これは、50代の息子(著者・久保研二、ケンジ)と80代の父親(久保治司、ハルシ)が交わした日々の断片の記録です。数年前、息子は関西に住む父親を引き取って、2人で田舎暮らしを始めました。舞台は、山口県の萩市と山口市のほぼ真ん中に位置する、人口密度が極めて少ない山間部・佐々並(ささなみ)にある築100年の古民家です。ここで、歌や曲や文章を書くことを生業とするバツイチの息子と、アルツハイマー型認知症を患っているバツイチの父親が、関西人独特の「ボケ」と「ツッコミ」を繰り返しながら、ドタバタの介護の日々を送っています。

1. 「百薬の長とは何のこと?」の巻

私は医師ではありません。ですからあくまで経験を元にしての話なのですが、認知症を悪化させないためには、患者自身が持つ「集中力を喚起する」ということがよいのではないかと思います。そのためには、日常の会話が重要だと私は考えます。そのために理想的な会話の内容は、上下関係がない対等な関係でのもの。介護をする者と、介護をされる側における対等な関係とは、力加減をせずに喧嘩ができる関係ではないかと考えます。もちろん腕力で競うわけではありません。あくまで口喧嘩です。


今日のモーニングは、レタスとハムのピザトーストと、目玉焼き。そしてヨーグルトにブルーベリージャム。バナナ半分つき。ドリンクはいつものカフェ・オ・レ。
「今朝は、珈琲がええ味になったわ」
「うん、美味いなあ、やっぱり朝は、パンがええなあ」
「治(はる)っさん、朝は米より、パンの方がええんか」
「そやな、パンの方が、なんか、落ち着くな」

これは今まで何度もハルシから聞かされたセリフなのですが、ここで私は、ふだんハルシから受けている仕打ちの仕返しをすることにしました。名付けて、“忘却返しの術”。

「朝、パンの方がええってなこと、ハルシの口から『生まれて初めて』聞いたわ」
するとハルシが、淡々と答えました。
「前にも言うたことあるわい、オマエが忘れてるだけや、オマエの頭がボケとるんや。早めに医者に行った方がええぞ。最近かなりオマエのボケは進んどるぞ」
「ひゃ~、ワシ、ボケとるんか」
「ワシの見立てによると、まあ、九分九厘、間違いないな」
「それにしても、最近、ハルシなんか調子ええなあ」
「そやな、ワシは最近、やたらと冴えとるなあ、特に頭が」
「なんでや」
「そら、野菜をようけ食うとるからちゃうか」
「野菜?」
「ワシは、尼(あま。2人の地元の兵庫県尼崎市)に一人でおる時、野菜なんか、何年も、いっこも食えへんかったからな」
「それで安物の、石油やプラスチックから造った、怪しい焼酎を飲みたおして、アル中になったんやな」
「アホ、ワシは酒なんか一滴も飲まへんで」
「………… 晩飯前にいつも飲んでるのは、あれはいったい何や」
「あれは、薬やないかい」
「まだまだ、ワシは治っさんには、かなわんわ。 治っさんの域には、到達できんわ」
「当たり前じゃ、親を越すなんてこと、百年早いわい」
「おみそれしました~」
「わかったら、はよ、用意せえ」
「何をや、酒か?」
「オマエはアホか、朝飯後の薬やないか」
「ひえ~、すっかりそれを忘れとったがな」
「オマエな、早めに医者に行けよ、その歳でボケたら、えらいことやぞ。それからな、医者に行く時な、保険証持っていくのん忘れたらあかんで」


