これは、50代の息子(私・久保研二〈ケンジ〉)と80代の父(久保治司〈ハルシ〉)が交わした日々の断片の記録です。舞台は、山口県の萩市と山口市のほぼ真ん中に位置する山間部・佐々並(ささなみ)地区にある、築100年の古民家です。地元・尼崎市の総合病院でアルコール依存症と診断された父を、数年前から山口に住んでいる息子が引き取ることになり、バツイチ同士の親子2人の共同生活が始まりました。山口で暮らし始めてすぐ、父親はアルツハイマー型認知症も発症していたことが判明しました。
尼崎の総合病院でのアドバイスもあり、山口に戻ってすぐに父に心療内科を受診させました。父の脳の映像を私に見せながら、医師が言いました。
「完全にアルツハイマー病を発症していますね」
確かに、医師が指差す箇所を見ると、脳みそと頭蓋骨の間に隙間があるように見えます。
「海馬も萎縮しています。おそらく、過度な飲酒がトリガーになったのでしょう」
私は驚愕しました。愚かに思われるかもしれませんが、正直この瞬間まで、自分の父親とアルツハイマー病…いわゆる認知症というものが結びつかなかったのです。社会問題となっていることは承知していましたが、その現実を自分の父親にあてがう想像力を、いっさい持っていなかったのです。想定外の宣告に、私は動揺しました。
「せんせ、治るんでしょうか? アルツハイマーは?」
「今のところ、根本的な治療はありません。けれども、進行を遅らせる薬はあります。それを服用してもらう以外に、今は打つ手はありません。でもまあこれは、年齢的には仕方がないことで…もう、平均寿命にはほぼ達しておられますから」
私は、このように深刻な話を、当の患者を前にして何の遠慮もせずにしゃべっている医師に恐怖を抱きました。そして、たまらず尋ねたのです。
「せんせ、あのう…本人の前で大丈夫ですか?」
「大丈夫です。今日のことはすぐに忘れるでしょう。記憶は直近のことからどんどん消えていき、ある日突然、たとえば自分の母親を探したりします。つまり、母親がまだ存命だった頃まで記憶の喪失が進むこともある、ということです。やがて、おそらく息子であるあなたの顔も忘れる時が来るでしょう」
父は、わかっているのかわかっていないのか、ずっとおとなしく医師の話を聞いていましたが、その表情からは、少しも危機感や悲壮感が読み取れませんでした。おそらく他人事だと思っているに違いありません。
「血液検査の数値を見ると、ご本人、身体は相当きつい、しんどいと思います。とにかく、栄養のあるものを食べさせて、デイサービスに通わせて、健康的な生活を送ることをお勧めします。昼夜の逆転が一番認知症には悪いと思って下さい。とりあえず、進行を抑える薬を出しますので、それを飲ませて下さい。ただし…」
「ただし…何ですか?」
「その薬には、副反応のようなものがよくあります。どうしても脳に影響を与える薬なので…。非常によくあるパターンは、性格の変化です。それまでの人格が変わるケースがあります。たとえば、非常に上品で理知的で、一家の誇りであった父親が、ある日を境に、突然卑猥な言葉を発したりすることがあるのです。それは単なる幼児化ではなく、それまでに自制してきたものが、蓋がはずれて溢れだすような現象なのかもしれません。たとえそういうことがあっても、決して患者さんの責任ではなく、薬のせいですから。その時に家族の方が過剰にショックを感じないように、あらかじめ心の準備をしておくことをお勧めします」
私は言葉を失いました。
「何か、今一番困っておられることはありませんか?」
気をとり直して答えます。
「とにかく父は、早く尼崎のマンションに帰りたい。一人暮らしに戻りたい。そればっかりにこだわるので、非常にきついんです」
「マンションを購入されたのはいつ頃ですか?」
「10年も経っていないと思います」
「そうですか。それなら、ほんの半年もしないうちに、そのことを忘れると思います」
