翻訳家、そしてエッセイストとしても活躍する村井理子さんに、家族の「看取り」について寄稿いただきました。第一回目はお父様の看取りについて。現在は義理のご両親のケアラーでもあり、エッセイやSNSでのユーモアたっぷりの語り口調が大人気の村井さん。そんな楽しい一面とはひと味異なった理子さんの、悲しくも大切な思い出を綴った文章をどうぞ、味わってみてください。
私が初めて誰かが死ぬのを見たのは、父が亡くなったときだ。18歳だった。私が海外に留学している間に、徐々に胃がんの病状が進行し、私が帰国した時には、末期となっていた。
母には何度も父が受診をしたかどうかを聞いていたが、母は曖昧な答えしかせず、私も帰国するまで何もわからない状況だった。
それまで滞在していた学生寮から出る日、寮母が急いでやってきて、私に小包を手渡した。「間に合ってよかった」と言い、彼女は私をハグして、気をつけて帰るんですよと言った。急いで小包を持って来てくれた彼女にお礼を言いつつ、誰からの荷物なのかを確かめた。自分の目が信じられなかった。それは、父からの小包だった。
手紙も入っていて、父らしい几帳面で四角い文字で、健康に気を付けること、学業に専念すること、早く日本に帰っておいでとあった。そして父が選んだのかわからないけれど、ネックレスが入っていた。父は一人でそのネックレスを選びに行き、私に手紙を書き、小包にして送りに行ったのだろう。
こうやって書いていても、父のその姿が目に浮かぶようだ。
私は誰もいなくなった寮の部屋に立ちつくし、ネックレスを握りしめていた。窓からはよく石作りの古い校舎が見えた。緑の芝生が美しい運動場。遠くにはビル街。夜、同室の生徒たちがいなくなると、この窓際に立ってよく外を眺めていた。
しばらく住んだこの部屋とも別れることになる。こんなタイミングで父から小包が届いたことが、奇跡のように感じられた。
そろそろ部屋を出ようと白くて大きなスーツケースを手に持つと、ほんの少し前までテーブルの上に置いてあった小さなバッグがなくなっていた。文庫本とリップクリーム、数10ドルあまりのお金を入れていた。ああ、またやられたなと思いつつ、そんなことどうでもよかった。
私の手の中には、価値のつけられないほど大切な父からの手紙とネックレスがあったからだ。誰もいなくなった寮に別れを告げて、私は日本に戻った。
空港に迎えに来た父は見る影もなく痩せ細っていた。私と父はその日から、奇妙なまでに一緒に時間を過ごすようになった。
「病院に行こうよ」と言うと、父は曖昧に笑い、それよりも腰が痛いから少し押してくれよと言った。大好きなゴルフにも行かず、毎晩飲んでいた酒も一滴も飲まず、父は連日、私と一緒に家にいるようになった。
家にいて、私と一緒にこたつに入り、そしてテレビを見た。一緒にコンサートに行こう、旅行に行こう、本を読もう。そう言い合って、私と父は隣同士に座り、互いに寄りかかるようにして時間を過ごした。
それまでの18年間でできなかったことすべてをやろうとしていた。
写真上:村井さんのお父様の20歳頃(詳細不明)。
写真下:1960年代後半。(お母様が)店をオープンした頃のもの。
そんな父が突然吐血して倒れ、心肺停止状態で市立病院に運ばれたのは、私が日本に戻ってから数カ月後のことだった。ちょうど大学受験の時期が重なっていたと記憶している。
私はどうしようもなく悩んでいた。父の死、受験、母と兄との不仲。破れかぶれの毎日で、生活は荒れた。痩せ細ってしまった父は、落ちくぼんだ目で私を睨みながら、「お前、さっき喫煙室でタバコ吸っていただろ。お前の体のことだから文句は言わない。でもな、お前はいろいろな人に救われて生かされたことを忘れるな」と怒った。
時には「今日は来るのが遅いじゃないか。家で勉強でもしていたのか。どうせ今の学力では、たいした大学にも行けないだろう。お前みたいに人間のバランスが悪いやつはダメだ。年をとったらちょっとはマシになるかもしれないけどな」と言い、「お前はどんなおばさんになるんだろうなあ」と目に涙を溜めながら言った。
