その距離感が難しい“娘による実母の介護”について考える連載。E江さんは一人娘だったため、彼女の実家の家業を継ぐために婿養子に入った夫。仕事をしていくうちに夫と母親の関係性が最悪なものに。それでも、両親のサポートをしていた娘だが、父親が亡くなり、母親の認知症がどんどん進行して……。

1. 家業を継いだ夫と母親の関係性が最悪に

E江さんが高校生のころから持病を抱える両親は、入退院を繰り返すような日々を送っていました。そのサポートに加えてE江さんは一人娘だったため、夫は結婚を機に婿養子となり、家業を継ぐことになりました。

夫は同居を考えていたようですが、気が強く、物事をズバズバ言う母親と仕事場も同じなうえに、ずっと一緒の生活は大変だと、E江さんの希望で住まいは別に構えることにしました。

結婚当初、母親と夫は驚くくらい仲が良く、仕事もプライベートも上手くいっていました。ところが、母親と夫は一緒に仕事をしていく中で衝突が増え、修復不可能なくらいに関係性が悪化してしまいます。夫は外に仕事を見つけ、両親と距離を取るようになってしまいました。E江さんも母親に腹の立つこともありましたが、できる限りそれまでと同じように接するように努めました。

2. 母親の度が過ぎた物忘れに不信感を抱く

子どもが幼稚園に入園したころ、父親の持病が悪化。実家のサポートは「一人っ子の私がやるしかない」とこれまで以上に実家に通うなかで、E江さんは母親の変化に気付きます。自転車で出掛けたのに、それを置いて帰ってきてしまう。馴染みの商店で「あとでお金を払う」と言って、そのままにしてしまう。年齢のせいと言うにはまだ若く、度が過ぎた物忘れに「これはおかしい」と病院に連れて行こうとしましたが、頑固な母親は病院に行くことを拒否。そうしている間に母親の言動はどんどんおかしくなっていきました。嫌がる母親をなんとか説得して病院へ連れていくと「アルツハイマー型認知症」と診断されました。65歳以下であったので「若年性認知症」でもあったのです。

通いの介護をしていた時期は、子どもを幼稚園に登園させた足で実家へ行き両親の世話をしていました。夕方に子どもを迎えに行き、自宅に戻って自分の家のことをすると、夜にはヘトヘトで布団に倒れ込むこともありました。とにかく大変だったのは、気の強い母親と言い争いとなることが増えたこと。認知症という病気だとわかっていても、E江さんも気持ちが限界に達すると取っ組み合いのケンカになることもありました。そんなときは何も言わずに自宅に戻り、しばらくクールダウンの時間をもつと、母親はケロッとして普通に話しかけてきます。介護者にとって物理的に母親から離れて冷静になれる場所である自宅の大切さに改めて気付かされました。こういった経験からも、母親の介護がどんなに大変になっても「絶対に同居はしない」と改めて強く心に誓ったのです。さらに、同居をすることで認知症の母親と夫の間に挟まれて自身が精神的に疲弊し、新しくできた家族が破滅することだけはどうしても防ぎたいという思いもより一層強くなったといいます。

3. 父親が亡くなり、母親の認知症が一気に進む

父親は目に見えて持病が悪化しているにも関わらず、認知症が進む母親の介護をしてくれていました。母親と夫の関係を理解していた父親はE江さんに迷惑を掛けまいと頑張ってくれていたのです。E江さんはそんな父親のことが気にかかり、身体を休ませてもらおうと、母親に介護サービスの利用を促しました。しかし「そんなものは必要ない」と頑なに母親は介護サービスの利用を拒みました。そんな中、父親が倒れて救急搬送され、そのまま帰らぬ人となってしまったのです。E江さんは母親の介護で父親に無理をさせて寿命を縮めてしまったと強く後悔しているといいます。

一緒に暮らしていた父親が亡くなったことで母親の認知症はますます進行してしまいました。E江さんが実家に行く時間がどんどん増えていってしまい、ときには頭を下げてママ友に子どものお世話をお願いすることもあったそうです。

さすがに自分ができる限界を超えてしまいそうだとしてE江さんは介護サービスの利用を考え始めます。以前、子どもを遊ばせるスペースを利用していた地域包括支援センターのことを思い出し、介護サービスに関する資料をもらいに行きました。少しずつ生活を変えていこうとしていた矢先、母親が事故に遭い、警察のお世話になってしまいました。

