母と娘の関係性とその介護について考える連載。今回は、筆者が若年性認知症の親の介護をする子どもたちの集まりで出会ってから、15年近くが過ぎようとしているEさん(40代・会社員)。この15年でライフステージのさまざまな変化を経て、今は寝たきりとなった母親への複雑な思いや、自らも娘を持つ母親になったことで抱いた未来について語ってくれた。

1. ともに若者ケアラーからダブルケアラーに

今回、お話を伺ったEさんと筆者は15年来の仲です。若年性認知症の親を介護する子どもたちの集まりで出会い、意気投合して現在も交流が続いています。当時、若者ケアラー(18歳から30代位までの年齢で家族の介護を担う人)だった私たちも、今はダブルケアラー(介護と育児など、複数の家族のケアを担う人)になりました。

出会った頃の私たちは、親の介護がこのまま続いたら「将来に希望が持ちづらいよね……」と、未来を諦めているところがありました。あれから月日は流れて、紆余曲折はあったにせよ、お互いに母親となるなど自らを取り巻く状況が大きく変化し、親の介護に対しての向き合い方も当時とは変わっていきました。特にEさんは、母親の介護との向き合い方について変化とともに、葛藤を抱えている一人なのです。

Eさんは関西の短大進学を機に実家を出て、そのまま関西で働いていました。いつかは地元に戻って働きたいと考えていたところ、50代の母親の言動がおかしいと父親からの相談を受け、予定よりも早く実家へ戻りました。その後、母親には61歳で若年性アルツハイマー型認知症という診断が下り、それ以降、Eさんは地元で働きながら、父親とともに母親の介護を担うようになりました。

母親の介護を続けて7年が過ぎた頃、一緒に母親を支えてきた父親が脳出血を発症します。自分ひとりで父親と母親の二人の世話をすることはできないとケアマネジャーに相談し、母親は特別養護老人ホームへ入所することになりました。その頃、Eさんにはお付き合いをしている男性がいたのですが、父親が半年の入院ののち退院した直後に、Eさんの妊娠が発覚したのです。

2. 両親の介護をしながら母親になる決意

母親はすでに言葉を発することができないくらいに認知症が進行していました。一方、父親は一命を取り留めたものの誰かのサポートなしでは暮らせない状態でした。Eさんには兄がいますが、遠方で働いており、あまり頼ることはできません。母親、父親、子ども……、「私一人でそんなに抱えることはできない」と途方に暮れ、Eさんの精神状態はギリギリとなり、彼と何度もこれからの事について話し合いを重ねました。

その結果「親も大切だけど、新しい命も大切にしたい」「母親の介護をしてきた中で、自分のことは後回しにしてばかりで自分の人生を生きているのだろうか」という思いが強くなったといいます。そして、「誰に何を言われようと、自分の人生を生きたい」と母親になる決意をしたのです。

3. 父親を看取ったことで、母親の介護に対する葛藤が生まれた

母親は施設に入所した後も水頭症、新型コロナウイルス、糖尿病などで入退院を繰り返し、現在は病養型病院でケアを受けています。気が付けば、若年性認知症の診断を受けてから20年が経過していました。Eさんが在宅介護で支えていた父親はその後も体調を崩すことが増え、腸閉塞を起こしたのち、誤嚥性肺炎で亡くなってしまいました。

その父親を看取った経験が、現在のEさんと母親の関わり方に大きな影響を及ぼします。病院で危篤状態となった父親のもとへ、幼い子どもをおんぶして、日夜通ったというEさん。命にかかわる決断を、泣く子をあやしながら次から次と迫られ、苦しみながら亡くなっていった父親の姿を忘れることができないそうです。父親に装着されていた心拍モニターの音に似ているスーパーのレジの”ピッ”という音を聞くだけで、パニックを起こし過呼吸なるなど、立ち直るまでに3年以上を要しました。想像以上に、父親の看取りはEさんにとってトラウマになっていたのです。

その結果、「父親よりも長く介護している母親の看取りに自分は耐えられるのだろうか」という恐怖や「どんな状態でもいいから、母親には1日でも長く生きていて欲しい」という思いが強くなり、医師から母親に胃ろうの設置を打診されたときもすぐに設置の決断をしました。気が付けば、どんな状態であっても生きている母親の存在がEさんにとって心の支えになっていたのです。ただ、心の底から求めているのは、常にEさんのことを大切に思い、全力で応援してくれた、元気だった頃の母親です。でも、目の前にいるのは、言葉を発することもできず、胃ろうをつけて、寝たきり状態の母親。理想と現実の落差に失望するたびにEさんは「意思表示ができなくなった母親は、胃ろうなどの延命措置を望んでいるのだろうか」「1日でも長生きして欲しいと思うことは私のエゴではないのか」という葛藤をずっと抱えているのです。

4. 介護と育児を経験して、わかったこと

2人の娘に恵まれたEさんは、母親として娘たちに思うことがあるそうです。「娘たちには、自分のような人生を歩んでほしくはない。何にでもなれる若い時期にしかできないことをたくさんしてほしい。何かに挑戦したり失敗したり、友達と会ったり、旅行したり、思い切り恋愛もしてほしい。もし、自分の母親のように私(Eさん)に介護が必要になっても、自分の貴重な時間を介護に使ってほしくない」と、娘たちの人生の足かせになるような存在にはなりなくないと強く思っているそうです。今後は年を重ねてもできる限り元気でいて、大人になっていく娘たちを見届けたい。もし、娘たちが結婚、出産することがあれば、娘たちが里帰りしたときはしっかりサポートしてあげたい。なぜなら、自分が妊婦のときに里帰りしたのは親のサポートを受けるのではなく、父親の介護で大変だったからです。さまざまな自らの経験から、母親としての未来の目標を持つようになりました。

そして、あのときギリギリで決断した「母親になる」という決断については決して間違いではなかったと感じています。介護と育児の両方を経験したことで、育児には介護にない、 “希望”や“未来”を子どもたちの成長から夢見ることができるということを知りました。だからこそ、あのときの自分のような立場の人に対して、難しいことは重々承知であっても「自分の人生を生きるために前を向いてほしい」、また、「全部一人で抱える必要はないし、自分の人生を生きるための方法はいくらでもある」と伝えたいと、20年以上続く母親の介護から学んだことを話してくれました。

そんな力強いメッセージをくれたEさんの姿は、出会った頃の私たちには想像できなかった、前向きな未来を望む姿へと変化していました。



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著者:岡崎 杏里

大学卒業後、編集プロダクション、出版社に勤務。23歳のときに若年性認知症になった父親の介護と、その3年後に卵巣がんになった母親の看病をひとり娘として背負うことに。宣伝会議主催の「編集・ライター講座」の卒業制作(父親の介護に関わる人々へのインタビューなど)が優秀賞を受賞。『笑う介護。』の出版を機に、2007年より介護ライター&介護エッセイストとして、介護に関する記事やエッセイの執筆などを行っている。著書に『みんなの認知症』(ともに、成美堂出版)、『わんこも介護』(朝日新聞出版)などがある。2013年に長男を出産し、ダブルケアラー(介護と育児など複数のケアをする人)となった。訪問介護員2級養成研修課程修了(ホームヘルパー2級)
https://anriokazaki.net/

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