母と娘の関係性とその介護について考える連載。「機能不全家族」で育った米田さんは、その家庭環境によって抱えたトラウマや、母と子が逆転したような母への心的なサポートを幼いころから長年続けてきました。そんな家族、なかでも母との関係が自身の生きづらさの原因だとして、「絶縁」という決断をしたのです。
今回の娘の話に入る前に、「機能不全家族」という言葉について触れておきます。最近では少しずつ認知され始めていますが、「初めて聞いた」という人もいるかもしれません。下記の図表は、今回お話を伺った米田(こめだ)愛子さん(映像デザイン事務所CreDes代表/絶活〈ぜつかつ〉代表)が作成したものです。「機能不全家族」とは、さまざまな事情が重なり合って「家族・子どもが安全に生活できない環境」にある家族のことをいいます。
米田さんの家族も、「きょうだい児」「ヤングケアラー」「アダルトチルドレン」「被虐待児」などの問題を抱えていました。両親、姉、兄の5人家族だった米田さんですが、姉は精神障害を患い、兄は中学生のときに筋ジストロフィー症と診断されました。母は病気の子どものことで親戚などからのプレッシャーを受けて心を壊し、父はそんな家族の状態に耐えきれず、家族関係に葛藤を抱えるようになり、家族の問題に関して、小学生だった米田さんともメールでやりとりをしていたといいます。
公的な福祉サービスなど第三者の介入があれば少しは違っていたかもしれませんが、両親ともに医療従事者だったこともあり、家族だけで乗り越えられると思っていたそうです。さらに、姉や兄に障がいがあっても、当時の彼らは自分のことは自分できていたため、利用するのに最適な制度があまりないという現実もありました。
たいていの子どもにとって「家族」とは、自分の家族のことです。だからこそ、「家族」が壊れてしまうのを必死に避けようとします。米田さんは小学4年生のころから家事を担い、少しでも家族に笑って欲しくて自らすすんで道化役を演じ続けました。健康な妹に対して、兄が暴言を吐いても、「そうだね、ごめんね」と受け入れることも。こういった自己犠牲をよしとしていた生い立ちによって自然と受けたトラウマが、今でも人との関係を築くなかでの足かせになっています。さらに、母子が逆転したかのようにメンタルが不安定な母をカウンセラーのごとくケアしてきた経験が、米田さんの人生に大きな影響を与えたのです。
幼い米田さんは、姉や兄の病気について悩む母が「自分は生きる価値がない」と言えば、「そんなことないよ」となだめていました。そうこうするうち、母は自分の機嫌で、米田さんをコントロールするようになっていきました。また、母にはアダルトチルドレンの傾向があり、理想を押し付ける自らの母(米田さんの祖母)の過干渉から逃げているようなところもありました。そのこともよりいっそう、母が米田さんに依存する理由の1つだったのかもしれません。一方で米田さんも自分が励ますことで母の機嫌が直ることに満足感のようなものが得られるため、米田さんと母は知らぬ間に共依存の関係に陥っていたのです。
機能不全家族のなかで、米田さんの心身はじわじわと蝕まれていきました。高校生になると、リストカットやオーバードーズで現実逃避をしたり、朝は起きられず不登校になり、退学寸前に。スクールカウンセラーや担任に「家がしんどくて死にたい」と漏らすと、両親が呼び出されて話し合いが行われ、米田さんは家を出て違う高校へ編入することになりました。当時のことが辛すぎて、米田さんは細かいことを覚えていないといいます。
その後、米田さんは母方の祖父母の家で高校最後の1年間を過ごすことになりました。母には過干渉だった祖母も、孫の米田さんには優しく、米田さんの心身は徐々に回復していきます。しかし、ここにも母が付きまとってきてしまい、母のメンタルをケアする生活から逃れることはできませんでした。高校卒業後は実家に戻り大学に通いますが、再び、心身に不調をきたすようになってしまいました。そこで米田さんは実家を出て一人暮らしを始めることに。ところが、ここでも家族全員からの干渉は続きました。なかでも母と祖母からはよく電話が掛かってきていました。
大学を卒業後、東京で仕事をすることになると、それに便乗して母も上京。母子は二人で暮らすことになりました。故郷を離れても、母の心的ケアからは逃れられなかったのです。ただ、米田さんを取り巻く環境は変わっていきました。社会に出て仕事で関わる大人は母とは異なり、米田さんの意見を尊重し、きちんとした会話が成立しました。仕事をしていくうちに、自分と母の関係は不健全なものだということに気づき、母と離れたいと一人暮らしを始めました。しかし、祖母からは仕事中であってもお構いなしに「あなたのことが心配」と尋常でない回数の電話があったり、母からも電話やLINEがきていたのです。
