母と娘の関係性とその介護について考える連載。寝たきりになった母と17歳から20年間、向き合ったXさん。しかし、Xさんにとってその月日は、長くはあったけれど、自分にとって必要な時間だった、と振り返ります。

1. 17歳から始まった!くも膜下出血で寝たきりになった母との20年

17歳から37歳までの20年間、寝たきりになった母と向き合ったXさん(会社員・40代)。介護の日々は、当時53歳だった母が意識を失い倒れた日から始まりました。救急搬送され一命は取り留めるも、母はくも膜下出血によりほぼ寝たきりの状態になり、自ら言葉を発することすら難しい状態になってしまいました。

今は解散してしまいましたが、母は自ら立ち上げ、200人以上が在籍する合唱団の先頭に立ち、多忙を極めていました。親分肌でリーダーシップを取るのがうまいXさんの母は、家の中でも外でもみんなを引っ張っていく存在だったといいます。そんな母が倒れた日から、Xさんの家族の生活はガラリと変わってしまいました。父は仕事をしながら妻の対応に追われ、留学中だった兄は夢を諦めて帰国。Xさんもそれまでほとんどしたことがなかった家事を、合唱団員の親御さんからもらった家事のいろはが書かれた本を片手に、半分は自己流で担うことになりました。

2. 話せない母との距離感――自分なりの関わり方ができるまで

母が倒れた直後は、その変容を受け入れることが難しかったというXさん。それ以上に兄は母の現実を受け入れられず、志し半ばで留学先から帰国したことによるやるせなさや怒りのようなものを抱えていたようでした。父と兄の関係も悪化し、家庭内での会話も減っていました。同じ家にいながら、Xさんが二人の間に入って連絡を取り継ぐような役割をすることも。今まで母が自然と担っていた家族をまとめる役割の大きさを実感せずにはいられなくなったといいます。

一方で、Xさんは言葉も発せず、ほぼすべてに介助が必要になってしまった母との接し方に戸惑いました。倒れた直後は、父と一緒に母のいる病院に頻繁に通っていましたが、話しかけても返事のない母に何をしたらいいかわからず、病院に行っても母の横でボーっとしているだけ。そのうち容態が安定してくると、家事や学生生活など自分のことに精一杯になり、病院に行く回数が減っていきました。それでも時折、病院で看護師さんが母に介助する様子を見様見真似でやるようになりました。よだれが垂れたらタオルで拭いてあげたり、温かいタオルで顔を拭いたり、髪の毛をとかしたりすると気持ちよさそうな顔をするなど、話しができず寝たきりになった母との接し方を学んでいきました。いつしか母の介助をしながら以前はできなかった「今日は誕生日だね」といった声かけもできるようになっていったのです。ただ、それは簡単なことではなく、そんなふうに自分なりの関わり方できるようになるまでに7年近くの月日がかかったと、Xさんは母の介護の日々を振り返ります。

3. 道しるべを失って。「母のおまけ」から自分の人生を歩み始めるまで

Xさんの人生を大きく変えてしまった母の病。それは生活面だけではなく、Xさんの精神面でも大きな変化をもたらしました。Xさんも所属していた大所帯の合唱団を率いる母があまりにも偉大で、自分はいつも母を道しるべに、母の後ろを付いていくおまけのような存在だったというXさん。母を自分の見本と見立て、彼女が喜ぶ方を選ぶ人生を歩むようなところがありました。ところが、母が寝たきりになって道しるべを失い、自分の力で歩む道を決めていかなければならなくなりました。それはXさんにとって苦しいことでもありましたが、「母が倒れたことで、やっと私は自分の人生を歩み始めた」と、母のおまけのような存在から脱却することができたのです。

長い介護生活ゆえ、ヤングケアラーから若者ケアラーになったXさんならではの切ない悩みもありました。友人の結婚式に出席した際、新郎新婦の両親4人が前に出て、新郎新婦から花束をもらったり手紙を読んでもらったりするシーンを見て、そんな光景に強い憧れがあるわけではなくても「私には経験できない」という妬みのような複雑な気持ちになったのだそうです。その経験から人生のハレの日であっても、「私は王道な結婚式はしたくない」と思いをこじらせてしまったのだとか。Xさんの結婚式は、母が入院していた病院がキリスト教系だったため、母に参列してもらえるよう併設されたチャペルで友人などは呼ばず、ほぼ家族だけで、自分たちで準備をしてささやかに行いました。

娘を出産したときも、里帰りをして母親が献身的にお世話をしてくれている人を見ると心のシャッターが下りてしまったように感じたり、孫をかわいがる母の話をするママ友がいると自分にそういう話が向かないように身構えるなど、母に頼ることができる人達に対しての自分のドロドロした感情に気づいたそうです。

4. 母を看取った20年は「必要な時間だった」――介護の先に見えた景色

今、Xさんは持病の進行により老人ホームを退所し、入院生活を送る高齢の父と向き合っています。でも、心は非常に穏やかだというのです。それは母の介護をして、看取った経験があるからです。Xさんの母は病院で寝たきりの生活を20年間送りましたが、その年月についてXさんは「自分にとって確かに長い年月ではあったけれど、病気になった母のことを受け入れて、看取るまでに必要な時間だった」と考えているそうです。なぜなら、17歳のあのときに母があのまま天国に逝ってしまったら、きっと現実を受け入れられず、立ち直れなかったかもしれないと思うからです。

母が倒れてから数々の試練を乗り越えてきたXさんですが、今、恐れていることがあります。それは、母が倒れた年齢に自分が近づき、母の遺影が以前に比べて若く見えるようになってきたことです。自分も母の年齢になったら同じような状態にならないか、という不安は年々大きくなっています。あと数年で娘が17歳になり、母が倒れたときの自分と同じ年齢になります。そのとき、何不自由なく高校生活を送る娘に対し、自分はそれができなかったという、やっかみのような親らしからぬ感情が生まれてしまうのではないかということも恐れています。

この話を聞いて気づいたのですが、娘ではなく息子がいる筆者は、彼に対してXさんと同じようなことを思ったことがあります。これはヤングケアラーが親になったときに抱く独特の共通した感情なのかもしれないとハッとさせられました。

Xさんは人よりも早く両親を看取ることになるであろうと思っています。また、夫の両親もすでに亡くなっているそうです。子育てがひと段落したら、「自分だけのために、時間が使えるようになるのが楽しみ」というXさんの印象的な言葉は、ヤングケアラーのころから家族の介護と向き合ってきたからこそ言えるものだと感じました。


写真:写真AC


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著者:岡崎 杏里

大学卒業後、編集プロダクション、出版社に勤務。23歳のときに若年性認知症になった父親の介護と、その3年後に卵巣がんになった母親の看病をひとり娘として背負うことに。宣伝会議主催の「編集・ライター講座」の卒業制作(父親の介護に関わる人々へのインタビューなど)が優秀賞を受賞。『笑う介護。』の出版を機に、2007年より介護ライター&介護エッセイストとして、介護に関する記事やエッセイの執筆などを行っている。著書に『みんなの認知症』(ともに、成美堂出版)、『わんこも介護』(朝日新聞出版)などがある。2013年に長男を出産し、ダブルケアラー(介護と育児など複数のケアをする人)となった。訪問介護員2級養成研修課程修了(ホームヘルパー2級)
https://anriokazaki.net/

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