高齢の家族が元気で過ごしてくれていると、安心で嬉しいものです。しかし「今は元気でいてくれる」ことを理由に、将来の対策を取らないのはやや危険です。この記事では、介護者メンタルケア協会代表の橋中今日子が、介護の事前準備をするべき理由と、どのように準備を進めればいいのか、実際のケースをもとに解説いたします。
私の友人のAさんのケースです。都内に住むAさん(40代・男性・会社員)の両親はともに70代で、Aさんの自宅から電車で40分の距離にある実家で二人暮らしをしています。母親は介護施設で週1回のボランティア活動を行い、父親は地域の見守り隊に参加するなど、充実した毎日を過ごしていました。Aさんは「幸いなことに、両親ともに元気でいてくれるのでありがたい」と、よく私に話してくれていました。
ところがある日、母親から「腰が痛くて動けない」との連絡が入りました。仕事を終えて実家に行くと、母親は激痛で唸ることしかできず、父親は困り果てて家中をウロウロしています。Aさんは「ただ事ではない」と、救急車を呼びました。搬送された病院で、母親は「脊椎圧迫骨折」と診断され、1ヶ月半の入院生活を送ることになりました。数日前に植木鉢を動かしたのがきっかけだったようです。
Aさんを悩ませたのは、母親の入院だけではありません。実家に一人残された父親は、家事どころか電子レンジの操作もままなりません。「ポットが壊れた! いくら押してもお湯が出ない!」と電話をかけてきたので実家に行くと、水を補充していないだけ――。ささいなことで父親から何度も電話がかかり、Aさんは仕事に集中できません。手配した宅食サービスも「冷たい、味気ない」と文句を言う始末です。Aさんは、家事代行サービスなどをフル活用して父親の最低限の生活をなんとか維持し、母親の見舞いや各種手続きに奔走しました。
その後、母親はリハビリ病院への転院を経て自宅に戻り、両親は二人暮らしを続けることができています。Aさんは「両親のどちらかが病気になったり、介護が必要になったりすることはうっすら想像していたけれど、突然現実のことになって本当に驚いた。特に、元気なはずの父の世話がこんなにも大変だとは想像もしていなくて。今のうちに、何かしらの対策を考えておかなければ……」と話してくれました。
「今は元気でいてくれる」ことが安心材料にならない理由は3つあります。
1つ目は「加齢による心身の変化」です。
令和4年度厚生労働省白書によると、65~69歳で要支援・要介護認定を受けた人の割合は2.8%ですが、70-74歳では5.5%、75-79歳では12.4%、80-84歳では26.4%、85-89歳では48.1%、90歳以上では72.7%と、年齢が上がるごとに急増していきます。加齢とともに心身の状況は変わるのです。Aさんの母親が受傷した「脊椎圧迫骨折」は、日常生活の何気ない動作でも起こり得ます。骨粗しょう症が原因で起きやすいため、70歳以上で好発するとの調査結果もあります。認知症やパーキンソン病などの疾患も、加齢によって発症率が上がります。
2つ目は「既に介護に直面していると気づいていない」ことです。
認知症と診断されていても自立した日常生活を送り、仕事をしている方もいます。家族が「最近、物忘れの症状が増えているのでは?」と感じても、今すぐに対処が必要なほど困っているわけではないため、介護に直結する事態だとは認識しにくいです。
認知症は、病気・ケガによる入院などで環境が変わった時に、突然表面化することがあります。混乱や不安から、人が変わったかのように大暴れしている姿を見て初めて、認知症が進んでいたことに気がつくケースもあります。
また、実は介護が始まっていたにもかかわらず、他の家族や親族が介護を担っていたために、その現状を知らなかったというケースもあります。私が代表を務める介護者メンタルケア協会にも「認知症の母を介護していた父が入院した」「認知症の父を介護していた姉がガンになった」「ひきこもりの兄を世話していた母が認知症になった」といったご相談が届きます。このような場合は、同時に複数人の介護問題に直面します。
3つ目は「世帯構成の変化」です。
現在の日本は、全世帯のうち約半数に65歳以上の高齢者がおり、そのうちの約3割が一人暮らしです(※1)。介護は重労働ですから、いわゆる「老老介護」は共倒れになる危険性があります。ある日突然、離れて暮らす家族がなんとかしなければならない状況が起こり得るのです。
※1 出典:「65歳以上の者のいる世帯数及び構成割合(世帯構造別)と全世帯に占める65歳以上の者がいる世帯の割合」令和3年令和5年版高齢社会白書(全体版)〈内閣府〉
自分の家族が病気になったり、介護が必要になったりするなんて考えたくもない、想像もしたくないと感じるのは、とても自然な反応です。まだ起きていない介護対策に意識が向きにくいのも当然でしょう。
しかし、誰もが介護し、介護される大介護時代に突入しています。不安や恐れから、対策を先延ばしすることは得策とはいえません。
そんな中でも取り組める介護対策の最初の一歩は、行政が配布している無料のパンフレットを集めることです。介護保険の仕組みや申請の方法がイラスト付きでわかりやすく説明されているものや、家族会の情報のほか、病院やクリニックの一覧、介護保険施設や介護保険サービスを提供している事業所の一覧などを作っている地域もあります。
これらのパンフレットは、市役所などの行政窓口や、介護のよろず相談所である「地域包括支援センター」、家族会などボランティア活動の支援等をしている「社会福祉協議会」などで配布されています。市民会館や図書館などの公共施設に置いてあることもあります。いざという時に、相談窓口の連絡先がすぐにわかるので、非常に便利です。できれば毎年、最新版を揃えておくとなお良いと思います。
パンフレットを集める時間的余裕がない場合は「介護問題に直面したら、地域包括支援センター、あるいは市区町村窓口に相談する」ことだけを覚えておいてください。介護では、相談窓口にいち早く繋がることが最優先事項だからです。
また、今回ご紹介したAさんのように、介護保険サービスでは対応できない家事負担が生じることが多々あります。試しにネットスーパーを利用してみたり、トイレットペーパーなどかさばる日用品はインターネットで定期購入してみるなど、家事負担を減らす方法を普段から意識して探しておくと良いでしょう。
介護の事前準備や対策と聞くと、何か大掛かりなことをしなければいけないイメージがあるかもしれませんが、このような「小さな取り組み」が、いざという時に私たちを助けてくれます。
介護は家族だけで、まして一人だけでは支えきれません。何かあった時は「地域包括支援センターに繋がる」ことを思い出してください。そして、時間に余裕がある時に、市区町村で無料配布されている介護関連のパンフレットを集めておきましょう。
写真:著作者 Freepik(トップ)、著作者rawpixel.com/出典:Freepik(1段落目)、
著作者 Freepik(3段落目)。
著者:橋中 今日子
介護者メンタルケア協会代表・理学療法士・公認心理師。認知症の祖母、重度身体障がいの母、知的障害の弟の3人を、働きながら21年間介護。2000件以上の介護相談に対応するほか、医療介護従事者のメンタルケアにも取り組む。