母と娘の関係性とその介護について考える連載。2年あまりの間、立て続けに両親を在宅で看取ったOさん。一人娘なだけに、一人、家で親を看取ることが怖いと思ったこともあったそうですが、その穏やかな死に顔を見て、後悔は少ないといいます。そう思えるようになるまでの道のりとは……。
Oさん(50代・パート)は2024年に母親、2025年に父親と2年の間に立て続けに親を亡くすという経験をしました。しかも、両親が長年暮らしていた実家で二人を看取ったというのです。
2015年、母親が「足が思うように動かない」と訴えるようになりました。結婚後は東京で暮らし、子育てをしていたOさんですが、母親のことが心配になり、実家のある広島と東京を二人の子どもを連れて往復するようになります。当時、3歳の長女をひざの上、1歳の長男はベビーカーに乗せて、という状態で新幹線での長時間移動は、それだけでも大変なことでした。そんな中、帰省中に長女が急性脳症になり入院。一命を取り留めるも、発達がゆっくりになり、リハビリが必要になりました。これを機に夫と離れ、Oさんと子どもたちは広島で暮らすことに決めたのです。こうして、母親の介護と長女のケアというダブルケアが始まりました。
母親と一緒に暮らす中で、症状的に「脳に原因があるのかも……」と検査をすると、水頭症だということが判明し、手術をすることになりました。さらに、2017年に難病指定されている進行性核上性麻痺(PSP *)であることがわかり、徐々に介護が必要な生活になっていったのです。
当初、母親はサポートがあれば車椅子を自ら動かし、トイレもサポートがあれば自分ででき、ゆっくりであれば会話をすることも可能でしたが、たった5年で寝たきりに近い状態となってしまいました。母親と一人娘のOさんは、きょうだいや友達のような、非常に仲の良い母娘だったといいます。母親が何も言わなくても分かり合えたし、顔を見れば意思が伝わってくるほどだったため、時にはケンカをしながらも母親が望んでいることにできるだけ応える介護をしていました。
*進行性核上性麻痺(PSP: Progressive Supranuclear Palsy)…脳の中の大脳、基底核、脳幹、小脳といった部位の神経細胞が減少して起こる指定難病。転びやすくなる、目の動きが衰えて下の方が見えにくくなる、しゃべりにくくなる、嚥下障害が起こる、認知症になるといった多彩な症状がみられる疾患。
長女の小学校入学にあわせて、離れて暮らしていた夫も広島で一緒に暮らすことになりました。ところが、今度は父親に肺がんが見つかります。2018年からは、母親、長女、父親といった3人の介護とケアをOさんが一人で担うことになってしまいました。父親の治療は上手くいき、元気を取り戻しましたが、すり足で歩くようになったため、母親と同じデイケアに通所することになりました。
この当時は、両親のデイケアの送り出しと子どもの送り出しの時間が重なるため、両方のお迎えが来るまでにみんなの準備を終えることは、まるで戦いのような時間だったとOさんは振り返ります。限界ぎりぎりまで一人で問題を抱え込みそうになっていたOさんに、ケアマネジャーが「朝の送り出しの支度に、ヘルパーさんに入ってもらえば?」をいう提案をしてくれたのです。この提案に対して、「そんなことをお願いできるなんて思いつきもしなかった」と驚いたといいます。なぜなら、ケアマネジャーはよく声掛けをしてくれていましたが、介護サービスに対する知識がなかったため、そもそも家族側が何をお願いできるのか、どこまで頼っていいのかを知らなかったのです。また、一人娘で他に誰にも頼ることができないと思い込んでいため、親の介護や子どものケアは家族の仕事として自分が担うことが当たりまえだと思っていました。
それでも乗り越えることができたのは、ご近所さんが子どもたちを見てくれたり、自らも子育て中のへルパーさんは同じ立場ということもありOさんの困りごとに理解が深く、子どもを優先できるように母親のサポートしてくれたおかげでした。そのうち、一人で抱え込まずにケアマネジャーに困り事や愚痴を話せるようにもなりました。たとえば口腔ケアに苦戦していることを話すと、デイケアでも対応してもらう手配をしてもらうなど、問題をスムーズに解決できるようになっていったのです。また、Oさん家族は両親と同居はせず、隣接する別の家に暮らすことで、そこに帰るようにし、物理的な距離を保てたことも大きかったといいます。
さらに、ダブルケアは悪いことばかりではありません。子どもたちの存在は両親に元気を与えましたし、子どもたちに老いというものを身近に見せてくれた両親の存在は得難いものでした。驚いたのは、誰も教えていないのに、子どもたちの中に祖母を手伝いたいという気持ちが芽生え、子どもたちなりのサポートをしてくれたことです。
以前から、父親は最期まで自宅にいることを強く望んでいました。一方母親は、「娘に迷惑を掛けるくらいならば、施設に入ってもいい」と言い、症状が進むにつれ、施設入所を考えるようになります。ただ、その時期がコロナ禍と重なったため、施設は面会禁止となるところが多く、母親に会いたいときに会えなくなるか、会えたとしてもガラス越しでしか話せないという状況が、決断を先延ばしにしていました。