私が病室で突っ立って泣いていると、「もういい、帰れ」と言った。「俺は今からこの窓を開けて飛び降りて死ぬからな。本当のことを言ってくれ。俺はガンなんだろ?」 私が首を振ると、父はもう一度、「もういい、帰れ」と言った。
泣きながら病院の廊下を歩いていると、看護師さんが声をかけて、肩をなでてくれた。「お父さん、あれでも喜んでいるんだから、大丈夫だよ」
数週間後、父の病室はナースステーションの近くになった。体重は40kgを切った。目はますます落ちくぼみ、食べることもできず、口内炎に悩まされていた。
母と話すことを拒絶し、私とだけ話をすると言う父との最後の日々で、私はとことん消耗した。
兄は真っ青な顔をして、時折病室の外の廊下に現れた。誰よりも父を慕い、誰よりも父を愛しているはずの彼は、父の変わり果てた姿を受け入れることはできなかった。
兄が来ているのを気づいていたはずの父も、兄に会おうとはしなかった。
写真上:少女時代の村井さん。特にお父さんっ子で、かわいがられていたそう。
最後の日の夜、母が医師に「痛み止めを打ってやってください」と懇願したような記憶がある。すると医師が「心臓がかなり弱っていますから、それが最後になってしまうかもしれない」というようなことを言ったような気がする。
とにかく、父は痛み止めを打ってもらい、笑顔を取り戻すと、痩せ細った両手を天井のほうに伸ばして、「理子、ほら見てごらん、すごくきれいだよ」と最後に言い、それから数分で亡くなった。
通夜でも葬式でも泣かなかった私は、親戚から強い子だなどと言われたが、それまでに涙は涸れ果てていた。父が亡くなった直後、進学のため他の町に移り住んだが、それから少なくとも十年以上は父の夢にうなされた。
父が最後に贈ってくれたネックレスは、まるで自分の命のように大切にしていたが、荒れ果てた生活のなかでいつしかどこかに行ってしまった。夢の中の父は痩せたり、太ったり、怒ったり、笑ったり、いろいろな姿になりながら私の心のなかに居座り続けた。
今となっては私の方が父より年上になった。今でも夢に出てきては私に悲しい思いをさせる。それでも最近の父は、元気だった頃のように若々しく、明るく、誰にも愛された笑顔で私を見ている。
写真提供:村井さん
今回、翻訳家でエッセイストの村井理子さんに寄稿いただいた文と村井理子さんご自身について、編集部より少し情報を補足させていただきたいと思います。
現在、村井さんはご自身で築かれた家庭をもち、子育てとともに旦那さんのご両親のケアに勤しみ、愛犬との毎日のあれこ れをSNSや他のウェブメディアで発信もしています。「多面体」といってもよいほどさまざまな面があり、それぞれの面でのエピソードの多くがすでにたくさんの本に結実しています。
ここ数年のXなどのSNSでの投稿でのトピックとして一番に挙げられるのは、義理のご両親とそのケアにまつわるものではないでしょうか。村井さんの豪胆さやユーモア、そしてその反面のきめ細やかさや生真面目さが感じられ、日々の投稿をまるで連続ドラマのように追いかけるフォロワーが多いのも頷けるクオリティーの高さなのです。その一部始終が結実したのが、昨年刊行された『義父母の介護』(新潮新書)で、私も笑ったり、ドキッとさせられたりしながらあっという間に読了してしまう一冊でした。
上:『義父母の介護』村井理子著(新潮新書 2024年)
愛犬家としての側面も見逃せません。2024年4月に7歳で亡くなったラブラドール・レトリーバーのハリー君との日々は、それまでの膨大な投稿で振り返るととに、著書『犬ニモマケズ』(亜紀書房 2019年)、『犬がいるから』(筑摩書房 2024年)などでじっくり味わうことができます。2024年8月からともに生活しているゴールデン・レトリーバーのテオ君との日々はすでに村井さんのSNSでたくさん確認することができますが、現在でもしばしば登場する故ハリー君についての投稿は、村井さんのハリー君への思いの強さを感じさせ、うるっとさせられることが多々あります。
上:『犬がいるから』村井理子著(ちくま文庫 2024年)
