母と娘の関係性とその介護について考える連載。今回は、母親、姉と3人で暮らしているLさん(50代・パート)のお話。姉は母親の介護にまったく関与せず、母親も姉よりも妹のLさんにばかり依存する日々。そもそも、子どものころから「Lちゃんは何でも許してくれる」という母親の甘えが今も続いている、と介護離職をして母親の介護を一人で担う現状を自ら冷静に分析した。
母親の介護についての話が始まると、「仕方ないよね……」と大きなため息をつくLさん。それは、父親に続き、母親の介護の負担も自分にばかりに降りかかってくることに対してのため息でした。
父親は認知症が進んだことによる誤嚥性肺炎で、8年前に亡くなっています。当時、母親がメインとなって父親の介護をしていましたが、その介護中に骨粗しょう症による歩行困難となってしまいました。そのため、Lさんが胃ろうが必要になった父親の入院や、その後の施設入所の対応、看取りを担ったのです。父親が亡くなったあとも、母親は骨粗しょう症が悪化して腰椎を圧迫骨折して手術をしました。手術直後、母親は一時寝たきりとなり、要介護4(現在はリハビリにより要介護2に改善)の認定を受けたこともありました。
Lさんは、母親と2つ上の姉と3人で暮らしています。しかし、姉は父親の時もそうでしたが、母親の介護にも我関せずの態度を貫いています。父親が最後に入院した時、様態が悪化してガリガリになっていく姿を一人で見ることがつらくなったというLさん。そんな状況を姉にも共有してもらいたくて、一度も父親を見舞わない姉にせめて顔を見せにくるようにお願いしました。すると、1回だけ父親のお見舞いに来ましたが、それっきりだったといいます。
母親もたびたび入院していますが、休日に特に何かをしているわけではないのに姉が母親を見舞ったのは、これまでにたった1回だけ。同じ空間にいてLさんが母親の介護をしていても、それが視界に入っていないかのように、こちらの状況に無関心だというのです。そういったことが積み重なり、Lさんは姉に親の介護で何かを期待することは諦めました。母親もなぜか姉には遠慮しているようなところがあり、姉が隣の部屋でテレビを見ていても、用事のあるたびに二階の部屋にいるLさんの携帯を鳴らして呼び出します。
また、姉は郊外の実家から都心の会社に通勤しており、Lさんは自転車で通勤できる職場で働いていました。そのため、朝晩に時間の余裕のあるLさんが母親の介護を一人で担う流れが自然に出来てしまい、「仕方ないよね……」と、再びため息をつくのでした。
コロナ禍に母親は再び圧迫骨折をして、家の中でも歩行器なしでは動くことができなくなってしまいます。プライドの高い母親は、車いすに乗っているところや、背中と腰が曲がり首も落ちた姿を「人に見られたくない」と家に引きこもるようになりました。Lさんはそんな母親の対処と、入浴介助の対応を一人ですることに限界を感じ、嫌がる母親に頼み込んで、入浴のために週2回だけデイサービスに通ってもらっています。
それでも、母親が一人で家にいる日のことが心配となり、Lさんは正社員として働いていた仕事を介護離職します。現在は、母親がデイサービスに通っている間と、訪問診療、訪問リハビリ、訪問マッサージがやってくる時間をやり繰りして、週4回、1日3時間半のパートに出る生活をしています。介護離職をしたことにより、健康保険は姉の扶養になりました。これも姉に強く出ることができない原因かもしれない、とLさんの顔は曇ります。ただし、配偶者や子どもという立場ではないため、国民年金は自分で払わなければならない現状に、モヤモヤしているそうです。
商売をしていた実家の手伝いから、結婚後は専業主婦となった母親は社会経験がないせいか、人と関わることが得意でなく、デイサービスに行くことを嫌がります。さらに母親はパーキンソン病の診断も受けており、特に朝は身体を動かすことが大変でイライラが募ると、「あなたのために、行ってあげているんだから!」「私は具合が悪いのに、『行け、行け』ってうるさい」と、毎回Lさんに嫌味を言います。そんな母親にLさんは「私に依存しきっている」という危機感から、母親に施設入所の話をすると「施設に入れたら、ご飯を食べないで早く死ぬようにする」と脅しとも取れる言葉を吐き捨てるのでした。
子どものころから家族との関係は非常にドライだったというLさん。母親とも二人で出かけた記憶などもなく、決して仲良し親子ではなかったと振り返ります。七五三などのセレモニーを振り返っても、姉よりも雑な扱いでも「Lちゃんは何でも許してくれるよね」と、母親は自分に対して以前から甘えがあったと思う、と母親との関係性を自ら分析します。
心無い言葉やわがままで自分の思い通りにならないとすぐに怒るという母親を、仕事を辞めてまで介護する理由を問うと、1人暮らしをしていたり、結婚して家を出ていたら状況が変わっていたかもしれないと思いつつも、「家に住ませてもらっているし、誰かが介護しないといけないからねぇ」と半ば諦めたような答えが返ってきました。時には「私は母親の奴隷か……?」と葛藤することもあるとか。一方で、身体を思うように動かすことができない母親のストレスもわかっています。それでも母親の介護にストレスを感じてしまい、強く言い返してしては自己嫌悪に陥ることも少なくないそうです。
将来、母親の介護が終わる時がきたら、Lさんはまたフルタイムで働きたいという思いや、趣味だった御朱印集めをしながら旅をしたい、といった思いがあります。そんな思いを抱えながら、今は母親の介護をしながらできる趣味を持とうと、ミシンを購入してバッグ作りなどにチャレンジしているそうです。「いずれは洋服を作りたい」と語るLさんの顔に、取材の中でやっと笑顔を見ることができました。
この著者のこれまでの記事
・想定外の母の異変で始まった実家通いの日々|娘はつらいよ㉑
・「母は母、娘は娘」――ALSの母と歩んだ37年で娘が気づいたこと|娘はつらいよ⑳
・後悔ばかりの認知症介護……それでも前を向く娘の選択|娘はつらいよ!?⑲
・夢を支えてくれた母を支えるという選択|娘はつらいよ!?⑱
著者:岡崎 杏里
大学卒業後、編集プロダクション、出版社に勤務。23歳のときに若年性認知症になった父親の介護と、その3年後に卵巣がんになった母親の看病をひとり娘として背負うことに。宣伝会議主催の「編集・ライター講座」の卒業制作(父親の介護に関わる人々へのインタビューなど)が優秀賞を受賞。『笑う介護。』の出版を機に、2007年より介護ライター&介護エッセイストとして、介護に関する記事やエッセイの執筆などを行っている。著書に『みんなの認知症』(ともに、成美堂出版)、『わんこも介護』(朝日新聞出版)などがある。2013年に長男を出産し、ダブルケアラー(介護と育児など複数のケアをする人)となった。訪問介護員2級養成研修課程修了(ホームヘルパー2級)
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