家族の介護に直面する人は、45歳頃から増え始め、50~55歳でピークを迎えます(令和4年度の総務省調査より)。働き盛りの年代で介護が始まるのは、医療・介護の専門職も同じです。
介護のプロとしての技術や知識、経験があれば、家族の介護もうまくできる。そう思われるかもしれません。しかし、仕事では冷静に対応できる人でも、いざ自分の家族を介護するとなると、思うようにいかないことがあります。
居宅介護支援事業所で主任ケアマネジャーとして働くNさんは、管理職を務めながら、地域のケアマネジャーを対象とした研修や指導も行っています。
そんなNさんの母親(70代)が脳梗塞で倒れました。麻痺などの後遺症は残りませんでしたが、時間や場所がわからなくなる、感情をうまくコントロールできないといった症状がみられ、「高次脳機能障害」と診断されました。
短い時間会っただけなら、以前とそれほど変わらないように見えます。しかし実際には、同じことを何度も尋ねたり、突然怒り出したり、説明が理解できずパニックになったりすることがあります。買い物に出たまま自宅へ戻れず、警察に保護されることもあり、そのたびにNさんは仕事を早退して迎えに行かなければなりませんでした。
母親の生活は、Nさんの支えなしには成り立ちません。それなのに、母親にはその認識が十分になく、Nさんの手助けを嫌がって「余計なことをしないで!」と声を荒げることもあります。
そんなときはNさんも余裕を失い、「私がどれだけ手伝っているかわからないの!」と怒鳴り返してしまいます。仕事では相手に合わせて穏やかに対応できるのに、母親には優しくできない。そんな自分に腹が立ち、自己嫌悪を感じるようになりました。
さらにNさんを苦しめたのが、「周囲に大変さをわかってもらえない」という感覚でした。
母親の退院を職場で報告すると、「麻痺が出なくてよかったね」と言われました。しかしNさんは、「高次脳機能障害があることも話したのに、その大変さはわかってもらえていないのかな」と思いました。外出して自宅に戻れなくなった母親を隣県まで迎えに行った話をしても、「それは大変だったね」と言われるだけで、自分がどれほど大変な状況にいるのかまでは理解されていないように感じます。
Nさんは次第に、「みんな介護のプロなのに、介護する家族の大変さはわからないんだ」「誰も助けてくれない」と、周囲に対して不信感を覚えるようになりました。
けれども、お話を伺っていくうちに、あることが見えてきました。
Nさんは、母親に起きた出来事については周囲によく話していました。しかし、「その結果、自分がどうなっているのか」「何を助けてほしいのか」については、ほとんど伝えていなかったのです。
母が迷子になった。突然怒り出した。何度も実家へ行かなければならない。これらは介護の「出来事」です。
もちろん、出来事を伝えることは大切です。しかし、それだけでは聞いた相手が、「Nさんはいま、どのような状況なのか」「自分に何をしてほしいのか」まで理解できるとは限りません。
本人は「これだけ話しているのだから、大変さは伝わっている」と思っていても、周囲からは「いろいろあるだろうけれど、Nさんなら余裕を持って対応できているんだろう」と見えていた可能性があります。
心身に余裕がなくなるほど、自分の状態を整理し、相手に説明する力も失われていきます。「助けてほしい」と言うことさえ、大きなエネルギーが必要になります。さらに、仕事で責任のある立場にいる人ほど、弱音を見せたくない、周囲に迷惑をかけたくないという気持ちから、むしろ普段通りに振る舞おうとする傾向があります。
その結果、本人の内側では非常ベルが鳴り続けているのに、周囲にはその音が聞こえていない、ということが起こります。
Nさんが同僚たちに理解してほしかったのは、母親の生活を支えるために頑張っているものの、時間的にも心身にも余裕がなくなっていることや、泣きたいほどつらい、今後どうなるのか考えると怖い、という気持ちだったのではないでしょうか。
また、母親に対して仕事でしているように冷静に対応できないことへのもどかしさや、介護のプロとしての自信を失いかけている不安も、共有したかったのかもしれません。
