遠距離介護をしていると、介護する側もされる側も、時間の制約から「目の前の大事な話」を優先しがちに。しかし、ふり返ったとき思うことは「もっと他愛ない話をゆっくりしておけば良かった」ということ。連載最終回は、壮絶な遠距離介護生活をふり返り、娘の率直な思いを綴ります。
2023年10月から利用し始めた介護サービスは、キッチンと寝室の大量の物を減らすきっかけになりました。父には「訪問介護の方が掃除や料理をしやすいような空間をつくろう。掃除をして部屋がきれいになったら、咳が減ってお父さんも楽になるよ」と、父のことを思っているようなニュアンスで伝えました。
そうすることで、「恵子は、俺のことも心配してくれてそう言っているのか」と納得してくれて、(処分は認めないかわりに)人に譲ることには合意してくれました。
けがをして調子が悪くなったときは、意識がもうろうとし、判断力も鈍くなっていたので、物への執着も一時的に薄れていたように感じます。
要介護認定の申請時にお世話になった姪っ子に骨董品を分けてあげたらとすすめたところ、「骨董品の良さなんてわからないだろう」と一蹴。「年をとればわかるようになるよ」と促すと、父は機嫌よく骨董品を選び始め、桐箱入りの器を20点ほど減らすことができました。
その後も、私は「女優」になって、「旦那の実家に置かせてもらえるから、器だけではなく家具なんかもあげたら?」とすすめました。
父は、「〇〇さんの実家に置いてもらえるのか、それはいい考えだ」と乗り気。嘘も方便とはこのことです。譲るのではなく、売りに行って処分しましたけどね(笑)。おかげで、キッチンの器と家具の一部を外に出して、空間をつくることに成功しました。同じように父を説得し、屋外にある古い物置等も撤去。なんとか1台分の駐車スペースを捻出しました。
ゴミ屋敷では、重要な書類や貴重品の管理が難しくなります。大事なものがどんどん埋もれてしまい、置く場所がないのです。実際、父は保険証がどこにあるのかわからなくなって再発行していたらしく、片づけていると何枚も出てきました。
そこで、デイサービスで使う連絡袋を「貴重品入れ」として兼用することにしました。外出するサービスはデイサービスだけだったので、外出先で緊急搬送されたとき、「必要なモノはすべて連絡袋に入っている」という状態をつくりました。
入院するとき、父に「保険証は?」とたずねると、「あっ」と言って、枕元に置いてあった袋をすぐに見つけることができたので作戦成功です。
父から大事な話があると言われ、何だろうと思ったら案の定、骨董品の話です。余命6ヵ月と言われて、ちょうど6ヵ月経った9月頃のことです。父は話しながら、「お父さんの遺品」というタイトルで紙になにやら書いていきます。紙に挟んでどこかにある「版画・美人画」が本物かもしれないので探してほしいということでした。
江戸の美人画で有名な人を検索すると、「喜多川歌麿」がヒットして、その人のものではないかということで落ち着きました。骨董品よりもっと大事な話があるだろうと思いましたが、ここはしっかりお付き合いしました。
看取り入院が決まると、ケアワーカーさんから今後のことについてお話がありました。葬儀屋さんを決めましょうという話です。
入院した頃、週単位で父の体調が悪化していたので、お話を聞いてからすぐに行動に移し、火葬式ができる葬儀屋さんを選びました。 私は実家を離れて長いし、父の知人は誰が誰だかわからないので、父には「葬儀は家族葬でいいか?」と聞き、了解を得ていました。
死ぬことに対し敏感だった父に、どのタイミングで聞いたらよいかと迷っていましたが、「お父さんの遺品」の話を聞いた後に、今がいいかなと思ってたずねたのです。
さらに、母のお布施代はどれくらいだったのかなども聞きました。 父は「コロナの影響で横のつながりが希薄になって誰が亡くなったかがわからない、だから、自分が亡くなったときは新聞にはその知らせを出してほしい」と希望していて、その願いはきちんと叶えることができました。
お布施代の話が出たついでに、「家は更地にして、仏壇は大阪に置くことになると思う」と伝えたところ、父は怒る怒る。
父はいったん怒り始めたら、その後話し合いにはなりません。「借地権付きの実家を残して欲しい」と言いますが、誰も住む予定のない家を、毎月地代を払って残しておくことはできません。それに、近くに住む妹、姪っ子、甥っ子が位牌を守ることができないのであれば、仏壇は大阪に移動するしかありません。
父の希望は叶えられず、仏壇の部屋を片付けていたら、父が東京の理容学校に通っていたときの定期券や領収書が出てきました。なんと、単身赴任中の夫のマンション近くに住んでいたことが発覚。今は、賃貸マンションに建て替えられていましたが、早くに実父を亡くし、貧乏学生だった父が暮らしていた場所がわかったことで、しばし当時の父に思いを馳せることができました。
ふり返ってみると、私は「しなければならないこと」に追われたり、父が引き起こす後始末に疲れ果てたりして、父と楽しくおしゃべりをする時間がとれなかったように思います。
父の願いをすべて叶えてあげられなかったけれど、天国で「しょうがないなー、でも、大阪もまぁまぁかな」と笑ってくれていることを願うばかりです。
▼前の記事
・「ゴミ屋敷」で遠距離介護スタート|手に負えない父の介護体験記①
・娘からの提案をかたくなに拒否|手に負えない父の介護体験記②
・最期の看取りはどこで迎える!?|手に負えない父の介護体験記③
著者:中川恵子
医療・介護・健康専門ライター。
金沢大学医療技術短期大学卒業後、自治医科大学附属病院リハビリテーション科へ従事。その後、労災病院、老人保健施設、有料老人ホームなどで、25年ほどリハビリの仕事に携わる。現在は、訪問リハビリテーションに従事しながら、理学療法士の資格を持つ医療・介護・健康専門ライター・講師として活動。