そして、今回特別に寄稿いただいたこの文章は、村井さんご自身のご家族についてのものです。元々ご両親、そしてお兄様の4人家族であり、その家族が村井さん以外すべて亡くなってしまったという現状から振り返っての、理子さんのご家族への思いが込められています。この「家族」周辺のエピソードは、『兄の終い』(CCCメディアハウス 2020年)、『家族』(亜紀書房 2022年)などの本でたっぷりと読むことができます。そこに綴られた理子さんの思いは愛おしさや懐かしさだけでなく、後悔や葛藤、そして今も燻る怒りなど、ネガティブなものも含まれており、理子さんの著者としての気概が感じられるものです。これらの本を読んだ人なら、「どこにでもありそうなのに、映画みたいにドラマティック」と感じた人は多いはずです。どうりで、『兄の終い』は映画化されるのだそう! 一読者として、楽しみでなりません。
上:『兄の終い』村井理子著(CCCメディアハウス 2020年)
下:『家族』村井理子著(亜紀書房 2022年)
最後に、翻訳家としての村井さんについても。ノンフィクションを中心に、ニッチでマニアックな人物や事象についての本から最近では世界的なセレブ、パリス・ヒルトンの長大な回顧録(『PARIS The Memoir』(太田出版 2025年))まで、さまざまな書籍を手掛けてこられています。刊行時、SNS界隈でも話題になった『射精責任』(太田出版 2023年)も含め、どちらかというとトンがった内容のものを訳されている印象が強く、好奇心旺盛な理子さんの世界観が伺い知れます。個人的には『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』(きこ書房 2017年 ※2024年に新潮文庫で文庫化)も理子さん訳の中で大事な一冊で、料理を楽しむ人としての一面も、現在の名エッセイスト、村井理子を形成する大事な要素となっているのではないかと、僭越ながら感じます。
上:『PARIS The Memoir』パリス・ヒルトン著、村井理子訳(集英社 2025年)
翻訳家とは強靭な体力、精神力、知力を必要とする職業で、家庭をもちながら仕事を続けるのは至難の業だと思われます。また、活字離れが盛んに叫ばれる中、よりハードルの高い翻訳本に携わり続けることも簡単なことではありません。それでも、エッセイで文才を発揮し、活躍の幅を広げながらもコンスタントに翻訳家の仕事も続けられる理子さん。また、ご家族や愛犬のケアも両立しながら、その悲喜こもごもを読者に気軽にシェアしてくれるケアラーでもある理子さん。そんな〝グレイトケアラー〟村井理子さんのことを、MySCUEの読者の方にもより深く知っていただきたく、今回この特別連載を企画いたしました。この記事だけでなく、関連作や他社ウェブサイトでの連載などにもあたってみていただければ幸いです。
村井理子さんのウェブ連載
・村井さんちのこと(新潮社「考える人」内) https://kangaeruhito.jp/articlecat/muraisan
・ある翻訳家の取り憑かれた日常(大和書房「だいわlog.」内) https://daiwa-log.com/magazine/riko_murai/
・実母と義母(集英社「よみタイ」内) https://yomitai.jp/series/jitsubotogibo/
著者:村井理子(むらい・りこ)
翻訳家/エッセイスト
著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう』(CCCメディアハウス)、『家族』『はやく一人になりたい!』(亜紀書房)、『義父母の介護』『村井さんちの生活』(新潮社)、『ある翻訳家の取り憑かれた日常』(大和書房)、『実母と義母』(集英社)、『ブッシュ妄言録』(二見文庫)、他。訳書に『ゼロからトースターを作ってみた結果』『「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室』(新潮文庫)、『黄金州の殺人鬼』『ラストコールの殺人鬼』(亜紀書房)、『エデュケーション』(早川書房)、『射精責任』(太田出版)、『未解決殺人クラブ』(大和書房)他。