あなたの半径3m以内にもいるかもしれない!? 毒親未満の母と娘の関係性について考える連載。家事や妹たちの育児に奮闘する母親に本心が言えなかった娘。そのうえ母親は娘の夢や職業を受け入れてくれなかった。ところが50代でメンタルのバランスを崩した娘が医師から受けたアドバイスにより、母と娘の関係性に変化が表れて……。
誰にでも理想の母親像というものがあると思います。マンガ家のHさんは実の母親でなく、結婚して家族となった義理の母親が理想の母親像そのものでした。
嫁であるHさんのマンガ家という仕事に理解を示し、文化的な話題で盛り上がったり、自身も歌を詠むといったクリエイティブな趣味を持っていた義母。同居していたため、2人で台所に立てば優しく料理を教えてくれ、義母が元気なころには2人で出掛けるなど、本当の娘のようにHさんを可愛がってくれました。そのため、義母が認知症になっても6年間の在宅介護を担い、それを苦に思ったことはないといいます。
一方、実の母親はマンガの仕事は趣味の延長だとして「身内で趣味を仕事にした人はいない」とHさんがマンガ家になったことを快く思っていません。80代になったいまでも絵を習いにいくなど、絵を描くことを生業にしている娘にライバル意識を抱いているのではとHさんは感じることがあるそうです。
その背景には、戦中に生まれた母親はきょうだいが多く、決して裕福な家庭でもなかったため自分のやりたいことができなかったという環境が影響しているのではとHさんは考えています。父親はHさんの夢に理解を示したり、マンガ家になったHさんを認めてくれていますが、母親はHさんが好きなことで成功したり、好きなように生きていることを認めることができなかったのかもしれません。
年齢が近い三姉妹の長女であるHさん。物心がついたころには、母親が家事と妹たちの世話で常に忙しくしていたため、母親に甘えることができず、心のうちを話すことができませんでした。母親は姉妹全員を平等にかわいがったと言いますが、公立の学校の受験しか許されなかったHさんに対して、妹たちはあっさりと私立の学校に進学させてもらえるなど、母親の言動には疑問を抱いています。
高校卒業後、マンガ家になりたくてもそれを言い出せず、親を安心させようと、手に職を付けることができる寮制の東京の学校へ進学します。親からの仕送りがなかったため、学校に通いながらマンガ雑誌に投稿してお金を稼ぐなど、勉強とマンガ家という夢を叶えるため、寝る暇もなかったそうです。
結婚後も資格を活かした仕事を続け、また、義母を介護したことで興味を持った福祉の仕事をしながらマンガ家としても活躍するという二足の草鞋生活を続けたHさん。しかし、大好きだった義母が亡くなったことや、コロナ禍で混乱を極めた福祉の仕事でメンタルのバランスを崩し、福祉の仕事もマンガの仕事もできなくなってしまいました。
そのとき受診したメンタルクリニックの医師は、問診などから母親の刷り込みが人生に大きく影響しているとしてHさんに「母親に本心を言いなさい」というアドバイスしたのです。このアドバイスにより母親に本心をぶつける覚悟を決めたHさんは、50代になって初めて母親に対しての反抗期を迎えたと意識したそうです。
そして、Hさんは未だにマンガ家である娘のことを快く思っていない母親に「自分の人生だから好きにさせて!」と、ずっと思っていたことを伝えました。続けて、メンタルのバランスを崩した娘を心配する母親に「迷惑を掛けてごめんね」とハグをしたのです。Hさんはそんな自分の行動を、まるで小学生に戻ってアダルトチルドレンを克服したような行動だった、と振り返ります。
一方、いきなり娘にハグされた母親は身をすくめて「殺されるかと思った」と言ったそうです。その言動に、Hさんは母と娘の関係性がそこまで拗れてしまったという現実を突き付けられ、以降は関係性を再構築するために母親に思ったことは伝えていこうと心に誓ったのです。
Hさんと母親は、現在ではお酒を飲んだときなどに、親子としてお互いに思ったことを言い合っているそうです。50代になって初めて自分の思っていること母親に言えるようになったHさんは、母親も自分の言いたいことを言わない人なのだと感じたそうです。というのも、母親も娘の前では良い母親を演じようとしており、HさんはHさんで勝手に母親を神格化するなど、親も娘も自分の首を絞めているところがあったことに気が付いたためです。さらに、母親は自身の母親(Hさんの祖母)に対して、Hさんが幼いころから母親に抱いていたような思いを持っていることもわかりました。母親も母親の愛に飢えていたのです。
そこで、Hさんは母親に母親への文句を言わせるようにし、文句ばかりではなく、姉妹が集まったときには母親が封印していた将来の希望などの話もしてもらったそうです。こうして母親と向き合う日々について、Hさんは母親が生きているうちにそれができて良かったと心底思い、コロナ禍以降に新生母娘として、とても良い関係性になれたといいます。
介護直前の80代の母親を持つ娘として、わだかまりをもったまま母親の介護生活に突入するところだったHさんですが、ギリギリのところで危機を乗り越えたと考えています。
それでも実の母親の介護に対しては不安があるそうです。自分のことを育てておらず、血の繋がりのない義母には、どれほど大好きであってもヘルパー的に割り切って接することができたのだそうです。しかし、自分を育て、血の繋がりのある母親にもヘルパー的に割り切って関わることができるかどうかはわからないといいます。そのうえ、子どもの前ではいつまでも母親でいたい母親が、娘にオムツを替えさせてくれるかどうかという懸念もあります。
それでも、娘にハグをされて「殺されるかと思った」という母親とお互いに思ったことを言い合い、新生母娘として新たな関係性を築いたHさんは、実の母親の介護も上手に乗り越えることができるのではないでしょうか。
著者:岡崎 杏里
大学卒業後、編集プロダクション、出版社に勤務。23歳のときに若年性認知症になった父親の介護と、その3年後に卵巣がんになった母親の看病をひとり娘として背負うことに。宣伝会議主催の「編集・ライター講座」の卒業制作(父親の介護に関わる人々へのインタビューなど)が優秀賞を受賞。『笑う介護。』の出版を機に、2007年より介護ライター&介護エッセイストとして、介護に関する記事やエッセイの執筆などを行っている。著書に『みんなの認知症』(ともに、成美堂出版)、『わんこも介護』(朝日新聞出版)などがある。2013年に長男を出産し、ダブルケアラー(介護と育児など複数のケアをする人)となった。訪問介護員2級養成研修課程修了(ホームヘルパー2級)
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