在宅介護の末、ようやく施設入居にたどり着いても、新たな壁が立ちはだかることがあります。これまでほとんど関わらなかった家族や親族が、急に口を出してきたり、理不尽な批判を浴びせてきたりすることがあるのです。

「どうして私ばかりが……」という思いは、声にならないまま心に積もり、怒りや悲しみとなって私たちを追い詰めます。本当は理解してほしいのに、思いは届かない。寄り添ってほしいのに、逆にかき乱される。そんな現実に直面する方もおられるでしょう。

けれども、知っておいてほしいことがあります。相手を変えることは難しくても、自分の心を守る方法はあるのです。

1. 事例から学ぶ:Tさん(60代・主婦)のケース

関東在住のTさん(60代・主婦)は、夫と義母(90代)との3人暮らし。義父はすでに他界しています。義母は足腰が丈夫で口も達者ですが、10年以上前から物忘れの症状が見られるようになりました。Tさんは長年一人で介護を担ってきました。

夫も、定年後は介護を手伝ってくれるようになりましたが、その分義母との衝突も増え、Tさんに心休まる日はありません。昨年、義母は転倒や一人歩きでの行方不明が重なるようになり、要介護4と認定されました。ケアマネジャーからも「そろそろ限界ですよ」と助言を受け、隣接市の有料老人ホームに入居することが決まりました。

義母は当初「私を捨てた!」と大騒ぎしていましたが、3か月ほどで笑顔も戻り、施設での行事にも参加するように。Tさん夫婦も毎週末に面会に訪れ、新しい生活に慣れていく義母を見守っていました。

一安心した矢先のことです。義妹が突然訪ねてきて「母を家に戻すか、近くの施設に移すべきだ」と怒鳴り込んできたのです。義妹は他県に嫁ぎ、これまで介護に関わったのは年に数回。それなのに「面会したら無理やり入居させられたと泣いていた。今すぐ出すべき!」と一方的に責め立てます。


責められるイメージ

ふだんは穏やかな夫も「何もしてこなかったのに勝手なことを言うな!」と声を荒げ、収拾がつきません。Tさんは冷静に、近隣施設は満床であること、義母が今は落ち着いて過ごせていること、すでに特養(特別養護老人ホーム)やグループホームにも申込み済みであることを説明しましたが、義妹は聞く耳を持ちません。夫は、義妹に対して毅然と「探すのも費用も全部お前が担うなら構わないが、口だけ出すのは筋違いだ」と言い切ってくれたものの、Tさんの不安は消えませんでした。

後日、施設スタッフから「義妹さんが転居の相談に来られました」との報告がありました。夫婦で改めて施設に出向き、「義母が落ち着いているならこのままで」「近くに空きが出れば検討する」との考えを伝えました。表面上は落ち着いたものの、Tさんの胸には義妹への怒りや悔しさが残りました。思い出すたびに動悸がして涙が止まらなくなることもあります。忘れようとすればするほど、苦しさは増していったのです。

2. 心の奥で疼き続ける「言葉にならない本音」を探り当てる方法

介護では、家族や親族の考え方や価値観の違いから、どうしても軋轢が生まれやすくなります。「どうしてわかってくれないの?」と腹が立ち、さらには「なんであんなひどいことを言うんだろう!」と、頭から離れなくなってしまうこともあると思います。

相手の言葉に深く傷ついた経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。トラブル自体は一応収まり、頭では「もう終わったこと」と理解している。けれども繰り返し思い出しては、胸が苦しくなる――。

そんなときは、まず呼吸を整えてみましょう。できるだけゆっくり息を吐き、また吸う。それを何度か繰り返すだけです。

理不尽な言動にさらされると、脳は戦闘モードに入り、ストレスホルモンが分泌されます。思い出すたびにイライラや怒りが再燃するのはそのためです。深い呼吸を意識することで、この悪循環を一旦断ち切ることができます。

少し落ち着きを取り戻したら、次の言葉を試しに口にしてみてください。

「誤解されたままでいい」
「自分の正しさを証明しなくてもいい」
「勝たなくてもいい、負けてもいい」
「嫌われてもいいし、相手から嫌われたままでも大丈夫」
「相手から好かれなくてもいい」

もし、何の引っかかりもなくスラスラと口にできるようであれば、それで十分です。もし、言おうとしたときに「うっ……」と詰まったり、「これだけは絶対言いたくない!」と強く抵抗を感じたり、言った後に胸がざわついたりする時は、まだ言葉にならない思いが、心の奥に隠れているサインです。

