あなたの半径3m以内にもいるかもしれない!? 毒親未満の母と娘の関係性について考える連載。今回は「母娘介護」を研究されている金沢大学 保健管理センター 助教 馬場絢子先生にお話を伺った。アカデミックな視点で考える「母娘介護」とは?
馬場先生が「母娘」の関係性に注目したのは、自身が母親との関係で悩んでいたわけではなく、学生時代、周囲に母親との関係に悩んでいる娘が思ったよりもたくさんいたからでした。たとえば、母親の期待を背負っていたり、母親と同じような人生を歩むように言われていたり、母親が果たせなかった夢を託されていたり。背景はさまざまでも、現象として興味を持ったといいます。大学は男性が多い環境で、彼らから耳にする息子と母親の関係とは複雑さの質が異なっていることにも気が付きました。
馬場先生はそもそも家族関係に関心があり、大学で心理学を学ぶ中で家族心理学という分野があることを知りました。学部で母娘関係について聞き取りなどをする中で、「進学や自立をきっかけに母親との距離を上手く取ることができる」ケースが多かったのです。一方で「介護などで再び距離が近づくとどうなるのだろう」という疑問が生まれ、母娘の介護問題に注目するようになりました。こういった経緯から、自然と母親と娘の介護問題を研究するようになったのです。
さらに介護中の介護者と被介護者の関係に関する研究は数多くあっても、介護が始まる前からの関係と介護について考える研究はあまりありませんでした。そこで、独特な関係が多いと感じていた母親と娘の、介護の始まる前からの関係が介護にどのような影響を及ぼすのかを知りたいと「母娘介護」の研究に取り組むようになりました。
馬場先生の専門外ではありますが社会学的な統計でも、以前のように嫁が家族の介護を担う割合は減り、実の子どもが親の介護を担う割合が増えているという調査結果があります。息子が担うケースも増えていますが、性別比でいえば女性が多い。父親の介護は妻というケースが多いのですが、母親の介護となると「母娘介護」の組み合わせが多くなってきています。家族のかたちの変化などでこのようなケースが増加傾向になると考えています。
「母娘介護」について馬場先生の専門である心理学的に注目すると、母親側としては嫁よりも自分が育ててきた娘の方が気兼ねがない、返報性を求めやすい、我慢してくれると自然に思っている傾向があります。娘側も何かしてあげたいという思いを持っていることが多いようです。
嫁が介護するのが当たり前だった時代と比べて、実の母親を介護できることは良いことだ、という文脈で語られることもあります。しかし、実際には育てる、育てられるという関係が逆転することの難しさがあり、嫁が姑を介護することとは別の新たな難しい部分があるようです。
馬場先生は母娘の関係性について、「親密」「親密ではない」という軸と、「自立的」「依存的」という軸でその関係性を考えました。「親密かつ依存的」は仲が良くてベッタリなイメージ、「親密かつ自立的」は仲がいいけどお互いの生活を大事にできているというイメージです。
たとえば介護前の関係が「親密かつ依存的」だと、大好きだった母親のイメージがどんどん変わり、それまでのようなスタンスを保てなくなることが,大きな不安や困難を伴います。母親に身体的な変化があったりすると関係は変わらざるを得なくなります。介護の初期段階でこれまでの関係が変わっていくことに気づくことができれば、比較的苦しむことなく、母親のサポートをしながら関係を上手に変化していくきっかけになると馬場先生は考えています。
母親を介護することに一生懸命になるあまり、仕事や結婚を後回しにして自分の人生を犠牲にしてしまう人もいるようです。そのような形で共依存になるなど、娘が母親に依存できなくなったからといっても、母娘の関係が自立的にならないケースもあるのです。
介護前の関係が「親密かつ自立的」では、お互いがお互いの意向に全面的に沿うのではなく、自分の意向を優先させるときもあるなど、それぞれが自立しています。馬場先生は「母娘介護」になり、それが理想的な関係だとしても、介護前には成立していていた関係が、介護が始まると変わってしまうことを指摘します。母娘という親密な関係で率直にものを言い合えるからこそ衝突したり、母親のペースに巻き込まれたりしてしまうことがあるからです。そういった関係を逆手にとって、姑の介護ではなんでもやってあげたけれど、実の母親には「自分でできることは自分でやって!」と自立的な関係を保っている人もいたといいます。ただ、娘が母親の意向よりも自分の意向を優先させることで娘が罪悪感を持ったり、極端なケースでは虐待に繋がることもあるのです。そうならないためには、馬場先生は母親と自分の意向、そして母親と自分の生活とのバランスの取り方について母娘間で合意形成するためのコミュニケーションが必要だとしています。
介護前の関係がどうであっても介護が難しいと馬場先生が感じているのは、母親が認知症になるケースです。症状にもよりますが、母親の人格が変わってしまったり、娘のことを正しく認識できなくなると、関係が大きく変化してきます。関係が親密だった娘にとっては、それまでの関係がなくなったように感じ、もともと疎遠だった娘ならば、なぜ自分がそんな母親の介護をしなければならないのか、と苦しい思いをすることになります。ですが、まれに認知症により母親の愛らしい面が出てきたり、きつかった性格が柔和になるなど、必ずしもネガティブな変化ばかりではないケースもあったといいます。
