少落ちたと感じることはありますが、好子さん本人もひとり娘の真由美さんも、このままで行けば認知症とは無縁だと思っていました。
昼間の複数回の着信は、好子さんが緊急搬送された神戸市内の病院の看護師が、好子さんのシニア向けスマホを使ってかけていたものだったとわかりました。
この日、好子さんは、自宅に町内会役員が町内会費の集金に来たときに、2階に財布を取りに行って階段を下りていたところ足を滑らせて落下してしまい、階段下で動けなくなってしまったそうです。町内会役員がその場に居合わせたのが不幸中の幸いで、すぐに救急車を呼んでくれました。
手には財布とスマホを持ったまま、救急車に乗せられました。激しい痛みで意識も朦朧としかけていましたが、好子さんは救急隊に「誰か来てくれる人はいますか?」という質問に、とっさに「娘がいます。娘がすぐに来てくれます」と答えたそうです。
3. 母親のために東京と神戸を何往復もした娘が、決心したこととは?
好子さんは腰椎骨折で数週間の入院が必要だとの診断でした。退院した後も、すぐに実家でこれまでと同じような自立した一人暮らしの生活に戻れる状況ではないことは明らかだったので、どのような退院後の療養環境を整えるかということを、娘の真由美さんが考えなければなりませんでした。
入院していた母親の好子さんはと言えば、「家に帰りたい」の一点張りで、「私は一人で大丈夫。真由美のいる東京には行きたくないから、そんなに心配なら、真由美が神戸に引っ越してくればいい」と主張します。
真由美さんが仕事を諦めて、神戸の実家に戻ることも頭をよぎりました。しかし、今、真由美さんがいわゆる「介護離職」をしてしまうことは、賢明な選択ではありません。好子さんに神戸の実家で一人暮らしをつづけてもらうしかないという結論に達しました。
真由美さんは、高齢者の介護や療養に関する知識はまったくありませんでした。そこで、病院の相談員や実家近くの地域包括支援センターに相談しながら、退院後の母親の生活を整えるために、介護保険の認定申請を行い、実家のバリアフリー状況を確認して必要なところに手すりを設置する工事を行うなど、すべて真由美さんが手配しました。
実際に介護保険を利用するためには、利用するサービスごとに、ケアマネジャーの所属する居宅介護支援事業所や訪問介護ヘルパーを派遣してくれる事業所など、それぞれの事業所と契約を締結しなければなりません。そうした契約も、すべて娘の真由美さんが母親に代わって説明を受け、代筆でサインをしました。
真由美さんは、東京での仕事のことが常に気になりながら、一方で、母親にも病院にも介護保険の方々にも「娘がやるのは当たり前」と思われているというプレッシャーから、とにかく寝食を忘れて何度も東京と神戸を往復しました。
あるとき、神戸から東京に戻る新幹線の中で、真由美さんはふと考えました。
「こんなに大変なこと、30年後の私のときは、誰が今の私の役目をやってくれるのだろうか」
「もし、娘の美咲がそのまま海外で暮らしていたら、いちいち呼び寄せるわけにもいかないし、もし日本に居たとしても、母親の私のことで娘の美咲にこんなことはさせたくない」
「母のことだって、私ができることはこれからもやるつもりだけど、このまま母の判断する力が低下していったとき、私が母のすべての決断をするのではなく、母に決めておいてほしいこと、母に聞いておきたいことが、山ほどある」
「そして、私には私の人生があるから、今、やりがいを感じている仕事をすべて犠牲にして母のことにずっと時間を費やすわけにはいかない。このことも、母がまだ理解できるうちに、しっかり話し合っておかなければならない」
これが、好子さんと真由美さんの終活の始まりでした。
4. 頼れる娘がいる80代一人暮らしの母親が、備えておくべきことは?
母娘で終活を始めようとしたところで、具体的に何をどうやって進めていけば良いのでしょうか。
母親の好子さんについては、緊急対応や重要な方針決定などは娘である真由美さんが行うことを前提に、どんな決定をすればよいのか悩むことがないよう、重要な情報を共有しておくことや、あらかじめ想定されるような重要な決断や希望を一緒に考えておくことなどから始めていくことになるでしょう。
例えば、重要な情報共有としては、年金はどの口座にいくら入ってくるのか、他に定期的な収入はあるか、銀行や証券会社の口座はどこに持っているか、毎月定期的に支払っているものはどんなものがあるか、生命保険や医療保険、認知症保険などに加入しているか、かかりつけ医のこと、常用薬やサプリメントのこと、アレルギーの有無、既往歴など。
真由美さんは、親のことというのは、知っているようで意外に何も知らないのだということに驚いたそうです。母親がもう30年も前から投資信託で海外の投資信託を売り買いしていたということも、今回、初めて知ったとのことです。
そして、あらかじめ想定される重要な決断や希望としては、特に住まいや療養場所の選択、終末期にどんな医療を受けたいかという選択、葬儀や納骨場所の希望など、子供としては親に聞きにくいことですが、聞いておかなければ親の希望は子供にはわかりません。
こうしたことを、時間を掛けてじっくりと聞いていき、カタチに残しておくことで、母も娘も安心できることでしょう。
その上で、最終的には娘である真由美さんが責任を持って好子さんの人生の幕を下ろす手伝いをする。しかし、真由美さんには大切な仕事があるので、外部委託により真由美さんでなくても対応できることは、引き受けてくれる事業者を積極的に利用し、真由美さんと好子さんの良好な関係や絆を維持していこうということを話し合ったそうです。
5. 将来、娘に頼れるかどうかわからない50代シングルマザーの終活
そして真由美さんご自身のことも、まだまだ先だとは思わずに、いつ何があるかわからないという自覚を持った上で、母親の好子さんと同じように、重要な情報の洗い出しと、重要な決断や希望を決めていくことから始めることとしました。
さらに真由美さんの場合は、こうした情報のすべてを、いますぐ娘の美咲さんに託しておくことには抵抗感があったので、終活情報の保管・伝達方法についても考えていくことになりました。
これから連載企画として、この好子さんと真由美さんの母娘のそれぞれの終活について、詳しくお伝えしていきます。どうぞお楽しみに。