「相手をどうしても許せない」という感情の裏側には、実は別の思いが隠れていることがあります。

たとえば「誤解されたままはいやだ」「ちゃんと理解してほしい、わかってほしい」──そんな気持ちを強く抱きながらも、同時に「どうせわかってもらえない」と諦めている。あるいは、「好き勝手を言う相手に負けたくない!」という闘争心に火がつき、イライラを長引かせている。多くの場合、こうした思いは無意識の奥底にあり、自分でも気づいていないことが少なくありません。

そんな時は、心に引っかかった言葉を、次のように言い換えてみてください。
たとえば、「誤解されたままでいい」にモヤッとするなら、
→「誤解されたくない!」
「勝たなくてもいい、負けてもいい」に違和感があるなら、
→「負けたくない!」「私が正しい!」

このように「本当はこうしたかったんだ」「これは絶対したくないんだ」と、これまで言葉にできなかった気持ちを見つけて表現していくこと。これこそが、心をケアする大事なプロセスです。心理学やメンタルヘルスの分野でも効果があると報告されている方法のひとつです。

言葉にならなかった気持ちが見つかったら、次のステップです。

「私はこれを望んでいた。でも、相手は変わらない。だから私は苦しくて、悲しいんだ」

こうして自分の内側で起きていることを丁寧に言葉にできれば、不思議と緊張感や苛立ちは和らぎます。

「なんだか難しそう」と感じるかもしれません。でも入口はとてもシンプルです。まずはゆっくりと息を吐き、ゆっくり吸うことから始めてみてください。


深呼吸のイメージ

イライラの連鎖を一度でも止めることができれば、それだけで怒りやストレスは和らぎます。「相手の言動に振り回されている」と感じる心理状態から抜け出すきっかけにもなります。

大切なのは、相手を論破し、打ち負かすことではありません。「相手に振り回されている」という感覚から離れ、自分の気持ちや考えを自分でコントロールできている、という主体性を取り戻すことです。

そのために有効なのが、呼吸を意識すること。そして心の奥に隠れている気持ちを、丁寧に言葉にしていくことなのです。

このプロセスは「筋トレ」のようなもので、繰り返すことで確実に力になっていきます。

実際に、感情を明確にする取り組みを続けることで、ストレスに強くなり、気持ちを立て直す力(レジリエンス)が高まることも、数多くの調査で示されています。

もちろん、相手が状況を理解し、協力的になってくれることがあれば、それが一番望ましいです。けれども、介護によって生じる家族間の軋轢を一度に解消できる「魔法」のような方法はありません。関係性が変わるには時間がかかるものです。

だからこそ、どんなに絶望的に思えるときでも「今できる小さな取り組み」を続けることが、自分の心を守ることにつながります。

3. 「負けたくない!」が教えてくれた、痛みの正体

今回ご紹介したTさんが、大きく揺さぶられた言葉は「負けたくない!」でした。この言葉にたどり着いた瞬間、Tさんは泣き笑いのような表情で話してくれました。

「義妹に負けたくない! 好き勝手させたくない! って、私、闘いモードに入ってたんですね。私、人と争うのが苦手で、できるだけ避けてきたはずなんですよ。でも本音は『負けたくない!』『私が正しいことを思い知らせてやる!』って思ってたなんて、びっくりしました」

今まで言えなかった気持ちを言葉にしたことで、Tさんの心は軽くなったのでしょう。どこかすっきりとした笑顔を見せてくれました。

その後、かつては「別の施設に移すべきだ!」と強硬に主張していた義妹も、施設の相談員との対話を重ねるなかで少しずつ落ち着きを取り戻し、今はTさん夫婦に強い言葉をぶつけることはなくなったそうです。

「久しぶりに会ったお義母さんの変化に、義妹はショックを受けたんでしょうね。なんとかしなきゃ、と焦っていたのかもしれません」

Tさんは、今では冷静に義妹の気持ちを思いやれるようにもなりました。

人は他人を責めたくなる時ほど、自分を過小評価したり、無意識のうちに自分を責めてしまっているものです。だからこそ、自分の気持ちを言葉にして確かめることが大切です。

Tさんの体験が、もし今あなたが抱えているモヤモヤやイライラに少しでも重なるところがあれば、ぜひ参考にしてみてください。



画像(トップ)Generated with OpenAI ChatGPT
写真:PIXTA



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情報が介護を変える──福祉用具と専門家の力で父娘がつかんだ在宅復帰
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この記事の提供元
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著者:橋中 今日子

介護者メンタルケア協会代表・理学療法士・公認心理師。認知症の祖母、重度身体障がいの母、知的障害の弟の3人を、働きながら21年間介護。2000件以上の介護相談に対応するほか、医療介護従事者のメンタルケアにも取り組む。

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