これは、50代の息子(私・久保研二〈ケンジ〉)と80代の父(久保治司〈ハルシ〉)が交わした日々の断片の記録です。舞台は、山口県の萩市と山口市のほぼ真ん中に位置する山間部・佐々並(ささなみ)地区にある、築100年の古民家です。アルツハイマー型認知症の父・ハルシを引き取ってから数カ月が経ち、在宅介護の日々もある程度のリズムができてきました。ハルシは相変わらず息子に悪態をつくのですが、調子のいい時は、その悪態もリズミカルでテンポがよく、何ともいえない味わいがあるのです。

1. 胃カメラ検査は一日がかりの大仕事!

本日は近所のかかりつけの内科クリニックで、ハルシの検査をしてもらう予定になっています。胃カメラを飲む検査なので、朝から何も食べてはいけません。前の日から、ハルシに何度も何度も言い聞かせました。「明日は検査や」と、何度も何度も言いました。それなのに、明け方から、
「お〜い! 飯まだか〜! 腹減って死んでまうがな〜!」
と、隣の部屋の寝床の中からハルシが叫んでおります。
「今日は検査やから、朝飯抜きやで〜!」
私も寝床から叫び返しました。
ハルシは、都合の悪いことには、無言をもって、その回答とします。

その後、また、うとうとしたのでしょう。ハルシも、私も、お互いに……。

ふと、台所からの不審な物音で目が覚めました。しばらくは、私も夢うつつで、寝とぼけていましたが、ハッと我に返って突然起き上がり、台所に向かって疾走しました。台所に到着して私が見たものは、ハルシが、勝手に炊飯器の米を茶碗に盛って、お茶漬けをすすっている図でした。
「わっちゃ〜〜〜」
今さらハルシを叱っても、もうどうしようもありません。とりあえずお茶漬け少々なら、許されるかもしれないと、クリニックに電話をしました。けど、やっぱりあかんということで、午前中の予定だった検査を、午後にずらしてもらうことになりました。

その後、ハルシが何も食べないようにきっちり見張り、やっとのことでクリニックへ車で向かいました。胃カメラ検査の結果はというと……。

「いやあ、キレイなもんです。まるで問題ありません」
「あきません、せんせ、そんな褒め方したら、またこの男、調子にのって、有頂天になって、もう医者なんか行かんでええとかほざきます。そしたらせんせも、美味しい老人医療費、売上さがりまっせ」
「そうかね、そりゃあ、いけんね」

帰りの車の中、案の定、ハルシは有頂天になってしゃべり続けます。
「わしみたいなキレイな胃袋の人間、この世の中に、二人とおらへんで。医者もびっくらこいとったやろ? やっぱり、ええ人間は、何から何までキレイな、神さんはよう知ってはる」
「神さん? どの神さんや? キリストはんか? モハメッドはんか? 出雲の神さんか?」
「神さんゆうたら神さんや、そんなもん、神さんと名がつくもん、誰かてみんな、神さんに決まっとるがな……。オマエも勉強しとるわりには、ドアホやのう」
「へいへい、そうでおます」

胃カメラ検査は一日がかりの大仕事!

2. お気に入りの外履きスリッパがなくなった!

私は、入浴中でも時々オールヌードで外に出ます。昔ながらの五右衛門風呂なので、浴室の裏のドアを開け放し、いちいち外へ出て釜で木を燃やし、火加減を調整する必要があるからです。

その時に使う、私のお気に入りの外履きスリッパが、今日は片方しかありません。普段から、ドアの前に常時待機させてある、蛍光がかったオレンジ色のスリッパです。昨日は、確実に存在していました。はっきりと覚えています。さて、犯人はいったい誰なのか?

第1の容疑者……まず思い浮かぶ名は、おそらく皆様と同じ、「ハルシ」であります。

しかし、ハルシは勝手に表へ出ることができないのと、スリッパを履く必要もなく、なにより、アリバイがあります。ちなみにハルシを立件するに至っては、犯行の動機は必要ありません。時々意味不明の行動をとるからです。いずれにせよ、犯人はハルシではないようです。

第2の容疑者……突風であります。しかし、昨日はそこまで強い風は吹いておらず、もし風が犯人なら、まだスリッパはこの近くにあるはずです。しかし、家の周りのどこにも見当たりません。

第3の容疑者……このあたりに住む野生動物、タヌキかお猿です。先日、夜道を運転している時に、ある弱ったタヌキを助けたことがあります。もしタヌキなら、逆に私に恩返しをせんとあきません。もしお猿なら、わざわざこんな食えないものを窃盗しないはずです。

第4の容疑者……これが、最も怪しい。この近くで放し飼いにされている一頭の犬です。夜中、外で風呂を沸かしていたりすると、すぐそばにヌッと現れて、一瞬ぞっとしますが、大きな体のくせに妙に愛嬌のある顔で、とてもおとなしいいい奴です。首にちゃんと首輪と鈴をつけています。まあ、あいつやったら、やりかねんやろなぁ……。

3. ハルシとの会話はまるで「禅問答」!?

犯人が誰であろうと、スリッパがなくなったことは少なからずショックでした。お気に入りのスリッパだったのです。100円ショップで買ったのですが……。同時に黄色と青色のスリッパも買いましたが、この蛍光がかったオレンジ色のが一番気に入っていました。

諦めきれず、念のため、ハルシに聞いてみることにしました。
「ハルシ〜、わしのスリッパ知らんかぁ〜?」
「どんなスリッパや?」
「オレンジ色や」
「オレンジ?」
「柿色や、柿色」
「ミカンか柿か、いったいどっちやねん?」
「どっちもよう似た色やろ? 夕焼けこやけの色や」
「……? そんなスリッパなんか知らんし、オマエと一緒に捜すのんも、嫌や」
「左様か」
「左様や……………あっ!」
「何や? なんか思い出したんか?」
「そう言えばこの前、タヌキが、このスリッパちょうだい、ゆうてた気がするなあ」
「ホンマかいや?」
「オマエはアホか? そんなん嘘に決まってるやないか」
「あ〜あ、諸行無常やな」
「そうや、スリッパがなくなるのも、諸行無常や」
「ちゃうわい、ハルシのことを言うとるんや」
「おいっ、ケンジ」
「なんや?」
「ところで、諸行無常って、なんや?」





写真(トップ):ピクスタ

 

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進退ここに極まれり 不良中年の私が厄介な父を引き取った理由|父と息子の漫才介護①
予想外の珍ケース! 嫌われ者だった父の性格が穏やかに!?|父と息子の漫才介護②
認知症の父との会話 なんとも言えない「面白さの粒子」に気づく|父と息子の漫才介護③
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この記事の提供元
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著者:久保研二

久保研二(くぼ・けんじ)
作家(作詞・作曲・小説・エッセイ・評論)、音楽プロデューサー、ラジオパーソナリティ
1960年、兵庫県尼崎市生まれ。関西学院中学部・高等部卒。サブカルチャー系大型リサイクルショップの草創期の中核を担う。2007年より山口県に移住、豊かな自然の中で父親の介護をしつつ作家業に専念。地元テレビ局の歌番組『山口でうまれた歌』に100曲近い楽曲を提供。また、ノンジャンルの幅広い知識と経験をダミ声の関西弁で語るそのキャラクターから、ラジオパーソナリティや講演などでも活躍中。2022年、CD『ギターで歌う童謡唱歌』を監修。
プロフィール・本文イラスト:落合さとこ
https://lit.link/kubokenji

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