これは、50代の息子(著者・久保研二〈ケンジ〉)と80代の父親(久保治司〈ハルシ〉)が交わした日々の断片の記録です。数年前、息子は関西に住む父親を引き取って、2人で田舎暮らしを始めました。舞台は、山口県の萩市と山口市のほぼ真ん中に位置する山間部・佐々並(ささなみ)にある築100年の古民家です。ここで、歌や曲や文章を書くことを生業(なりわい)とするバツイチの息子と、アルツハイマー型認知症を患っているバツイチの父親が、関西人独特の「ボケ」と「ツッコミ」を繰り返しながら、ドタバタの介護の日々を送っています。
前回(連載⑩)お伝えしたように、介護をする者と、介護をされる側との対等な関係とは、お互いに力加減をせず「口喧嘩」ができる関係です。
力加減をしないといっても、そこには非常に高度な力のコントロールと臨機応変な瞬間的シナリオ構築能力、及び環境設定や小道具、小技などが求められます。小学生が気まぐれで動かすミットに、プロのピッチャーが正確にボールを投げこみ、見事にそのミットにおさまる……という具合に、会話のキャッチボールがうまくいくと、そこに“高品質な掛け合い漫才”が成立します。
会話とは、必要最低限のことだけを伝えるのではなく、そこにさまざまな色合いを混ぜ、幹や枝をのばしていくことこそが大事です。ひとつの話題から枝から枝へ、そしていつしかその枝に花を咲かせます。
たとえきれいなオチに落とせなくても、そこは認知症がかえって功を奏してくれます。オチよりも、むしろその過程でより楽しんでくれるからです。このような認知症ゆえのアバウトな、許容範囲の広い世界というものも、実は大いなる魅力でもあるのです。
そういうふうに考え、つぶさにギャグを拾いあげると、そのスカたん(*)加減の味わいが癖になってきます。
何気ない掛け合い。
「ボケ」と「ツッコミ」。
何しろ一番難しい「ボケ」を、無理せず「地」でできるのが認知症患者なのですから、これは考えようによればもの凄い財産です。
*「スカたん」(スカタン)とは、関西弁で、間が抜けているような行いや人に対する愛情の込もった呼び方のことを指します。
「おいっ、研二! オマエ今日は、いったいどこへ何をしに行くねん」
「宇部や。講演をしに行くんや」
「そなもん、わざわざ公園なんか行かんでも、家のまわりを散歩したらええやないか、この家のまわりは、公園みたいなもんやがな」
「ハルシの言うのは、理屈にかなってるけどな、公園と違(ちご)うて、講演ゆうてな、ワシが大勢の人に向かって、話をするんやわ」
「誰がや」
「そやから、ワシがや」
「へぇ~、びっくらこいたのう。驚き桃の木、山椒の木や」
「世の中にはな、まだまだハルシが理解できひん世界が、ぎょうさんあるんやで」
「オマエはアホか。このワシが理解できんことなんか、この世にあるわけないやないか。
ワシはなあ、病院(デイサービス)行ったかて、その中でも一番賢いねんで」
「そやなあ、それは、すごいことやな。ワシもハルシを見て、感心するもん」
「さて、こんなことして、オマエと遊んでる場合やないわ。今日はいっぺんテレビ、見てかましたらなあかん」
「いっぺんって、明けても暮れても、ずっと見続けとるやないかい」
「アホぬかせ。これからワシはな、ニュースを見るんやで。今日はまだ朝からいっぺんも、ニュースゆうやつを見とらんのや」
「ニュース見ても、ハルシには何のことかさっぱりわからんやろ」
「そんなことないわい、今晩とか明日とかの天気がまず気になるやないか」
「そら、ニュースと違(ちご)うて、天気予報やないか……」
「ニュース見とかな、今日が何日かが、わからんようになるやないか」
「そんなもん、今日が何日やと、ニュースでわざわざ言うか」
「それがな、ちゃんと最初に言いよんねん。『今日は、なん月なん日、なん曜日です』ゆうてな、そやから最初が肝心なんや、そこを逃したらあかんねん」
「なるほど、それがハルシの目的か」
「オマエにええこと教えたるわ。最初だけ見たらな、もうあとは居眠りこいても大丈夫や」
「まあ、そんなことやと思ったわ」
「ワシはな、こう見えても、要領がええねんで」
「そやけど、最初に何日やと聞いても、すぐに忘れるんとちゃうか」
「そこやがな。さすがにオマエは鋭いな。すぐに忘れるんや」
「ほんなら頑張ってニュースを見ても、意味ないがな」
「そやから、ずっとテレビを見とるんやないか……。あっ、早よテレビ見よ見よ。アホとしゃべってても、腹が減るだけや……」
著者:久保研二
久保研二(くぼ・けんじ)
作家(作詞・作曲・小説・エッセイ・評論)、音楽プロデューサー、ラジオパーソナリティ
1960年、兵庫県尼崎市生まれ。関西学院中学部・高等部卒。サブカルチャー系大型リサイクルショップの草創期の中核を担う。2007年より山口県に移住、豊かな自然の中で父親の介護をしつつ作家業に専念。地元テレビ局の歌番組『山口でうまれた歌』に100曲近い楽曲を提供。また、ノンジャンルの幅広い知識と経験をダミ声の関西弁で語るそのキャラクターから、ラジオパーソナリティや講演などでも活躍中。2022年、CD『ギターで歌う童謡唱歌』を監修。
プロフィール・本文イラスト:落合さとこ
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