その後の私は、病院からの帰路の記憶がほとんどありませんでした。どの道をどう帰ったのか? とにかく、もう決して後には戻れない坂道を父は歩み始めたように感じました。現実をきちんと受け入れなければならない。けれども、もしかすれば医師の誤診ではなかろうか? ちなみに、医師は別れ際にこうも言いました。「内科的にも相当なダメージがあります。この状態で、脳もますます萎縮します。長くて2年と考えておいてください」と。
こうして私は、父親との最後の思い出作りを“生きがい”にすることで、なんとかこの憂鬱を払拭しようと決意したのでした。
医師から宣告を受けた後、私の父に対する視線の「湿度」が明らかに変化しました。今流れている時間のすべてが貴重に思え、同時に何かしら感傷的になってしまうのでした。
父は当初、病院に連れて行くために車に乗せても、助手席に座ることができず、椅子を倒してずっと横になっていました。口を開けば、「しんどい」としか言わず、顔色がすこぶる悪く、とにかくひと目で病人だとわかるほどに、ヨボヨボでした。それでも、まずは酒を完全に断ったことと、毎日の健康的でキチンとした食生活のおかげで、みるみる健康な身体を取り戻していったのです。
特に食生活においては、私が料理の腕を如何なく発揮しました。とにかく添加物や加工品を避け、地元でとれた米や新鮮な野菜や魚などを使った手作りの食事を、朝・昼・晩と食べさせました。幸いにも、ここ山口は米も野菜も魚も肉、もさらに味噌も醤油も、認知症に効果があるといわれるエゴマ油も、近所で格安に手に入るのでした。
ある程度、体力が回復したあとに、ケアマネジャーさんと相談し、要介護の認定やデイサービスの段取りがなされ、父は思いのほか素直に私に従うようになりました。当初は、私は父が体力の極限状態から回復して、機嫌が良いのだと思っていましたが、ちょうど薬が切れる頃に、再び心療内科を訪れて、真相に気づきました。
「最近、お父さんの調子はいかがですか?」
「体調はかなり良くなりました。顔色なんて、以前とはまったく違います」
「やっぱり、以前の生活が一人暮らしで、インスタント食品なんかがほとんどだったのでしょうね。きっと今の環境がお父さんの身体にあっているのだと思います」
「それはそうだと思います。だって、めっちゃ健康的な生活を送らせてますから」
「ところで、性格の方はどうですか?」
「はぁ?」
「そろそろ、薬の副反応が出てもおかしくない頃なのですが…」
「そう言えば…何だかとても穏やかな顔つきになり、性格も柔らかく、時には冗談を言ったり、笑ったり…」
「以前はどうでしたか?」
「そんな性格なら、きっと親族から嫌われなかったと思います」
「そうですか」
「これって、もしかしたら…」
「はい。薬のせいかもしれません。以前の性格とは逆の面が出たのでしょうね。逆に性格がよくなると言うのは非常に珍しいケースですが、ありえないことではないですから…」
そう言われると、たしかに父の性格は、180度、きれいに裏返ったように思えてきました。私は半信半疑でしたが、医師はそう確信していました。
世の中には、本当に、思いもしない予想外の展開というものがあるのだと、私は天を仰いだのでした。
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・進退ここに極まれり 不良中年の私が厄介な父を引き取った理由|父と息子の漫才介護①
・認知症の父との会話 なんとも言えない「面白さの粒子」に気づく|父と息子の漫才介護③
著者:久保研二
久保研二(くぼ・けんじ)
作家(作詞・作曲・小説・エッセイ・評論)、音楽プロデューサー、ラジオパーソナリティ
1960年、兵庫県尼崎市生まれ。関西学院中学部・高等部卒。サブカルチャー系大型リサイクルショップの草創期の中核を担う。2007年より山口県に移住、豊かな自然の中で父親の介護をしつつ作家業に専念。地元テレビ局の歌番組『山口でうまれた歌』に100曲近い楽曲を提供。また、ノンジャンルの幅広い知識と経験をダミ声の関西弁で語るそのキャラクターから、ラジオパーソナリティや講演などでも活躍中。2022年、CD『ギターで歌う童謡唱歌』を監修。
プロフィール・本文イラスト:落合さとこ
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