医師から「こんな人の手術はしたくない」と言われてしまうほど、勝手気ままで手に負えない84歳の父。「ゴミ屋敷の実家」「片道7.5時間の遠距離介護」といった悪条件下で、約1年半におよんだ介護のありのままの様子を連載します。
大量の骨董品と植木鉢(盆栽)があふれ返るゴミ屋敷と化す実家で、父は自由気ままに一人暮らしをしていました。
そんな父が横行結腸がんの手術をしたのが2022年6月のこと。がんの宣告を受けた際、手術を受けると言ったり、やらないと医師に怒鳴ったり、検査を拒否して病院で大暴れしたりすることもありました。そうしているうちに、医師から「院内から、こんな人の手術はしたくないという意見も出ています」と言われてしまいます。
また、こんなこともありました。父が手術で入院しているとき、警察から電話が――。一人暮らしの父が家の中で倒れていないかと心配してくださった知人から連絡が入り、家まで行ったら鍵が開けっ放しだったとのこと。警察から注意され、父にその旨を伝えると、「いつも鍵は閉めていないから大丈夫」とのこと。言うまでもなく、父の介護を始めるうえで、真っ先に着手したことは「実家の玄関の鍵をつくること」でした。
ついでに、外に置いてある植木鉢が歩道にはみ出ていることも警察から指摘され、父に伝えましたが同じく聞き入れてもらえませんでした。その後、その植木鉢が原因で要介護認定を受けることになるとは知らずに――。
私は大阪に住んでおり、父の住む栃木まで片道7時間半もかかります。そのため、電話が主なコミュニケーションツールでした。
固定電話は解約していたので、携帯電話が連絡手段になりますが、父は携帯電話を充電せずに放置していたり、外出時に持ち歩かなかったり、電話に出ないことの方が多かったです。大阪から実家に行く連絡をしようとしてもつながらず、前日まで電話がつながらないこともありました。
電話で都合の悪い話になると、「そういう話はしないで」「今、気持ち良く晩酌しているから、そういう話はしたくない」と言って電話を切ったり、携帯電話をそのまま放置したりしていました。電話だけでは伝えたいことを伝えられません。
怒り始めると会話にならないので、私から電話を切ることもありましたが、5分くらい経ってから掛け直すと、お互いに冷静に話し合えることもありました。電話では思うように意思疎通ができない半面、都合が悪ければお互いに電話を切ってしてしまえばいいので、それ以上言い合いがヒートアップせずに済むというメリットもありました(笑)。
手術をしてから8ヵ月後の定期検診で、がんが肝臓と脾臓に転移していることがわかりました。その後、2023年3月に余命3~6ヵ月と宣告され、これ以上積極的な治療をしない、という無治療の方針が決まります。父自身、この方針で納得していると思ったら、「俺の思う通りに治療したい」と言って、病院を変えては暴言を吐くのを繰り返し、結局元の病院に戻ることに。
見かねた私は、「最終的に治療方針を決めるのは、体のことを一番よくわかっている先生だよ」と説明しても、「そんなことはない!」と聞く耳を持ちません。
父の希望は「気休めでも経口抗がん剤治療をやりたい」というもの。それが治療方針の選択肢の一つにあればよかったのですが、気休めではどの病院でも対応してもらえません。とはいえ、無治療という選択でよかったのか、私自身も思い悩むことがありました。
そんなとき、主治医が抗がん剤に変わる「イベルメクチン錠」を紹介してくださいました。海外輸入しているサイトで早速注文したところ、父から注文を取り消して欲しいと連絡が。「具合が悪くなる薬は飲みたくない」と言うのです。「この薬は、抗がん剤じゃないから副作用はそんなにないよ」と説明しても、「飲みたくない」の一点張り。
あれほど経口抗がん剤を飲みたいと先生とケンカをしていたのはなんだったのかと、唖然としました。しかし、これがきっかけで、父の性格からして副作用で具合が悪くなる治療を続けられるわけがないと確信し、無治療の選択は間違っていなかったと思うことができました。
2023年6月、ろれつが回らなくなったため入院することになりました。病院から、父が自ら運転して受診をしに来たという電話がありました。具合が悪いのに自分で車を運転するなんて危ないですよね。看護師さんから、本人が何を話しているか半分くらい聞き取れないが、言っていることは理解していると説明されました。
次の日には、ほぼ話ができるようになり一安心。翌週までは入院してくれるかなと期待していたけれど、一抹の不安は的中。父は、体が元気になれば病院でじっとしていられません。主治医から、翌週娘さんが来るからと説得されても、点滴通院するという約束ですぐに退院してしまったのです。
父は退院してしまいましたが、私は病院へ行き、主治医から「脳梗塞は再発する可能性がある」「肝臓は痛みを感じにくい臓器なので血管が破裂して突然命を落としやすい」ということを聞き、家に帰ってから父に説明しました。
2023年10月、車から降りる際にひざをひねって痛めてしまい、要介護認定を受けることになりました。
ひねった原因は、駐車場に埋めつくされた植木鉢(盆栽)で、足を置くスペースが十分にとれなかったのです。何年も前から、屋内外にあふれ返るものがケガの原因になるからと訴えていましたが、聞く耳を持たずにどんどん増える一方。いつしか実家は、屋外は盆栽、屋内は骨董品であふれ返るゴミ屋敷となり、マスクなしではいられないほどの衛生環境になってしまったのです。
父は主治医に「面倒をみてくれる病院に入院したい」と言ったところ、まずは要介護認定を受けるようにすすめられました。
その際に付き添った姪っ子が、その日のうちに地域包括支援センターに相談をしに行ってくれて、翌日医師の指示書を書いてもらい、2日後に認定調査を受けました。認定調査の担当をしてくださった看護師さんから確認のための電話連絡が入り、介護認定調査まで1ヵ月かかると聞いた父は、「末期がん患者に1ヵ月待てと言ったら、その間に死んでしまう!」と大声で激怒。その後、私が謝罪したのは言うまでもありません。
ことあるごとにトラブルを起こす父。私はあと何度謝罪すればいいのかとげんなりしていました。しみじみと「痩せたなぁ」と言う父に対して、「お父さんのせいで私も痩せました」と言い返しました。
こうして、自分の思い通りにならないと気が済まない父に振り回され、まったく折り合いがつけられない遠距離介護がスタートしました。
父は、介護がスタートしてからも数々の事件を起こしていきます――。(次回へ続く)
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・最期の看取りはどこで迎える!?|手に負えない父の介護体験記③
・遠距離介護を終えて やってよかったこと|手に負えない父の介護体験記④
著者:中川恵子
医療・介護・健康専門ライター。
金沢大学医療技術短期大学卒業後、自治医科大学附属病院リハビリテーション科へ従事。その後、労災病院、老人保健施設、有料老人ホームなどで、25年ほどリハビリの仕事に携わる。現在は、訪問リハビリテーションに従事しながら、理学療法士の資格を持つ医療・介護・健康専門ライター・講師として活動。