その後、独立してフリーとして活動をし始めた米田さん。自立した大人に出会うたびに自身の家族への疑問が膨らんでいきました。そして、母や家族との関係を「しんどい」と思いながらも、「家族愛」の観念から「そんなことを思っていいのか」と心が揺れ動く日々を送っていました。ある時、ネットで「しんどい」「家族」というワードで検索をすると、「機能不全家族」という言葉やそれに関する論文が見つかりました。その論文を読み漁っていると、自身の家族がまさにそういった状態にあり、それゆえ自分がしんどいのだということに気付きました。
長年のしんどさから抜け出すために、米田さんはカウンセリングを受けるなど動き出しました。結婚を機に遠くへ移り住むことになった際、これが母と対峙するラストチャンスと捉え、電話でこれまでのつらさを伝えた際、母は米田さんの思いを拒絶。これ以降、米田さんは母のことを「この人」と呼ぶようになり、母と家族との絶縁を決意しました。
家族と絶縁するためにいろいろと調べていくなかで、日本の法律では完全に家族と絶縁することは難しいということを知りました。それでも、これからの自分のために家族と縁を切りたかった米田さんは、すべての連絡先をブロックし、夫に絶縁状を代筆してもらいました。また、直接的な接触を防ぐために連絡の際の窓口は夫にしてもらい、家族に絶縁を申し出ました。
大学生のときに障害者の兄を描いた映画『おにい』を制作した米田さん。その後、家族と絶縁した現在の事情を加えて作品を再編集し、とある賞を受賞したところ、その事実を知った兄から事務所のホームページに精神的負荷の大きいお叱りの連絡が入りました。
個人での対応が困難と判断した米田さんは、行政書士のサポートを得ながら、相続関係にまで踏み込んだ絶縁状を家族へ送付しました。
それから、7年弱が経過。もう、あちらから何か言ってくることはないといいます。最初の数年は怯えていたそうですが、今ではやっと安心できるようになったそうです。
米田さんのように家族との関係に悩んでいても、同じような行動を取れない人も多いはずです。米田さんはそういった人たちのことを思うと、家族から逃げるように絶縁した自分に後ろめたさを感じることもあるそうです。
自らの家族、特に母との経験から、現状の日本の法律では完全に家族と絶縁することができないうえに、相談する場所がほぼないということを知った米田さんは、2025年6月に「絶活(ぜつかつ)」というサービスを立ち上げました。
結果的に家族と絶縁した米田さんですが、「絶活」は、決して家族と絶縁することを推奨するものではなく、本当に家族と絶縁したいのかという問いに向き合い、家族との距離感を考える相談室だといいます。また、「絶活」には、さまざまなパターンがあり、家族と全ての縁を切るのではないということ。たとえば、終末期だけ関わらない、近距離に住んでいても一緒に住むことはできないなど、明確な法律がないからこそ、自分なりにカスタマイズが可能なのだといいます。
「絶活」のサービスは、NPO、行政書士、心理職、社会福祉士といった専門家と連携していますが、まずは米田さんやプロのカウンセラーが相談者から話を聞くことから始まります。話をしていくうちに、家族関係を見つめ直す相談者も少なくないそうです。また、利用者は20代から60代と幅広く、子から親、親から子、きょうだい間、と絶縁したい家族関係もさまざま。現在のところ、米田さんのように家族と完全に絶縁した人はゼロだそうです。
以前は、「子を持つことが怖かった」という米田さん。母と自分のような関係になることへの恐れや、父の「お前は死んでも子どもを作るな」という言葉がトラウマになっていたからです。今も仕事優先で子を持つことに積極的ではないとしても、夫の子どもなら素晴らしいだろうと、子を持つことへの恐怖心は緩和している、と心境の変化を話してくれました。
写真:写真AC
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著者:岡崎 杏里
大学卒業後、編集プロダクション、出版社に勤務。23歳のときに若年性認知症になった父親の介護と、その3年後に卵巣がんになった母親の看病をひとり娘として背負うことに。宣伝会議主催の「編集・ライター講座」の卒業制作(父親の介護に関わる人々へのインタビューなど)が優秀賞を受賞。『笑う介護。』の出版を機に、2007年より介護ライター&介護エッセイストとして、介護に関する記事やエッセイの執筆などを行っている。著書に『みんなの認知症』(ともに、成美堂出版)、『わんこも介護』(朝日新聞出版)などがある。2013年に長男を出産し、ダブルケアラー(介護と育児など複数のケアをする人)となった。訪問介護員2級養成研修課程修了(ホームヘルパー2級)
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