認知症の人は、生活の中のさまざまな「わかる(認識)」と「知っている(知識)」に「苦手の波(症状)」が起こり、「誤解」と「曖昧」の中で一所懸命に生活している存在とお伝えしました。今回は、認知症の初期に起こりやすい症状と生活の工夫、ご家族や周囲の人の好ましいケアの方法について考えていきましょう。
認知症の代表的な症状といえば、多くの人が「記憶障害(記憶の苦手)」や「ものわすれ」をイメージするでしょう。認知症の中でもアルツハイマー型認知症の場合、95%の人は「短期記憶障害」が初期症状として出現します。「記憶」には、①記銘力(覚える力)、②記憶の保持力(覚え続ける力)、③記憶の想起力(思い出す力)があり、このうちどれか1つでも苦手になると記憶に対して苦手を感じるようになります。
例えば、頭の中では、しっかりと人の顔のイメージや道具の使い方のイメージはできているのに、いざ人の名前や物の名前を思い出そうとするとすぐに思い出せず、しばらく時間がかかるということがあります。やるべきことが多い時や考えることが多い時は、認知症の有無に関わらず誰でも同様の症状を感じますが、認知症の人は生活の中で記憶の苦手を感じる頻度が多くなり、記憶の質や量も認知症でない人が感じるもの忘れとは異なります。
それでは、短期記憶について考えてみましょう。短期記憶は「近時記憶(しばらく経った記憶)」と「即時記憶(今しがたの記憶)」に分けられ、1~3秒程度の記憶は即時記憶に分類され、1~3分ないし1~3ヶ月以内の記憶は、近時記憶に分類されます。初期の症状は、近時記憶から障害されるためしばらく経った記憶が苦手になりますが、進行とともに即時記憶にも苦手が出てくるため、「1~3秒前のことを忘れてしまう世界観」を考えると、生活に不便さがあることが容易に想像できると思います。実際、認知症の人は「今やっていたことがそばから抜け落ちるので困る」「自分に自信がなくなる」「続きの自分がいなくなる」などと生活ぶりを話されます。
認知症のことが書かれている雑誌や書籍を読むと、認知症の症状に「何度も同じことを言ってくる」「何度も同じことを聞いてくる」と書かれていることがありますが、本当に認知症の症状と言っていいのか私は疑問に思っています。何度も同じことを言うのは、家族や周囲の人に迷惑をかけないように、再度確認しようとする「努力の姿」のように感じるのです。「記憶が苦手だからこそ頑張って覚えておこう。忘れないようにしよう」という「人としての努力」ともいえるでしょう。
私が認知症の人のご家族や周囲の人から相談を受ける時に、「認知症だから何度も言ったり聞いたりしてくる」「何度も尋ねてくるので、何度も同じこと答えなければならず、またか?という気分になり疲れる」と言われることがあります。
「同じ質問には、同じ答えを繰り返す」と考えがちですが、ここに重大な落とし穴があるのです。その落とし穴とは「感情記憶」の落とし穴です。
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認知症の人は、確かに初期より近時記憶や即時記憶が苦手になりますが、「感情記憶」は保たれやすい機能です。感情記憶とは何かというと、「喜怒哀楽の感情に強くひもづいた記憶」のことです。仲の良かった友人の名前も、思い出したくなくても思い出してしまう嫌な経験も、感情に強くひもづいた記憶なのではなかなか抜け落ちません。例えば、戦時中に空襲を経験した昭和初期の世代の人たちは、戦後79年が経過しても、少し離れた場所で開催されている祭りの打ち上げ花火の音が、戦時中の空爆のように感じて、破裂音が聞こえている間、精神的に不安定になりやすくなる場合があります。戦争は終結しても戦争の記憶はいつまでも残り続けるのです。
大切なことは、会話の中に感情にひもづいた記憶になるように関わることができているか?ということです。わざわざ怒りや哀しみを会話にひもづかせる必要はありませんが、喜びや楽しみというプラスな感情は会話にひもづかせて、記憶の強化につなげるとよいでしょう。
記憶の苦手は、「日時」や「場所」に関するものが増えてきます。例えば、病院に行く日時や、その他の約束ごとの日時を誤解しやすく、あいまいになってしまう場面があります。そんな時には、感情記憶で記憶を強化するとよいでしょう。必ず上手く覚えられるというわけではありませんが、何もしないよりも記憶に残りやすくなります。
例えば、「病院受診の日はいつだったかしら?」と何度も尋ねてくる場合は、「病院は明日ですよ」と質問への答えを言うだけではなく、「私も一緒に行くので安心してくださいね」、「病院受診が終わったら一緒にレストランで食事をしましょうね」と心を揺さぶるメッセージを付け加えることで頭の中に残りやすくなるわけです。
他にも、すでに食べたはずの昼の食事を思い出せずに「ご飯を食べていない」という場合に、「さっき食べたでしょ?」「食べ終わった食器がここにあるでしょ?」と答えや結論を急ぐことも得策ではありません。認知症の人が「食べていない」という時は、「食べた記憶がうまく残らなかった」と考えると良いでしょう。私たちでも時間に追われて急いでいる時や、考え事をしながら食べた時、体調が悪い中で食べた時、周囲の環境が騒々しい中で食べた時、孤食(独りぼっちで食べた時)の時などは記憶に残りにくくなります。
効果的なアプローチとしては、「食事中」や「食事の直後」のタイミングに「若いころからお魚好きでしたか?」「お魚おいしいですか? 喜んでもらえて私もうれしいです」と、食事の中に心を揺さぶる関わりを追加することがポイントになります。食事の際の「楽しい会話」「団らんの雰囲気」が、「さっきご飯の話をしたから食事をした」という記憶の手がかりになるのです。このように認知症のケアは、「改めて説得するのではなく、自然に納得してもらう」関わりを意識するとよいでしょう。
記憶障害に伴う症状として、「置き忘れ」や「しまい忘れ」があります。どこに置いたかを忘れてしまい、探し当てるのが難しくなりどれだけ探しても出てこないこともあります。
置き忘れやしまい忘れを繰り返すようになると、家族や周囲は一緒に探す時間が余計な手間に感じるようになり、ついつい「しっかりして」「ちゃんと片付けて」「きちんと片付けて」といった声掛けが増えてしまいます。しかし、この一言が「落とし穴」なのです。
認知症の人はしっかりしたいけど忘れてしまうので、どんなにしっかりしてと言われてもすでに過度に頑張ってる状態です。ちゃんと片付けたつもりだったのに失くしてしまうわけですから、もっときちんとした場所に片付けようと考えるようになります。米びつの中から財布が出てきたり、床下収納から杖が出てきたりと、とても考えられないような場所から出てくることもあります。一見おかしな行動のように見えるかもしれませんが、認知症の人にとっては、いたって真面目な行動で、「しっかり、ちゃんと、きちんと」片付けたというわけです。精神的に追い込むのではなく「私にもわかりやすい場所に置いてね」「置き場所が決まったら私にも教えてね」と声をかけるとよいでしょう。意外に気づかない認知症の「落とし穴」を上手く避けながら、安堵・安心につながる好ましいケアを進めていきましょう。
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著者:川畑 智(かわばた・さとし)
病院、施設、社会福祉協議会での勤務経験を活かし、熊本県内10市町村の地域福祉政策に携わり厚生労働大臣優秀賞を受賞。著書「マンガでわかる認知症の人が見ている世界」はシリーズ累計26万部を突破。認知症のリハビリ・ケア・コミュニケーションを学ぶ認定資格ブレインマネージャーや日本パズル協会特別顧問も務める。