落合さとこイラスト1

2. 「それが世の中の仕組みや」の巻

地元の名物“佐々並うどん”で、山芋月見生醤油うどんをつくりました。ハルシは予想どおり、ダシが少ないと文句を言います。

「このうどんは、こういうもんなんや。汁は少ないけど、全部飲めよ。化学調味料を使わんと、鰹と昆布で丁寧にダシとったんやから、栄養あって、体に悪うないんやからな。タマゴも高い、ええタマゴやからな」
「汁なんか、どこにあるねん」
「これは、こういうもんなんやっ、ちゅうねん」
「こんなうどん、ワシ、生まれて初めて食うたわ」
「初めてやない。今までに何回も食わせてる」
「ワシは、初めてや」
「ちゃう」
「ちゃうことない」
「ほんなら治(はる)っさん、ワシと治っさんの、どっちがボケとるか勝負しょっか」
「おう、したら、どこからでもかかってこんかい」
「ほんなら、今日の昼、病院(デイサービス)で何を食うたか言うてみい」
「オマエは、アホか、小次郎敗れたりや。すでにもうワシの勝ちやな」
「どういうこっちゃねん」
「今日の昼、ワシが病院で何を食うたか、オマエが知ってるはずないやないかい」
「うっ……いや、このな、通信簿に、ちゃんと書いてあるんや」
「そんなもん、書いてへんわい。そこに書いてあるんは、昼飯を全部食うたかどうかだけや」
「…………」
「まあ、武士の情けで教えたるわ。今日の昼に食うたんは菜っ葉(なっぱ)や、よう覚えとけ」
「参りました」
「オマエは、ほんまにアホやのう。 毎日な、カレーの日でもなんの日でも、菜っ葉は出るんやで。そやから、『菜っ葉』ゆうといたら、全部正解なんや。それが世の中の仕組みや、よう覚えとけ」


落合さとこイラスト2

3. 「シュッシュッポッポ汽車が走る」の巻

「どないや、今日の味は?」
「うん。これはなかなか美味いわ」
「ええダシが出とるやろ?」
「やっぱり関東炊き(かんとだき。おでんのこと)は、スジ肉でないとあかんわな」
「そや。今日は国産のスジ肉を、たっぷり800g、一気に煮込んだからな」
「スジ肉も、これ、わしの歯ぁでも食えるくらいに柔らかいで」
「そうや、さっき炊事場で汽車が走ってたやろ?」
「シュシュシュシュ、ポッポッポッポゆうてたんは、アレ、汽車やったんか?」
「よう似たもんやがな、圧力鍋ゆうてな、気圧をあげて炊いたらな、料理が早よう出来て、しかも中まで柔らこうなるんや」
「そうか。さすがにここは田舎やのう。家の中まで汽車が走りよるんか……」
「そやから、圧力鍋の蒸気がシュポシュポゆうて、汽車みたいな音をたてて、この関東炊きが出来たわけや」
「なるほどな。そら駅弁かってそうやけど、汽車の中で食うたら、何を食ったかて、美味いわなあ」
「もうええわ」

 

 

▼前回までの記事

進退ここに極まれり 不良中年の私が厄介な父を引き取った理由|父と息子の漫才介護①
予想外の珍ケース! 嫌われ者だった父の性格が穏やかに!?|父と息子の漫才介護②
認知症の父との会話 なんとも言えない「面白さの粒子」に気づく|父と息子の漫才介護③
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写真:PIXTA

この記事の提供元
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著者:久保研二

久保研二(くぼ・けんじ)
作家(作詞・作曲・小説・エッセイ・評論)、音楽プロデューサー、ラジオパーソナリティ
1960年、兵庫県尼崎市生まれ。関西学院中学部・高等部卒。サブカルチャー系大型リサイクルショップの草創期の中核を担う。2007年より山口県に移住、豊かな自然の中で父親の介護をしつつ作家業に専念。地元テレビ局の歌番組『山口でうまれた歌』に100曲近い楽曲を提供。また、ノンジャンルの幅広い知識と経験をダミ声の関西弁で語るそのキャラクターから、ラジオパーソナリティや講演などでも活躍中。2022年、CD『ギターで歌う童謡唱歌』を監修。
プロフィール・本文イラスト:落合さとこ
https://lit.link/kubokenji

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