母と娘の関係性とその介護について考える連載。今回は、いつも元気な母親から頼られる日はまだまだ先だと考えていたというYさんのお話。ある日、父親から体調不調の母親を助けて欲しいとSOSの電話が……。それから半年以上、新幹線で毎月実家に通い、両親との残された時間や親の介護について考えるようになる。

1. 母親が体調不良になって入った父親からのSOSの電話

80歳の父親よりも6つも年下で、いつも元気だった母親が自分を頼る日はまだまだ先だと思ってもいたというYさん(40代、会社員)。東京からUターンした両親と離れ、20歳から一人暮らしをしてきたYさんと妹に母親は、「何にもできないお父さんの面倒は私が最後まで看るから、あなたたちは何も心配しなくていい」と、常々言っていました。その言葉を信じ、半ば甘えていたYさんは東京でバリバリ働く日々を送っており、帰省するのはお盆や年末年始くらいでした。

ところが、少し前から母親は不眠やひどい便秘などで体調を崩していました。ある日、ひどいめまいに襲われ、母親が救急搬送され、病院で検査をするも「異常なし」ということで家に戻されてしまったのです。それでも母親は、原因を突き止めようと病院巡りをしますが、原因不明のまま体調は一向に戻りません。どんどん衰弱する母親を心配した父親がYさんに「母親を助けて欲しい」とSOSの電話を掛けてきたのです。

Yさんは有休を取り、すぐに実家に駆け付けました。そこで生まれて初めて衰弱しきり、弱気になっている母親を目にしたYさんは、大きなショックを受けたといいます。なんとか元気になって欲しいと母親の話に耳を傾けていた時、Yさんは「メンタルが原因なのでは?」との疑いを持ちました。なぜなら、その時の母親の表情に、メンタルのバランスを崩したことのある同僚の表情と重なるものを感じたからです。

2. 思わぬ診断……それでも今は治療をしないという選択をした母親

Yさんは母親をメンタルクリニックへ連れていき、まずは不眠による衰弱をなんとかしようと睡眠薬を処方してもらいました。それからYさんは土日と溜まった有休を母親の通院日に合わせて取り、1か月に4日間、新幹線で実家に通い両親をサポートする生活を半年以上続けています。母親のことが大好きな妹は、母親の弱った姿にひどく落ち込み、最近は泣いてばかりなのだとか。幼いころから何事に対してもクールな妹の意外な一面に、Yさんは戸惑いながらも「ここは私が頑張らなくては!」という思いが強くなってきているそうです。

母親のメンタルクリニックの通院に付き添った時、医師に母親の呂律が怪しいことを伝えると、脳神経外科を紹介されました。Yさん、妹、実家の近くに住む従姉が付き添い、母親が脳の検査を受けると、パーキンソン病とレビー小体型認知症の疑いがあるといった診断を受けました。

想定外の結果に付き添った3人は動揺しましたが、以前、介護の仕事をしており、認知症などについての知識のある母親はとても冷静で、脳のMRI検査で異常がなかったこと、そして治療薬による副作用が心配という理由から、今は特に治療は受けない、という決断をします。母親の不調の原因がわかるまで半年以上を要しましたが、原因がわかりホッとしたのか、今は母親の体調は徐々に回復しつつあります。

3. 母親から子どものころに受けた愛情の恩返しをしていきたい

体調が回復してきた母親は「そんなに毎月、実家に帰って来なくていい」とYさんに言っています。それでもYさんは独身で身軽ということもあり、毎月、実家に通い続けています。その背景には、幼いころは決して育てやすい子どもではなかった自分に母親は常に寄り添い、自分の時間を割いて子どもに愛情を注いでくれたという記憶があるからです。今はあの時に受けた愛情を自分たちが返す時だと考えて、できる限りは今のペースを続けていくつもりです。一方で異性である父親に対しては、母親と同じようなサポートはできないかもしれないと、両親に対する温度差も正直に話してくれました。

今回の母親の体調不良により、20年以上離れて暮らしていた両親と図らずも一緒に過ごす時間ができたことで、それまで意識をしたことがなかった「両親と自分に残された時間はそんなに長くはないのかもしれない」ということに気づけたことが「ありがたかった」とYさんは言います。毎月の新幹線代は経済的に痛手ですが、「あの時、自分なりに母親に恩返しができた」と納得することができれば、将来の後悔が少しでも減るのではないかという気がしているそうです。

4. 将来の介護への不安があるが、自分なりに乗り越えていきたい

一方で、いつも元気にチャキチャキ働き、子どもたちを支え、家族に頼られることに喜びを感じていた母親が何事にも弱気で、動くペースも遅くなり、「あれができない、これができない」という姿が悲しく、苛立ちのような感情が生まれることがありました。ただ、東京に向かう帰りの新幹線で一人冷静になった時に、それが老いるということで、母親ももどかしさを感じているのに、自分はなんてひどい感情を持ってしまったのだろう、と反省するのです。

今は東京に帰る場所と仕事があり、最長でもひと月に4日間だけの実家通いだからこそ、そんな客観的な視点が持てますが、母親が要介護状態になり、ずっと傍にいなければならない状態になったら、自分は母親との介護生活を乗り越えることができるのかと不安に押しつぶされそうになることがあるそうです。

そんな時は、「未来に怯えるよりも今を大切にしよう」と気持ちを切り替えて、今の母親と向き合うようにしています。そして、周りに少しずつ増えてきた、介護を経験した友人などからの経験談を参考にし、自分なりの母親の介護との向き合い方を見つけ、乗り越えていきたいと考えています。



この著者のこれまでの記事
「母は母、娘は娘」――ALSの母と歩んだ37年で娘が気づいたこと|娘はつらいよ⑳
後悔ばかりの認知症介護……それでも前を向く娘の選択|娘はつらいよ!?⑲
夢を支えてくれた母を支えるという選択|娘はつらいよ!?⑱
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この記事の提供元
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著者:岡崎 杏里

大学卒業後、編集プロダクション、出版社に勤務。23歳のときに若年性認知症になった父親の介護と、その3年後に卵巣がんになった母親の看病をひとり娘として背負うことに。宣伝会議主催の「編集・ライター講座」の卒業制作(父親の介護に関わる人々へのインタビューなど)が優秀賞を受賞。『笑う介護。』の出版を機に、2007年より介護ライター&介護エッセイストとして、介護に関する記事やエッセイの執筆などを行っている。著書に『みんなの認知症』(ともに、成美堂出版)、『わんこも介護』(朝日新聞出版)などがある。2013年に長男を出産し、ダブルケアラー(介護と育児など複数のケアをする人)となった。訪問介護員2級養成研修課程修了(ホームヘルパー2級)
https://anriokazaki.net/

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