介護やケアに関する書籍の著者さんに、本にまつわるお話をお聞きしていく企画。第4回は、ドキュメンタリー監督として、認知症の母と、妻を支える90代の父の姿を記録した信友直子さん。映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』は、多くの人たちに介護を「自分事」として考えるきっかけを与えてくれました。
今回は、お母さまの介護、看取りから、現在のお父さまとの二人暮らしまで、信友さんの心の軌跡を伺いました。
離れて暮らす親の変化に気づき、遠距離で介護がスタートする方は多いと思います。信友さんは仕事で東京、ご両親は広島県呉市で暮らしていました。
「母と電話で会話がかみ合わず、私が話したことを理解しきれていない様子に不安を感じて帰省してみると、やっぱり様子がおかしい。それから1年半ほど経って、アルツハイマー型認知症と診断されました。
離れて暮らしている分、心配なことだらけです。私はすぐにでも介護サービスの利用を、と考えたのですが、父は『わしがやる』と言い張って聞きませんでした。そして『直子は東京に仕事があるんだから、こっちのことは気にしなくていい』と。私は遠距離介護という形で、ちょくちょく呉に帰る生活をしていました」
親の「大丈夫」という言葉を信じたい気持ちと、離れて暮らす不安。信友さんは毎日電話を欠かさなかったと言いますが、後になって「実は大丈夫じゃなかったこと」もたくさん判明したと振り返ります。
「母がバイクにぶつかりそうになって怖い思いをしていたり、怪我をしていたり。親は娘に心配をかけまいと隠すんですよね。プロの目で定期的に様子を確認してもらうために、介護サービスが必要だと痛感しました」
お父さまには、長年連れ添った妻を自分が守るという「男の美学」がありました。しかし、老老介護の現実は大変なものです。
「母は本来、人が大好きで賑やかな性格。それが、父と二人きりの閉ざされた空間にいることで刺激がなくなり、うつっぽい状態になってしまったんです。認知症の症状も進んだように思います」
元々お父さまは耳が遠かったこともあり、お母さまは「お父さんが私の話を聞いてくれなくなった。私はおかしくなったと思われている」と孤独を深め、だんだん表情を失っていきました。
「私が帰省しても無表情で、まるでお面のような顔になってしまい……。一人で過ごす時間が長くなるほど『どうして私はこうなってしまったのだろう』と、母は自分を責めてしまったんですね。これでは信友家が立ち行かなくなると思い、私の判断で地域包括支援センターに相談しました」
父を説得したのは、娘の言葉ではなく、第三者である専門家の「援護射撃」でした。
まずはデイサービスを週一回、訪問のヘルパーさんを週一回、お願いすることにしました。
「父も母の変化には気付いていたと思うんです。でも、ふさぎ込んでいる母にどうしていいのか分からず、父も不安だったのだと思います」
デイに出かけるようになったお母さまは、みるみるうちに本来の明るさを取り戻していきました。
「それこそデイに行く日の朝は大変なんですよ。どこに連れていくつもりだ、私を厄介払いするつもりなのかって(笑)。でも出かけてみると、楽しいんです。デイでは時間割のように次から次へといろんなプログラムが用意されているので、歌ったり、何か作ったり、母はそれを一生懸命やっていました。
映画にも出てくるのですが、デイで仲良くなった女性もいて、母と同じ女学校の出身だったんです。デイに行くたびに『初めまして』と挨拶して、女学校トークで盛り上がっていました。昔の記憶は残っているんですよね。だから話が弾むこともうれしかったようです」
最初は介護サービスを断っていたお父さまでしたが、お母さまの様子に安心し、気持ちに余裕ができたようです。
信友さんは両親の記録として二人の様子を撮影することを始めました。それが思いがけず信友さん自身の救いになったと言います。
「カメラを回している間は、ちょっと距離をおいて客観的になれたんです。もし娘としてだけで接していたら、イライラしたり、情けないと泣いたりしていたかもしれません」