コロナ禍が落ち着いてくると、Oさんは母親の在宅介護のペースが掴めるようになり、「施設入所」について考えなくなっていきました。そんな中、2024年の、冬一番の冷え込みが心配された夜、自分で布団を掛けることができず、温度調節が難しくなった母親に布団を掛けてあげたところ、母親がいつもよりもはっきりとした声でOさんに「ありがとう」と伝えてきたのです。これが母親との最期の会話になるとは、そのときは思いもしませんでした。
翌朝、ヘルパーさんがやってきて、母親に声を掛けても反応がないというのです。隣の部屋に父親が寝ていましたが、母親の変化に気づくことができませんでした。こうして、何の心の準備もないままに、母親は長年暮らした家で最期を迎えていました。このとき、Oさんは母親は前日までみんなと一緒に過ごした家から天国に旅立ち、やっと身体が楽になったのだと、悲しくても、不思議とどこかホッする思いがあったそうです。ただ、母親は訪問医療のサービスを受けていなかったことと、自宅での突然死であったため、想定外の警察官による現場検証が行われました。
母親が亡くなった半年後、父親のガンが再発。医師からは余命半年と言われましたが、父親は余命宣告を受けてから1年2ヶ月の間、毎日デイケアに通いながら自宅で過ごしました。そもそも父親は自宅で最期を迎えることを強く望んでいたため、母親の死から学んだことを教訓に在宅で父親を看取るための準備として介護サービスを極限まで使い、家族全員と医療・介護スタッフが一丸となって父親の死に向き合いました。その結果、父親は孫たちをはじめとした家族やサポートしてくれたスタッフに囲まれて、希望通りに自宅から天国に旅立つことができたのです。
Oさんは、在宅介護で、一人で親を看取ることを怖いと思ったこともありました。しかし、家族と医療・介護スタッフが連携し、チームのようになって支えることで、父親の最期の望みを叶えることができたと思っています。また、父親のようにはいきませんでしたが、母親も最期までいつもと同じように生活をし、家から天国に旅立つことができました。両親ともに死に顔はとても穏やかで「こんな顔をして死ねたら最高だね」と思えたのです。正直、「もう、これ以上できない」と思ったこともあったそうですが、そこで断念していたら後悔が大きかっただろうと振り返ります。
もしも、親が最期まで家にいることを望み、それを叶えることに躊躇している人がいたら、家族や医療・介護のプロの力を借りれば「できないことはない。見送る人も見送られる人も心穏やかになれる道を選んで欲しい」とOさんは話します。だからといって、娘を持つ母親としては、娘に自分と同じような介護をしてもらうことは望まず、必要であれば施設に入所しても良いと考えています。
必死に介護をしていたころは「ダブルケア」という言葉を知らなかったというOさん。あるとき、現状がしんどくなり、思わず「子育て 介護 同時」でネット検索すると、「ダブルケア」という言葉がヒットしたのです。「同じような経験をしている人と話したい」と近くでダブルケア仲間を探しましたが見つからなかったため、自ら、介護や育児の「しんどい」を語り合える場所として「ダブルケアひろしま」を立ち上げました。自らの経験を通して、介護する人が倒れる前に、介護による悲しい事件が起きる前に、どこかで「しんどい」を吐き出せる場所を見つけて欲しいと訴えています。自分のように「しんどい」思いをしている人たちをサポートする活動を、両親を看取った地元、広島でこれからも続けていくそうです。
※Oさんが代表を務める「ダブルケアひろしま」の詳細はこちら↓
HP: ダブルケアひろしま公式HP
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Facebook:ダブルケアひろしま公式FaceBook
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・娘としての「第一章」が終わった日。12年間の介護物語が教えてくれたこと|娘はつらいよ!?㉖
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著者:岡崎 杏里
大学卒業後、編集プロダクション、出版社に勤務。23歳のときに若年性認知症になった父親の介護と、その3年後に卵巣がんになった母親の看病をひとり娘として背負うことに。宣伝会議主催の「編集・ライター講座」の卒業制作(父親の介護に関わる人々へのインタビューなど)が優秀賞を受賞。『笑う介護。』の出版を機に、2007年より介護ライター&介護エッセイストとして、介護に関する記事やエッセイの執筆などを行っている。著書に『みんなの認知症』(ともに、成美堂出版)、『わんこも介護』(朝日新聞出版)などがある。2013年に長男を出産し、ダブルケアラー(介護と育児など複数のケアをする人)となった。訪問介護員2級養成研修課程修了(ホームヘルパー2級)
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