馬場先生は、地域によっても娘の母親の介護への向き合い方が異なることがあるとしています。個人の考え方や性格がベースにあるということを念頭に置いても、ご近所づきあいが健在な地域であれば、実際には言われなくても「娘がいるのに…」と周りに思われることを恐れて、介護サービスの利用を躊躇したりする人がいます。さらに、母親が戦争を経験していたりすると、家族以外の他人に頼ることを嫌がる傾向があり、結果的に娘だけで介護をするケースもあるそうです。
都会では娘がフルタイムで働いているケースが多いため、介護サービスを利用することで母娘の距離感が保てるという心理的な利点を感じている人もいます。介護が終わったあとの自分の人生においても仕事は重要なファクターになりますが、仕事と介護を両立させるには会社側の理解が不可欠です。そこで馬場先生は介護者だけが頑張るのではなく、介護問題を社会的な問題として解決していかなければならないと考えています。
馬場先生は母娘介護を研究する中での経験者の聞き取りや分析から、良好な関係を築く4つのポイントを挙げてくれました。
1つ目は、誰にも頼ることができないような閉鎖的な状況にせず、ほかの家族や社会的資源を利用するなど協力体制を築くことです。よくあるのが母親のことは娘が一番知っているのだからと、すべて自分でやらねばとひとりで抱え込む娘のパターン。娘としては、自分が思うようにできるという良さはありますが、長期的には苦しくなっていきます。
2つ目は、お互いに自立的な関係を築けているかどうかということです。たとえ母親が認知症であっても、自分の仕事や趣味のための時間を持つことです。また、母親に対してなんでも手出しをするのではなく、母親が自分でできることは自分でやってもらう、やれるという気持ちを保ってもらうことは大切なことです。
3つ目は、事前に終末期にどんな治療を望むかなどについて母娘で話し合っておくことです。延命を希望するのか、自然に任せるのかなど、母親が望む最期を娘が把握しておくことは娘の心の負担の軽減にも繋がります。
4つ目は、介護という取り組み自体を主体的に取り組めているかどうかです。「こっちの介護サービスの方がいいな」「こういうふうにするとお母さんがすごく喜ぶな」というように、ある意味で仕事のような客観的な視点を保ちながら介護に取り組む人がいます。このスタンスを保つことができると、気持ちに余裕をもって介護に当たることができます。客観的な視点を失い、右から左に作業をただただこなす介護は、人のアドバイスを受け入れるなどの気持ちの余裕がなくなっていき、どんどんしんどくなっていってしまいます。
馬場先生は母娘介護において、もともとの家族の構造に気づいているかどうかが大きいと考えています。長男の意見が常に最優先されるなど「うちの家族って、こういう特徴があるよね」ということが介護の段階になって家族内で強く浮上してきます。それが嫌で家族と距離を取っていても、介護によって再び密接な関係に戻ってしまうことがあります。日本では、心理士が家族に介入して問題を解決する「家族療法」というサポートはあまり普及していませんが、支援者側が家族の中に自然に入ることができるような枠組みができることを、馬場先生は強く望んでいます。結婚などで他の家族の事情を知る機会がある場合もありますが、現代では結婚しない人も増えています。体感的な感覚として、結婚をしていたり、子どもがいるきょうだいと比べ、独身の娘が母親を介護する可能性が高いという傾向がみられる、と馬場先生は感じています。ケアサポートや当事者会などで、いろいろな他の家族の話を聞くことも、家族の構造について、自分のなかで整理することに役立つといいます。
馬場先生は介護者の研究をしているため、介護負担についての話をすることが多いのですが、そもそも娘(家族)が介護をしなければならないわけではないし、娘(家族)であっても介護をしない選択肢もあっていいと考えています。家族たちがどのように介護に関わっていくのかを、介護される人も含めて話し合って欲しいそうです。
それが非常に難しいことだということも研究によって理解しているからこそ、現実的な問題になる前に学校教育で介護について、少しでも考える機会があればいいとも考えています。そして、娘はもちろん、すべての介護者が自分の人生を大事にできるよう、いつか心理職などによるサポートができる環境づくりの手助けをしたい、という将来の目標を教えてくださいました。
馬場 絢子(ばば・あやこ)
金沢大学 保健管理センター 助教。東京大学大学院 教育学研究科 総合教育科学専攻 臨床心理学コース博士課程修了。2020年より現職。専門は臨床心理学。介護者支援、家族介護、母娘関係などについて研究。日本心理臨床学会、日本発達心理学会、日本家族療法学会などに所属。
著者:岡崎 杏里
大学卒業後、編集プロダクション、出版社に勤務。23歳のときに若年性認知症になった父親の介護と、その3年後に卵巣がんになった母親の看病をひとり娘として背負うことに。宣伝会議主催の「編集・ライター講座」の卒業制作(父親の介護に関わる人々へのインタビューなど)が優秀賞を受賞。『笑う介護。』の出版を機に、2007年より介護ライター&介護エッセイストとして、介護に関する記事やエッセイの執筆などを行っている。著書に『みんなの認知症』(ともに、成美堂出版)、『わんこも介護』(朝日新聞出版)などがある。2013年に長男を出産し、ダブルケアラー(介護と育児など複数のケアをする人)となった。訪問介護員2級養成研修課程修了(ホームヘルパー2級)
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