シリーズ5回目は“親の介護をする前に知っておきたかった12のこと” その10とその11をお伝えしたいと思います。

1. その10:一人暮らしになった母のこと

在宅での介護が難しくなった認知症の父が特別養護老人ホーム(以下、老人ホーム)に入所したことで、母は一人暮らしになりました。ただ、母もパーキンソン症候群で要介護2です。
 
思い返せば、父の老人ホームの見学時に「あなたが入所するのですか?」と言われたくらいに母は衰弱していたため、一人暮らしは厳しいものがあったのかもしれません。でも、ご近所に友達が多いことや、父の老人ホーム入所を最後まで渋っていたくらいなので、母が自宅で生活することにこだわっていることはよく分かっていました。
 
 
「同居すればいいのでは?」という声もあるかもしれません。しかし、東北出身なのに関西のオバチャンもドン引きするくらいズバスバものを言う母と私は衝突もしばしば。母と娘という近い関係性だからこそお互いに精神的に疲弊することは目に見えていました。加えて、結婚前に父の介護と母の看病を頑張り過ぎて心の健康を崩してしまった過去の教訓から、母の介護は心理的にも物理的にも自分を守るための距離を保つという通いの介護を貫くことを決めていました。
 
 
 
だからこそ、私は母が一人のときも安心、安全に実家で暮らせるための体制づくりをケアマネジャーに真剣に相談しました。
 
認知症の原因となった脳出血でマヒが残った父のために、実家には福祉用具のレンタルで後付けの手すりなどが至るところに設置されていました。父は在宅介護から施設介護となったので本来はすべて返却しなくてはなりませんですが、それらを使い慣れていた母は継続して使うことを望みました。そのためには、モノはそのままでも母名義で再レンタルし直さなければならないのです。福祉用具専門相談員とレンタル業者とのスケジュール調整をし、実家に来てもらい、再び書類を書き直す……。こういう手続きが介護シーンでは地味に時間が掛かります。
 
母に訪問ヘルパーによる家事援助や母が希望した訪問マッサージも利用することにしました。それらの手配や調整にも地味に時間が掛かります。訪問マッサージは医師の診断書が必要となるため、母を車椅子に乗せて整形外科の診察にも行きました。
 
私はフリーランスのライターなので、日程や時間の調整に多少の融通が利きます。もし会社員だったら、ケアマネジャーとの打ち合わせで1日、福祉用具専門相談員とレンタル業者とのやりとりで1日、通院で1日と、その都度に仕事を休んで対応することになってしまいます。通院の付き添いをヘルパーにお願いすることもできますが、医療保険が適用される病院内は介護保険の適用外が多く、10割負担となり費用が嵩みます。そのため待ち時間の長い通院の付き添いは、父と同様に母の通院も私が対応していました。
 
ケアマネジャーと二人三脚で、徐々に要介護の母でも一人暮らしができる体制を整えていきました。ただし、最後の最期まで葛藤することになる「お風呂問題」を除いては……。
 
ケアマネジャーから「一人での入浴は危ないので、入浴だけでもデイサービスを利用するのはどうか?」という提案を受けました。
 
私はその提案に大賛成でしたが、胆のうと子宮を摘出したときのお腹の大きな傷痕を見られることを嫌がる母は頑なにデイサービスの利用を拒みます。ならばと、私が通いの介護に行っている間の入浴を勧めても「寝る直前に入らないと湯冷めしてかぜを引く」と応じてくれません。

母の安全を願う私と、寝る前に自宅のお風呂に入ることにこだわる母の考えが交わることはなく、通いの介護に行ってもソッポを向いて口をきかなくなるほど、親子の関係が拗れてしまいました。そこで、ケアマネジャーが間に入り、しばらくは母の気持ちの変化を待とうということになりました。親子ゲンカの仲裁までしてくれるケアマネジャー、本当に大変な仕事だと思います。
 
そのうちに季節は冬となり、ザ・昭和な造りのお風呂場の寒さが堪え、パーキンソン症候群が進行したこともあり、母はやっとデイサービスでの入浴を受け入れ、1週間後に一緒に見学に行く約束をしました。それなのに、その日の夜に母はお風呂の中で帰らぬ人となってしまったのです。

2. その11:介護には終わりがある、が、その後も大変

あまりにも突然過ぎる、母の介護の終わり。変わり果てた母の姿に私がパニック状態に陥っていても、不審死ということで警察がやってきました。第一発見者となった私への取り調べや事件性の有無を調べる現場検証など、警察官が入れ替わり立ち替わりやってくるのです。現実を受け止めきれない中で葬儀などの手続きも行うなど、悲しみに暮れている暇など与えもらえません。

コロナ禍だったため家族葬を選択し、喪主を務めたいという父の希望もあって、コロナの感染者が増加の一途をたどり全面面会禁止の中、老人ホームの理解により父も葬儀に参加することができました。穏やかな気持ちで母を見送りたくても、斎場では常に父のオムツの入った紙袋を持ち、車椅子に乗った父とユニバーサルトイレへ。「こんなときまで……」と、泣き笑いで父のオムツ交換をするしかない私の姿を母は「こんなときまで、お疲れさま」と上から方で見ていたことでしょう。
 
葬儀が終わり、やっと母の死を悼むことができるかと思いきや、相続の手続き、墓じまい、空き家になった実家の片付け……。やることが山盛り過ぎて、あれから3年が過ぎようとしているのに、未だにやらなければならないことがたくさん残っています。

介護が終わったあとも、こんなにしんどい日々が続くなんて、誰も教えてくれませんでした。だからこそ、介護者は介護中に自身が倒れるまで一人で介護を抱え込んではいけません。これは、母の介護を終えた今だからこそ、みなさんに声を大にして伝えたいことです。。
 
気が張っているときは、体力的に限界でも気力で乗り越えてしまう、介護中はそういった場面によく遭遇します。でも、気力だけで乗り越えることを繰り返していると、いつかどこかで本当の体力の限界が訪れます。すべてが終わった直後に燃え尽き症候群になってしまったり、介護者への取材で意外に多いのは少し時間が経過してから心身に症状が出るというものです。かく言う私も、母が亡くなった1年後に、手術や入退院を繰り返す日々を送りました。

さらに、今でも「母を無理矢理にでもデイサービスに通わせていれば……」と心が苦しくなることがあります。ただ、いくら後悔しても母は帰ってきません。都合の良い解釈と言われるかもしれませんが、母はお腹の傷を他人に見られることなく、最後の最期まで自分の意思を貫いたと、母を称えることにしました。余談ですが、今回のトップの写真は母が好きだったトルコ桔梗です。お母さん、気に入ってくれたかしら?
 
この記事の提供元
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著者:岡崎 杏里

大学卒業後、編集プロダクション、出版社に勤務。23歳のときに若年性認知症になった父親の介護と、その3年後に卵巣がんになった母親の看病をひとり娘として背負うことに。宣伝会議主催の「編集・ライター講座」の卒業制作(父親の介護に関わる人々へのインタビューなど)が優秀賞を受賞。『笑う介護。』の出版を機に、2007年より介護ライター&介護エッセイストとして、介護に関する記事やエッセイの執筆などを行っている。著書に『みんなの認知症』(ともに、成美堂出版)、『わんこも介護』(朝日新聞出版)などがある。2013年に長男を出産し、ダブルケアラー(介護と育児など複数のケアをする人)となった。訪問介護員2級養成研修課程修了(ホームヘルパー2級)
https://anriokazaki.net/

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