年齢がそれぞれの個人を表すものの大きな要素のひとつになるのはいつからなのでしょうか。また、気が付けばそれに捉われて、「それなり」の行動や思考が身についてしまっている方も多いはずです。そんな世間なりの当たり前に言葉でメスを入れてきたライターの武田砂鉄さん。完全にそこから逃れることはできなくても、「それなり」の言い草のもやもやした嫌な感じから距離をおくことはできる。ケアラーの心の持ち方のひとつにもなるのではないでしょうか。

1. 「年を重ねてこそ」の欺瞞

いつだったか、コラムのネタにするために、『〇代にやるべき50のこと』みたいなシリーズを、20代、30代、40代、50代と立て続けに読んだ。そういったシリーズは、まとめて読まれることを想定していないからなのか、一気に読んでみたら「これ、ほとんど同じ内容じゃないか?」との疑問が浮上した。何が書いてあったかといえば、「この○代が大事になってくる。この世代をどう生きるかで、その後の生き方が決まってくる。でも、うまくいったと思っても、落とし穴が待っているかもしれない。だから、自分にできることはなんなのかを考えながら、日々を過ごしていこう」といった具合。

そりゃそうだ。そういうもんだ。どんな時期も大事だし、そこでの生き方次第で、その後が決まる。うまくいっていても安心しきってはいけないし、その都度、注意深く生きていくしかない。それでもダメな時はダメだし、かといって諦めるのではなく、じっと耐えたり、助けを求めたりするしかない。その繰り返しだ。

20代の頃、「30代になればわかるよ」と言われたし、30代の頃、「40代になればわかるよ」と言われた。2年前に40代になってから、「50代になればわかるよ」とはまだ言われていないが、そのうち言われるのだろう。この調子でいくと、80代になっても「90代になればわかるよ」と言われるのだろうか。自分より若い人に対して「この年になればわかるよ」とは言わないようにしている(万が一、言われた人がいたら謝ります)。自分はそう言われるたびに、心の中で「それ、ズルいだろ」と思ってきた。だから、自分は使わない。

自分の好きな物書きやミュージシャンが、よくこういう類いのことを言う。
「自分が今、60代だなんて信じられなくて。目先のことをやっていただけなんですけどね。まだまだ心は子どものまんまですよ」

これ、なんかカッコよく響く。冷静に考えると「まだまだ心は子どものまんま」という客観性は子どものころには持てなかったはずなので、すっかり大人になっているのだが、「自分はもう60代」と語るよりも、「自分が60代だなんて」と戸惑っているほうがいい。なぜって、その状態からは「人間、60にもなるとさ……」に始まる説法・説教が出にくいから。

「50代になればわかるよ」「子どもを持てばわかるよ」「世界を見てくればわかるよ」「本気で死ぬ思いをすればわかるよ」といった、経験すればわかる=現時点でのキミは不十分だと伝えてくる言い方がある。こういう言い方から逃げたい。逃げると同時に、言う側にならないようにしたい。

2. 「年齢」のジレンマから逃れるために

もはや、60歳=定年ではなくなったが、ひとまず、成人から60歳までが働く期間だとするならば、今の自分の年齢(41歳)は、その真ん中にいる。様々な仕事で一緒になる相手の大半が年下になってきた。年上はいわゆる現場には登場せず、管理業務が中心となり、すれ違いざまに「まったく、自分も現場に戻りたいよ」なんて愚痴るのが恒例だ。

気づけば年下ばかりになった。でも、「40代になればわかるよ」なんて言わない。だって、わからないから。あと、歩んできたキャリアは人それぞれ違うし、今の自分を一般化しようとは思わない。でも、「まだまだ心は子どものまんまですよ」という、カッコいいアレも使えない。心は子どものまんまではない。めっちゃ大人だ。

時折、年齢を公開していない有名人がいる。年齢を公表すると、雑誌の記事などには必ず「〇〇□□(47)が舞台挨拶に登場」などと書かれてしまう。あれがいやなのだろう。かといって、「〇〇□□(年齢非公表)が舞台挨拶に登場」というのも強いメッセージで、年齢非公表の俳優を検索してみると、関連ワードに「年齢」と出てくるので、何歳かを言いたくない人は、誰よりも何歳なのかを検索されてしまうのかもしれない。

自分はフリーランスなので、上司も部下もいない。ある程度、平穏に暮らせているのは、アドバイスされたり、アドバイスしたり、注意されたり、注意したり、その手の流れと離れたところにいるからなのかもしれない。時折、同級生と会うと、課長になっていたり、長い横文字のチームリーダーになっていたりする。「えっ、部下いるの?」と聞くと、呆れたような顔を向けられるのだが、このまま部下がいない人生を過ごせればいいなと思っている。

年齢なんて気にしていない。こう宣言した時点で、年齢を気にしている。このジレンマがずっと続くのだろう。自分が40代になり、頭の中で、「気にしないぞ、気にしないぞ、年齢、気にしないぞ」と考える機会が増えた。気にしているようなのだ。でも、気にしないと、「40代になればわかるよ」と語り出してしまいかねない。語ってもいいでしょと思う人もいるのだろうし、制止しようとも思わないが、現状の自分は「40代になればわかるよ」なんて言わない、の一択である。

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著者:武田砂鉄(たけだ・さてつ)

1982年生まれ。東京都出身。大学卒業後、出版社勤務を経て、2014年からフリー。『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす 』で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。他の著書に『日本の気配』『わかりやすさの罪』『偉い人ほどすぐ逃げる』『マチズモを削り取れ』『べつに怒ってない』『今日拾った言葉たち』『父ではありませんが』『なんかいやな感じ』などがある。TBSラジオ『武田砂鉄のプレ金ナイト』でパーソナリティ、文化放送『大竹まことゴールデンラジオ!』火曜レギュラー。

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