また、エッセイとして言葉にしたことで、ご自身の気持ちに気が付けたことも。
『あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント』(文藝春秋)
「映像はただ目の前の出来事を記録していきますが、エッセイは改めて自分の気持ちを言葉にする作業です。私は母に対して、父に対して、こういう風に思っているのだなと、言葉を紡ぎながら気が付けた部分は大きかったです」


写真は上から、お父さま、お母さまの様子を撮影する信友さん。外出中のお父さまとお母さまの様子。そして、生後間もない信友さんとお母さま。©「ぼけますから、よろしくお願いします。」製作・配給委員会
『ぼけますから、よろしくお願いします』
監督・撮影・語り:信友直子
製作・配給:ネツゲン・フジテレビ・関西テレビ 本編102分 製作年:2018年
映画監督である「私」が、広島県呉市で暮らす高齢の両親を追ったドキュメンタリー。乳がんを患った自分を支えてくれた母に認知症の兆しが現れ、90歳を超えた父が家事や介護を担う日々が始まる。「あんたは仕事をせい」という父の言葉に背中を押され、娘として、制作者として家族の変容を記録し続けました。どの家庭にも起こりうる老いと介護の現実を、ユーモアと愛情を交えて丹念に描いた作品。
映画のタイトルにもなった「ぼけますから、よろしくお願いします」というお母さまの言葉。それは自分の変化を自覚し、誰よりも不安を感じているからこそ出た言葉でした。
「母はもともとジョークを言ったりユーモアのある人ですが、その言葉を聞いて、あぁこんなに心を痛めていたんだなと気が付きました。家族が認知症になる前は、それこそボケちゃったら、たとえ出来ないことがあったとしても、自分でそのことを分からないのでは?と考えていました」
でも実際は、出来ないことが増えていくたびに不安を感じ、家族や周りの人に対して「自分は迷惑をかけているのではないか」と心配になっているのです。そのことに気付いた信友さんは、お父さまとこんな約束をしたそうです。
「私たち家族は、ごきげんでいよう、ニコニコしていよう、と父と決めたんです。私たちが笑顔でいれば、母に不安な思いをさせずに済むのではないかと思ったんです」
ご両親の映像をテレビで放映することが決まり、信友さんは意を決してご近所に「母は認知症なんです」と伝えました。それまでは「偏見の目で見られたらどうしよう」と隠していましたが、反応は意外なものだったといいます。
「ご近所さんから『あんたたちが隠しとるから言えんかったけど、ずっと心配して気になっとったんよ。言ってくれてよかったわ』と怒られたんです(笑)。
それからは、私が東京にいる間も父を助けてくれたり、おかずを届けてくれたり。地域に頼れる人が増えました。今や人生100年時代。認知症は誰にとっても、いつ自分の身に起きてもおかしくない『自分事』だと感じている人が多いのですね」
隠すのをやめた瞬間、周囲の優しさが可視化される。それは介護家族にとって大きな安心になりました。
「映像を公表することを許可してくれたのは母です。映画がきっかけで、父は地域の人からたくさん声をかけてもらえるようになりました。ある意味、母の置き土産だったのかもしれません」
お母さまが脳梗塞で入院する直前、家族3人での最後のお出かけ
お母さまは2018年に脳梗塞で倒れ、そこから入院生活が始まりました。2020年にはコロナ禍に突入。面会が一切できない日が2ヶ月半も続きました。
「父が来なくなったことで、もしかしたら母は『お父さんは死んだんじゃないか』と気力をなくしたのかもしれません。面会が再開された初日が、奇しくも母の危篤となった日だったんです」
久しぶりの再会を果たしたお父さまが「お母さん!」と声をかけました。そこから2週間、信友さんとお父さま様は毎日病室へ通い、楽しかった家族の歴史を語りかけました。
「あの2週間は、3人で信友家の歴史をたどり直すような時間でした。病院で話した後、家に帰ってからも、父と思い出話に花が咲いて。もしコロナで私の仕事が中止になっていなければ、こんなにずっとそばにはいられなかった。きっと母が私に『ここにいなさい』と言ってくれたような気がします」
