母と娘の関係性とその介護について考える連載。子どものいない夫婦の養子となったCさんの母は、家を継ぎ、絶やさないという思いが人一倍強くありました。時は流れ、妹が家を継ぎ、母の介護も担いましたが、そのことに対するCさんの思いとは……。

1. 家を継ぎ、絶やしてはいけないという呪縛

母と自分の関係を語るには母の生い立ちにも触れる必要があると、Cさん(パート・60代)は、母が育った家庭について話し始めました。

生まれて間もなく母親を亡くしたCさんの母は、代々その地域に住み、跡取りを望む子のいない夫婦のもとへ養子に出されました。引き取った夫婦は、母を本当の子のように何不自由なく大切に育てます。家を継ぐために養子になった母は19歳でCさんの父となる男性を婿養子として迎え入れ、育ての親の期待に応えました。しかし、母が授かったのはCさんと2つ下の妹というふたりの娘でした。祖父母は二人の孫に優しく見守り、働いていた母の代わりになり、Cさんと妹の世話もしてくれました。Cさんも祖父母が大好きな反面、どこかで「家を継ぎ、絶やしてならない」という、呪縛のようなものをずっと感じ続けて育ったそうです。それが母を含め、家族との間に心の距離を作ってしまった一因でもありました。

2. 妹夫婦が家を継ぐことに

「何不自由なく育ててくれた育ての親に対して、『家を継ぎ、絶やしてはならない』という思いが誰よりも強かったのは母だったかもしれない」とCさんは振り返ります。そのため、母は「なんとしても自分の娘のどちらかに婿養子をとって、家を継がせる」と心に決めていたのです。そこで、幼いころからしっかり者だったCさんは嫁に出すことにし、妹に家を継がせようと動き出します。

古い考え方の母は妹を姉よりも先に結婚させるわけにはいかないと考え、大学を出たばかりのCさんに東京で働く同郷の男性とお見合いをするよう勧めました。Cさんにとって初めてのお見合いでしたが、トントン拍子に話は進み、Cさんは結婚。直後に妹も同郷の男性とお見合いをし、母の思惑通りに婿養子をとり、家を継ぐことになりました。

3. 妹が担った母の介護に、姉として一切の口出しはしない

結婚から数年後、妹家族は夫の仕事の都合により海外で生活することになり、母は育ての親の介護を10年以上も一人で担い、見送りました。祖父母が亡くなって両親だけになった実家に、日本の学校に通うことを強く希望した妹の長女が同居することになりました。ところが海外で育ってきた妹の娘はなかなか日本の学校に馴染むことができず、引きこもり状態になり、それを心配した妹は夫とは別居するかたちで、次女と実家に戻ってきたのです。

Cさんの夫も同郷のため、帰省の際はCさんの実家にも顔を出していました。しかし、妹家族が中心となった実家にはすでにCさんの居場所はなく、居心地の良い夫の実家で過ごすことが増えていきます。気が付けば、Cさんは心理的にも物理的にも母や実家との距離が広がってしまいました。

数年前、高齢の父が心臓病を患い、介護が必要になりました。遠く離れた東京で生活していたCさんは、父の介護は母と妹家族に委ねていました。しばらくすると妹から、一緒に父を介護している母にパーキンソン症候群の症状に加えて、認知症の兆候がみられるようになったという連絡がありました。

Cさんにとって妹との仲は悪いわけでもなく、大好きな妹でしたが、幼いころからどこかノリや価値観が合わないところがありました。一方で、夫の家族とは絆が深まっていったこともあり、家を出た自分よりも妹の意見を一番に尊重したサポートをしていくと決めました。そのため、妹が担ってくれた母の介護や遺産相続も含め、一切口出しはしないと心に固く誓いました。

そんなCさんですが、申し訳ないと思いつつも1度だけ妹に提案をしたことがあります。認知症が進んでいた母が「旅行に行きたい」と望んだため、父をショートステイに預け、親子水入らず、女3人での北海道旅行を持ち掛けたのです。無事に旅行を満喫し、良い思い出を作ることができましたが、直後にコロナ禍へ突入したこともあり、それがCさんにとって母への最後の親孝行になりました。

4. 口出しはしないと決めても、残るモヤモヤ

父が亡くなると母の認知症は一気に進み、骨折を機に寝たきりとなって入院し、意思疎通も難しくなっていきました。嚥下機能の低下による誤嚥(ごえん)のリスクから医師に胃ろうを提案され、設置することになります。意思疎通ができなくなった状態では、現場で介護をしている妹にすべての決定権があると頭では理解していました。しかし、自分は延命治療を望まないCさんは「お母さんの意思はどうだったんだろう?」と、元気なうちに母の意思を聞いておかなかったことをひどく後悔したそうです。少しでも長く生きていて欲しいと思う妹の気持ちも尊重したい一方で、母自身の望みも尊重したかったという、割り切れないモヤモヤした思いが残っているのです。そのため、Cさんは自身の娘に「延命措置は希望しない」とハッキリ伝えています。

今回の取材でこのモヤモヤを吐露してくれると同時にCさんは、「それでも、母を最期まで介護し看取ってくれた妹には、嘘偽りなく感謝しています」と、キーパソンではない立場としての複雑な胸中を聞かせてくれました。

母が亡くなった後も、Cさんが幼いころから感じていた「家を継いで、絶やしてはならない」という呪縛が今なお続いていることを懸念しています。妹の心のウチはよくわかりませんが、妹の娘が「私がお婿さんをもらい、この家を継ぐ」と言っているのを聞いてギョッとしたといいます。きっと母の思いは知らず知らずのうちに孫娘に伝わっていたのでしょう。

しかし、時代は令和です。「古い考え方かもしれないけれど……」と前置きした上で、Cさんはこう語りました。女の子しか生まれない家であれば、いつかは絶えてしまうものだからこそ、本人の強い希望ならば尊重したいけれど、義務的にそう言っているのなら、祖母の代から続く呪縛から解放されてほしい──。それは、幼いころには母に言うことができなかったCさん自身の切なる願いでもあったのです。



写真:写真AC


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この記事の提供元
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著者:岡崎 杏里

大学卒業後、編集プロダクション、出版社に勤務。23歳のときに若年性認知症になった父親の介護と、その3年後に卵巣がんになった母親の看病をひとり娘として背負うことに。宣伝会議主催の「編集・ライター講座」の卒業制作(父親の介護に関わる人々へのインタビューなど)が優秀賞を受賞。『笑う介護。』の出版を機に、2007年より介護ライター&介護エッセイストとして、介護に関する記事やエッセイの執筆などを行っている。著書に『みんなの認知症』(ともに、成美堂出版)、『わんこも介護』(朝日新聞出版)などがある。2013年に長男を出産し、ダブルケアラー(介護と育児など複数のケアをする人)となった。訪問介護員2級養成研修課程修了(ホームヘルパー2級)
https://anriokazaki.net/

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