介護は想像以上に長期化することがあります。それに伴い、家族の負担も、長く、重くなっていきます。家族だけで介護し続けるのは簡単なことではありません。

要介護者の病状の進行や老化の影響で介護負担が大きくなることもあれば、介護を担う家族自身の環境や心身の変化によって、施設介護が現実的な選択肢となる場合があります。

しかし、「慣れ親しんだ自宅で最期まで過ごさせてあげたい」と願うあまり、自分が倒れるまで頑張ろうとするご家族は多いもの。また、「もう限界かもしれない」と感じながらも、家族への罪悪感から施設入居の申請を進められずにいる方もおられます。入居後も「入居のタイミングは、本当にあれでよかったのか」と悩む方も少なくありません。

1. 事例から学ぶ:Bさん(パートタイマー・50代女性)

Bさん(50代、女性)は、パーキンソン病の母親を同居でサポートしながら仕事をしています。

ある日、Bさんが帰宅すると母親が台所でうつ伏せに倒れていました。聞けば、昼過ぎに転倒し、立ち上がれないままBさんの帰宅を待っていたのだそうです。幸い、大きなケガはありませんでしたが、その後の母親は転倒が増え、要介護度は要支援1から要介護3へと上がりました。

Bさんはサービスを見直し、デイサービスや訪問看護、訪問介護を上限までフル活用することにしましたが、仕事中の時間帯を全てカバーできるわけではありません。ケアマネジャーからは施設入居を提案されましたが、Bさんは「まだ大丈夫」と断り続けていました。

しかし、母親は1人で自宅にいる際に再び転倒し、今度は骨折。幸い、転倒直後に訪問介護のスタッフが到着したため、すぐに救急搬送されましたが、Bさんは「もし、発見が遅れていたら……」と、恐怖が込み上げました。母親は、手術後の回復が思うように進まず、リハビリを受けても立ち座りに手助けが必要な状態です。主治医からも「パーキンソン病の影響で、今後はさらに歩行が難しくなる可能性があります。お1人での在宅介護はもう限界ですよ」と説明されました。

悩んだ末、Bさんは退院後の施設入居を決断しました。母親は強く拒絶しなかったものの、落ち込んでいるように見えます。見舞いのたびに口数が減っていく母親の姿に、Bさんは胸を締め付けられる思いでした。

退院後、特別養護老人ホームに入居した母親は、1ヶ月後に歩けなくなり、車椅子生活になりました。病状の進行のためだと頭では理解していても、Bさんは「入居を決めた自分のせいで母親は気落ちし、病状が悪化したに違いない」と、自責の念が湧き上がります。

「仕事を辞めて介護に専念していれば、一緒に自宅で暮らせたのでは」
「母親よりも仕事を優先させた最低な娘だ」
「入居のタイミングは早すぎたのではないか」
今更考えても答えは出ないとわかっていながら、後悔の思いが止まりません。

介護負担が減ってプライベートな時間が持てるようになった一方で、「自分のために親を犠牲にした」と感じているBさんは、次第に面会に行く足が遠のくようになりました。


悩んでいる女性

2. 施設入居後に湧き上がる罪悪感の正体

「在宅介護は親孝行で良いこと」「施設介護は親不孝で悪いこと」という思い込みに縛られ、施設入居を決めたあとも強い罪悪感に苦しむ方は少なくありません。頭では悪いことではないと理解していても「私は冷たい人間だ」と自分を責め続けてしまうのです。

特に、入居後の状態の変化を目の当たりにすると「自分のせいではないか」と感じてしまいます。環境の変化で状態が変わることもありますが、多くは病状の進行や加齢など複数の要因が重なって生じるものです。それでも自責の念が強くなる背景には「家族を守るのは自分の役目だ」「決めたのは私なのだから、結果も全て私の責任だ」という強い責任感があります。

しかし、在宅介護は、家族の努力だけでは越えられない現実があります。支えるサービスが減少している状況での施設入居は、介護環境を整えるための選択肢のひとつです。親不孝でも、努力不足でもありません。

介護の全てを家族だけで抱え込むことはできません。私は、環境を整えようとしたその判断にこそ意味があると考えています。

3. 今の自分で過去を裁かない

母親の幸せを奪ってしまったと、自分を責め続けていたBさんでしたが、罪悪感の奥には「母と離れて寂しい」という感情があることに気づきました。それに気づいたあと、母親が施設で落ち着いて過ごす様子を見守るうちに、少しずつ心が和らいでいったそうです。

自責の念や罪悪感には、家族とのつながりを保とうとしたり、寂しさや喪失感に直面する痛みを和らげようとしたりする、心理的な働きもあります。痛みの奥にある「寂しい」「悲しい」といった感情に気づくことが、心がほぐれるきっかけになることがあります。

Bさんは「自分の判断が100%正しかったと言い切れるわけではありません。でも、あの時が限界だったのだと思えるようになってから、罪悪感で足が向かなかった面会にも行けるようになりました」と話してくれました。

「もっと良い選択があったのではないか」という後悔は、状況を乗り越え、少し余裕が生まれたからこそ出てくる思いでもあります。当時は心身の限界やサービスの制約など、選択肢は限られていたはず。その時点での最善の判断だったと考えてよいのではないでしょうか。

余裕のなかった時の自分を、余裕のある今の自分が裁き続ける必要はありません。どうか「あの時はよく頑張っていた」と自分をねぎらう時間を持ってください。

繰り返しますが、施設入居という選択は、誰かを見捨てるのではなく、介護を続けるために環境を整える決断です。迷いながら出したその判断の背景には、その時なりの精一杯の思いがあったはずです。そのことを忘れないでください。


自分の時間を楽しむ

写真:Freepik、写真AC


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この記事の提供元
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著者:橋中 今日子

介護者メンタルケア協会代表・理学療法士・公認心理師。認知症の祖母、重度身体障がいの母、知的障害の弟の3人を、働きながら21年間介護。2000件以上の介護相談に対応するほか、医療介護従事者のメンタルケアにも取り組む。

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