4. 深夜に徘徊をした母親が冬の海に落ちた

母親は徘徊することがあっても長年住んだ地域のためなんとか帰宅ができ、E江さんが先回りをして母親が立ち寄りそうな商店に事情を話して見守ってもらうようにしていました。しかし、母親はE江さんが自宅に戻った夜中にも徘徊をするようになってしまいました。ある冬の深夜、自宅近くの漁港から母親が海に落ちてしまったのです。警察から連絡を受けるも、夫は夜勤でおらず、幼い子どもを置いて家を出るわけにはいきません。こちらの事情を話すと警察官が母親を実家まで送り、着替えをさせて朝まで付き添ってくれることになりました。夜が明け、E江さんが母親のもとに駆け付けると、幸いにも幼馴染の漁師が海に落ちた母親をすぐに救助してくれたため、大事には至りませんでした。

同じようなことが起きるのを防ぐために、夜間は外側から実家の鍵を掛けることを警察官に相談すると「それは監禁罪になるかもしれない」と言われてしまいました。

母親のことについて途方に暮れていると、ふと資料をもらいに行った地域包括支援センターのことを思い出し、藁をもつかむ思いで電話をしました。事情を理解したケアマネジャーがすぐに実家にやってきました。ケアマネジャーはE江さんの身に起きている事態に驚き、「これ以上、あなたは頑張る必要はない」と声を掛けてくました。このひと言で我に返ったE江さんは自分一人での母親の介護はもう限界を超えているとして、介護のプロの手を借りる決心をしたのです。

深夜に徘徊をした母親が冬の海に落ちた

5. 娘だとしてもすべての要求を受け入れる必要はない

ケアマネジャーの配慮で、E江さんの母親はその日のうちに施設に一時入所することになりました。ケアマネジャーからは一時入所中に受け入れてくれる施設を探すように言われ、最終的に母親は特別養護老人ホームに入所しました。施設に入所後、母親はたびたび体調を崩し、入退院を繰り返し、最期は入院先で新型コロナウイルスに感染し亡くなりました。

病院から母親の危篤の知らせ受けた時、医師から防護服を着れば最期に立ち会うことができると打診されました。しかしE江さんは、そこまでして最期に立ち会うことはしませんでした。この決断を親不孝だと言う人もいるかもしれません。しかし、E江さんは母親の介護をすでにやり切ったという思いがありましたし、医師からは自らが新型コロナウイルスに感染する危険性があると言われ、「もう、これ以上自分を犠牲にしたくない」いう思いも湧き上がってきたのだそうです。納体袋ごしであっても、母親の顔を見ることができればそれでいいと、自分に言い聞かせたといいます。

母親の介護をやりきったと思いつつも、一人っ子で自分しか判断する人がいないため、誰にも相談せずに全てを一人で抱え込んでしまったことを強く反省したE江さん。なぜなら、結果的に母親が深夜の海に落ちるという事故に繋がってしまったためです。一方、あの余裕のない日々の中、認知症のためより頑固になった母親の性格を考えると、違う選択ができなかったのです。母親のことをよく知っている娘だからこそ、できない選択があったのだといいます。

新しくできた家族の破滅を恐れて、同居を選ばなかったE江さん。それにより家族の破滅は防げましたが、あのまま母親の介護を続けていたら確実に自身が倒れていたと振り返ります。実の母親にとって、娘は何でも言える相手なのかもしれません。また、母親が認知症になると、それまで以上に母親からの要求が増えることもあるでしょう。しかし、娘がすべての要求を受け入れていたら必ず限界が来てしまいます。自身の経験を通し、同居のこと以外でも、もう少し自分のことを大切に考えてもよかったのかもしれない、という後悔があるそうです。「すごく難しいことだけど…」たとえ母娘であっても「それ以上は無理」という線引きをすることも時には必要だと、母親を介護する娘にとって大切なことをE江さんは教えてくれました。



この記事の提供元
Author Image

著者:岡崎 杏里

大学卒業後、編集プロダクション、出版社に勤務。23歳のときに若年性認知症になった父親の介護と、その3年後に卵巣がんになった母親の看病をひとり娘として背負うことに。宣伝会議主催の「編集・ライター講座」の卒業制作(父親の介護に関わる人々へのインタビューなど)が優秀賞を受賞。『笑う介護。』の出版を機に、2007年より介護ライター&介護エッセイストとして、介護に関する記事やエッセイの執筆などを行っている。著書に『みんなの認知症』(ともに、成美堂出版)、『わんこも介護』(朝日新聞出版)などがある。2013年に長男を出産し、ダブルケアラー(介護と育児など複数のケアをする人)となった。訪問介護員2級養成研修課程修了(ホームヘルパー2級)
https://anriokazaki.net/

関連記事

シニアの体型とライフスタイルに寄りそう、 2つの万能パンツ

2022年7月23日

排泄介助の負担を軽減!排尿のタイミングがわかるモニタリング機器とは?

2022年9月23日

暮らしから臭い漏れをシャットアウト! 革新的ダストボックス

2022年9月5日

Cancel Pop

会員登録はお済みですか?

新規登録(無料) をする