『ぼけますから、よろしくお願いします。おかえりお母さん』(新潮文庫)
現在の信友さんは、最近要介護5の認定を受けたお父さまと、呉で暮らしています。
「父は私のことをよく気遣ってくれます。毎晩寝る前に『お父さん大好きよ』と伝えるようにしているのですが、父も『わしも直子が大好きだよー』と言ってくれるんです。そんなやり取りがあるだけで、日中に何かあっても、ささくれだった気持ちが溶けていきます。これ、介護をしている皆さんにおすすめですよ」
介護は、世間では「大変」とネガティブに語られがちですが、信友さんは「今の時間は宝物」だと言います。
「大変なこともありますが、父の可愛らしい表情や、今まで知らなかった考え方を深く知れるチャンスだなと感じています。永遠に続くわけではないこの時間を、今は味わい尽くそうと思っているんです」
介護に向き合う方へ、信友さんはこう結びました。
「絶対に、家族だけで抱えこもうとしないで。ヘルパーさんを頼るのは、自分が楽をするためではなく、本人に笑顔を向ける余裕を作るため。上手に外の力を借りて、笑顔で過ごせる時間を一分でも長く作ってほしいですね」
介護サービスをお願いするまでの葛藤や、身近な人が認知症や病気になって初めて知る気持ちなど、ケアに携わる人たちが共感できるようなお話をたくさん伺うことが出来ました。
介護は周囲できっと起きているはずですが、よその家のケアの話を聞く機会は、日常生活で多くはありません。だからこそ、信友さんの映画やエッセイは多くの人の心に響いたのだと思います。
信友さんはお父さまと過ごす今を「宝物」と表現されていましたが、私自身も母の介護をしていた頃「こんなにも二人でじっくり話す機会はなかったな」と思うことがよくありました。大変だったけれど、あの時間があって良かった、と感じています。
信友さんからオンラインでお話を聞かせていただいた後、お父さまが画面に登場してくれました。そしてにっこりと笑顔で、手を振ってくださいました。
「好きだよ」という気持ちを、素直に伝えるのは少し照れくさいですが、言葉にすることで生まれるあたたかさが、画面の向こうから伝わってくるかのようでした。
写真:信友さんより
●信友直子(のぶとも・なおこ)
1961年広島県呉市生まれ。1984年東京大学文学部卒業。1986年から映像制作に携わり、フジテレビ「NONFIX」や「ザ・ノンフィクション」で数多くのドキュメンタリー番組を手掛ける。「NONFIX 青山世多加」で放送文化基金賞奨励賞、「ザ・ノンフィクション おっぱいと東京タワー~私の乳がん日記」でニューヨークフェスティバル銀賞・ギャラクシー賞奨励賞を受賞。他に、北朝鮮拉致問題・ひきこもり・若年認知症・ネットカフェ難民などの社会的なテーマから、アキバ系や草食男子などの生態という現代社会の一面を切り取ってきた。2022年には『ぼけますから、よろしくお願いします。』の続編『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえりお母さん~』(2022年)が公開された。
公式HP https://naokonobutomo.com/
この著者のこれまでの記事
・認知症になっても、母は母のままだった|脳科学者・恩蔵絢子さんが出会い直した母の姿
・18歳で始まった介護――町亞聖さんが見つけた“受援力”という生き方
・「何事もなかったかのように介護したい」| 介護作家、工藤広伸さんに聞く
著者:小黒悠(おぐろ・ゆう)
ケアする本屋「はるから書店」店主。20代後半に始まった介護経験を活かして、介護に「やくだつ」本と、気持ちの「やわらぐ本」をセレクトしています。元図書館司書。古い建物と喫茶店がすき。平日は会社員、ときどきライター。
・はるから書店公式HP https://harukara-reading.stores.jp/
・はるから書店・小黒悠note https://note.com/harukara/