これは、50代の息子(私・久保研二〈ケンジ〉)と80代の父(久保治司〈ハルシ〉)が交わした日々の断片の記録です。舞台は、山口県の萩市と山口市のほぼ真ん中に位置する山間部・佐々並(ささなみ)地区にある、築100年の古民家です。アルツハイマー型認知症の父は、デイサービスにも慣れ、ショートステイの予行演習もうまくいき、外ではすっかり“良い子”にしているようです。しかし、家の中では相変わらず息子に悪態をつく父なのでした。
人間の一生は、晩年になって初めて、自分自身で「いい人生だったか、そうでなかったか」が自覚できるものなのかもしれません。言い方を変えれば、若いうちにはさっぱりつかみどころがない、ということです。
我が父、ハルシは、「自分ほどいい人間はいない」と、生涯言い続けてきましたが、同時に、「自分は不幸だ」とも言い続けてきました。
生き方及びその思考に、ポジティブとネガティブがあるのなら、ハルシは200%、ネガティブ思考です。物事を決してポジティブに捉えることができません。その結果、このような晩年を迎えることになりました。
ハルシの晩年がきっとこのようなことになるということは、まわりの誰の目にも明らかでした。そして、誰もがさんざん注意・忠告をしてきました。
いまさらどうすることもできない晩年のハルシを見つめて、「いったいなぜ、ここまで生きるのが下手な人間が存在するのか?」と、ただただ哀れでなりません。
ハルシは、浪曲師の広沢虎造が好きで、(「清水次郎長伝」の)森の石松のくだりが、大のお気に入りでした。そこで何度も、「馬鹿は死ななきゃ 治らない~」という台詞(セリフ)を聞いていました。
それが、まさに自分のことだということに、結局最後まで気付かないまま、一生を終えることがほぼ確定しています。なぜならすでに、改善、後戻りが不可能な、アルツハイマー型認知症が進んでいるからです。
ハルシのネガティブ発言が延々と続きます。
「わしは、幸せやなかった」
「親戚は、みんな揃って、わしをいじめよる」
「子どもや孫も、自分に寄りつかん」
「嫁はんは、追い出さなあかんほどの悪人やった」
「親は末っ子のわしに、財産を残さんかった」
「おまけに、自分の長男は、特にできそこないや」……
不幸のネタは、まだまだ在庫が豊富にあります。そこで優しい長男は答えます。
「自分の人生は、自分の力で、変えていかなあかんかったんと、ちゃうかい?」
「もっと早く、自分のミスに気付くべきやったんと、ちゃうかい?」
「謙虚、反省、思いやり、学習、向上心、子どもへの配慮と愛情が、特に不足というか、皆無やったんと、ちゃうかい?」
一方、35年前にハルシが放り出した妻。つまり私の母親は、あくまで風の便りですが、再婚した若い相方には先立たれたものの、本人はいまだに健康そのもので、一切ボケもせず、パワー全開でカラオケにのめりこんで、遊び回っているそうです。
そのハルシの元妻の口癖は、
「人生、おもしろないと、なんの意味もない」
「棺桶まで、金は持って行けん」
というのだから不思議です。ハルシがかつて築いた夫婦間の性格不一致は、実にはなはだしいのです。
長嶋茂雄の迷言に、「勝負は、家に帰って、風呂に入るまでわからない」というのがあるそうです。しかし野球では絶対にそんなことはありません。ゲームが終わってベンチから引き上げる時には、確実に勝負はついているのです。
しかし人生の勝負は、棺桶に入るまで、ホントにわからないのかもしれません。
今日の晩御飯は、昨日の残り物のカレーをパスタにかけてみることにしました。
残り物といって、馬鹿にしてはいけません。国産牛すじ肉を、コトコト煮込んだ関東炊き……まあ、おでんのようなものですが……その、たっぷり牛肉エキスが出まくった、残りの出汁で作ったカレーです。そんじょそこらのビーフカレーに、勝るとも劣りません。そのカレーを煮込みすぎて、ソース状になってしまったので、機転を利かせて、急遽パスタにかけることにしたのです。
マイルドに仕上げるために白ワインを足し、最後に粉チーズをふりかけました。うまいのですが……ハルシは、私が丁寧に盛りつけたパスタを、全部平たくのばします。パスタやったはずのものが、まるでお好み焼きのようになります。
熱いものを冷ます、というのがその理由なのですが、ハルシは決して猫舌ではないのです。現に、食事や飲み物の温度が低いと、すぐに電子レンジに入れろと言います。
「あのな、あんまり親に説教をしたないけどな、その食い方、下品やから、よそでは絶対にしぃなや」
ハルシは、無視します。
「あのな、せっかく、わざわざ、きれいに盛ってあるんやで。作った人に失礼やと思わんか?」
ここでハルシが、本来の、致命的な「我」を出します。
「この食い方が、一番上品なんじゃ!」
今までの私なら、ここでブチ切れますが、私もずいぶんと学習をしてきて、大人になりました。
「あのね、そういう態度がいかんのよ。人にまちがいを指摘されたら、素直にそれに耳を傾ける。人間、それが肝心。普段からそうしてたら、身内からここまで嫌われることなかったんやで……」
「わしみたいな上品な人間を、理解せんおまえらみんな、ドアホじゃ!」
「あのな、人間は一人で生きてるわけやないんやで。そやから、世の中にはそれなりのルールゆうもんがあるねんで。人の気持ちを理解する。想像する。それが大事やねん。それを、この世では、【教養】と言うんやで」
「わしは、そんなもん、関係あらへん!」
写真(トップ):ピクスタ
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著者:久保研二
久保研二(くぼ・けんじ)
作家(作詞・作曲・小説・エッセイ・評論)、音楽プロデューサー、ラジオパーソナリティ
1960年、兵庫県尼崎市生まれ。関西学院中学部・高等部卒。サブカルチャー系大型リサイクルショップの草創期の中核を担う。2007年より山口県に移住、豊かな自然の中で父親の介護をしつつ作家業に専念。地元テレビ局の歌番組『山口でうまれた歌』に100曲近い楽曲を提供。また、ノンジャンルの幅広い知識と経験をダミ声の関西弁で語るそのキャラクターから、ラジオパーソナリティや講演などでも活躍中。2022年、CD『ギターで歌う童謡唱歌』を監修。
プロフィール・本文イラスト:落合さとこ
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