さらに、母親への対応のために急きょ仕事を休まなければならないことがあり、その際には周囲のサポートをお願いしたい。だからこそ、自分が置かれている状況や負担を同僚たちに理解してほしいという思いもあったのだと思います。
Nさんと同じように、「介護の大変さをわかってもらえない」と感じている方に、ぜひ試していただきたいことがあります。
それは、「介護上のトラブル」や「介護の状況」を説明する前に、次の3つを意識することです。
1.「自分がどうしてほしいのか」を伝える
助けてほしい、相談に乗ってほしいなど、自分が相手に何を求めているのか、どのような支援を必要としているのかを具体的に示す。
2.「介護による自分の状況や負担」を伝える
家族を介護するために、どれくらいの頻度で、どれくらいの時間を費やしているのか、どのようなことに特に困っているのかなど、自分にかかっている介護負担を具体的に説明する。
3.「自分の気持ちや考え」を伝える
つらい、不安、困っている、どうしていいかわからないなど、今どのような気持ちでいるのか、これからどうしたい、どうしようと考えているのかを言葉にする。
Nさんは当初、「言っても理解してもらえない」と感じていました。それでも、このままでは仕事を辞めるしかないと思い、上司に話をすることにしました。
「管理職を降りたいです。主任ケアマネジャーとしての仕事も、今受けているもの以外は一度お断りしたいと思っています」
最初、上司からは「人員不足なのはあなたが一番わかっているでしょう。今、管理職を降りたら職場が回らない」と言われました。
しかしNさんは、もう一歩踏み込んで、自分が置かれている状況と気持ちを伝えました。
高次脳機能障害の母親を支えるため、仕事の前後に実家へ通っていること。心身ともに余裕がなく、仕事でミスをするのではないかと不安なこと。母親を怒鳴ってしまう自分にも苦しんでいること。そして、この状態のままでは管理職の役割が果たせず、退職もやむを得ないと考えていること――。
そこまで聞いて上司は初めて、Nさんが離職を考えるほど追い詰められていたことを知りました。
その後、まず3ヶ月間、管理職の業務をほかの職員に代行してもらうことになりました。主任ケアマネジャーとしての新たな地域活動も引き受けないことにし、仕事の負担を整理しました。
残業せず帰宅できる日が増え、母親の介護環境を整え直す余裕も少しずつ戻ったあと、Nさんはいったん正式に管理職から離れ、母親の生活が落ち着いてから再び復帰しています。
Nさんは当時を振り返り、「母のことを話せば、相手は介護の専門職なのだから全部わかってくれると思っていました。でも、自分がどうしてほしいのかは何も言っていなかったんですよね」と話されました。
「介護のことを話しているのに、誰もわかってくれない」と感じることはあります。そんなときは、自分が何を話しているのかを一度振り返ってみてください。
家族に起きた出来事は伝えていても、「その介護によって、自分が今どうなっているのか」「何を助けてほしいのか」「どんな気持ちでいるのか」は、まだ言葉にしていないかもしれません。
介護の大変さは、外から見ただけではわかりません。それは、介護の専門職同士であっても同じです。
そして、伝えれば必ず希望通りの支援が得られるわけでもありません。職場の事情によって、すぐには対応できないこともあります。相手に理解してもらえないこともあるでしょう。
それでも、自分の状態や必要としている支援を言葉にすることは、「察してくれるのを待つ」状態から抜け出す第一歩になります。
一人の相手に伝わらなければ、別の上司や人事担当者、相談窓口など、伝える相手や経路を変えることもできます。
介護を抱えているときに必要なのは、何もかも一人でうまく処理することではありません。「もう自分だけでは難しい」と感じたとき、その事実もまた、周囲に伝えてよい大切な情報なのです。
写真:Adobe Firefly(トップ)、写真AC、PIXTA
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著者:橋中 今日子
介護者メンタルケア協会代表・理学療法士・公認心理師。認知症の祖母、重度身体障がいの母、知的障害の弟の3人を、働きながら21年間介護。2000件以上の介護相談に対応するほか、医療介護従事者のメンタルケアにも取り組む。