これは、50代の息子(著者・久保研二〈ケンジ〉)と80代の父親(久保治司〈ハルシ〉)が交わした日々の断片の記録です。数年前、息子は関西に住む父親を引き取って、2人で田舎暮らしを始めました。舞台は、山口県の萩市と山口市のほぼ真ん中に位置する、人口密度が極めて少ない山間部・佐々並(ささなみ)にある築100年の古民家です。ここで、歌や曲や文章を書くことを生業(なりわい)とするバツイチの息子と、アルツハイマー型認知症を患っているバツイチの父親が、関西人独特の「ボケ」と「ツッコミ」を繰り返しながら、ドタバタの介護の日々を送っています。

1. 「肉とじゃがいもと忘却瞬間芸」の巻

後戻りが出来ないといわれるアルツハイマー型認知症ですが、少しでも進行を遅らせたいと考えるのが「子の心」でしょう。親子の立場が逆転しても、互いに一人の人間として、あくまで対等に向き合って接する。そこから生まれる「手加減をしない会話」が、いかに脳を活性化させるかということを、私は日を追うごとに、リアルに体験してゆくのでした。


台所でじゃがいもをムキムキしていると、ハルシが聞きます。


「オマエ、さっきからそこで、何しとんねん?」
「見てわからんか? じゃがいもの皮、剥いとるねん」
「いったい何をつくるんや?」
私は、冷蔵庫から発泡スチロールのトレイを出します。行きつけの市場で、500グラム買った、牛バラ肉の半分が残っております。それをハルシに見せながら、
「これ、なんやと思う?」
「そらオマエ、牛肉やないかい」
「さて、それなら、これからワシは、いったい何をつくるでしょうか?」


ハルシは必死に頭を動かします。


「そうやでハルシ、そうやって、普段から頭は使わなあかんねんで……」
「おいっ、さっき剥いとったん、何やった」
もう忘れてます。私は笑いながら、「じゃがいもや、じゃがいも」
「じゃがいも、と、肉やなあ ………………………………………………………………………………………………………………………」
「えっらい長いこと考えとるなぁ? ハルシ寝とるんか?」
ハルシは、いきなり手を叩きました。
「わかった! 逆にしたらええんや! じゃがいもが先やったから、わからんかった。答えは、肉じゃがや!」
「偉いやないか? ハルシようわかったなぁ」
「ワシはそやけど、あらためて、やっぱり偉いなあ。急にクイズ出されても、すぐに答えられる」
「すぐちゃうけどな……」
「いやあ、こんな賢い年寄り、めったに居らへんで」
「まあな、確かに今日は偉い。褒めたる」
「そうや、人間な、褒めるのは大事なことやで」
「そうやな、ハルシは疎開先で、手旗信号が上手いゆうて、せんせに褒められて、めっちゃ嬉しゅうて、それで、もっともっと練習したんやもんな。この歳になって、夜ハルシオンで寝ぼけてまで、手旗信号の練習すんねんから、たいしたもんや」
「そのとおりや、けど、なんでオマエ、そんなこと知ってるねん?」
「お釈迦さんとワシはな、なんでもお見通しなんや」
「ほ〜そうか……オマエは偉いのう、いっぺん、親の顔が見てみたいわ」
「母親か?」
「どアホ! あんなもん、人間やないわい」
「よっしゃ、そんならもっぺん、偉いハルシにクイズ出すで」
「何でも言わんかい」
「今、ワシは何をつくろうと思って、こうして料理をしてるでしょうか?」
「ちょっと待て、これは、さっきのんと違(ちご)うて、相当難しいぞ」
私は煮立った鍋にジャガイモを放りこみながら、笑いが止まりません。
「んんんん、あかん、忘れた、降参や」
「肉じゃがと、ちゃうかったんかなぁ、ハルシさん?」
「えっ、肉じゃが? まさか、肉じゃがなんかも、オマエつくれるんか? おったまげたのう。ワシ、長いことそんなもん、食うたことないわ」

 

この“忘却瞬間芸”が、慣れると実に、ツボにはまります。



介護漫才ねこのイラスト1

2. 「ホンマの犯人は別におるんやで」の巻

先日、とあるイベントでいただいたお花を部屋に飾りました。花があるだけで、空気がサッと色づくから不思議です。別に、ずっと花を見ているわけではありません。そばに置き、気がついたときに、ちょいと眺めるのです。その間合いが、実に素敵です。朝、焼きあがったトーストにバターを塗り、ふと、脇を見る。するとそこに、思いがけない、花がある。


「花があるだけで、幸せが増すよなぁ……なあ、治(はる)っさん?」
「何やて? 花? 花がどないしたんや? ワシはなあ、自慢やないけど、そういうことは、サッパリわからん」
「そうやろなあ……治っさんがわからんということは、ようわかるわ」
「さて、そうとなれば、屁ぇこいて寝てかましたろ」
「そうやろなあ……それが治っさんやろなぁ……」
「アホの研二、そんなもん、いつまで眺めてても食われへんで」
「そうやろなあ……腹はふくらまへんやろなぁ」
「ホンマにオマエは変わっとるわ。オマエみたいなんを産んだ親の顔が見たいわ」
「そうやなあ……産んだ親の顔が見たいなぁ……」
「誤解をされたら困るから、今のうちにハッキリと言うとくけど、ワシがオマエを産んだんとちゃうで」
「そら、そうやろなあ……」
「別におるんやで、犯人が」
「犯人?」
「そうやがな、オマエの母親や」
「そら、そうやろなあ……そやけど、この期に及んでも自分に責任はないとシラを切るんやな? ハルシは?」
「あったりまえやないか? ワシが産んだんやったら、もっとマトモな人間を産んどるがな」
「ひえ〜っ!」
「そやからワシは、いの一番に嫁はんを追い出したんじゃ!」
「ひえ〜ひえ〜! そら知らなんだわ、完全に勘違いしてたわ」
「オマエ、まさかええ歳こいて、男のワシがオマエを産んだんやと、思ってたんとちゃうやろな?」
「なんでやねん?」
「今、勘違いしてたと、言うたやないか?」
「ワシは、ハルシが追い出したんやのうて、逃げられたんやとばっかり思とったんや」
「ケッ! あほくさ。あれは正真正銘、ワシの方から追い出したんや」
「なるほど、歴史はこうして書き換えられていくねんな……」

 

介護漫才猫のイラスト2

 

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進退ここに極まれり 不良中年の私が厄介な父を引き取った理由|父と息子の漫才介護①
予想外の珍ケース! 嫌われ者だった父の性格が穏やかに!?|父と息子の漫才介護②
認知症の父との会話 なんとも言えない「面白さの粒子」に気づく|父と息子の漫才介護③
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げに恐ろしきは人間の習慣! ハルシのお泊り練習とケンジのセルフご褒美|父と息子の漫才介護⑤
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ハルシの胃袋と消えたスリッパの謎|父と息子の漫才介護⑦
スカタンだけど、偉い。ハルシは世界の七不思議|父と息子の漫才介護⑧

 

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著者:久保研二

久保研二(くぼ・けんじ)
作家(作詞・作曲・小説・エッセイ・評論)、音楽プロデューサー、ラジオパーソナリティ
1960年、兵庫県尼崎市生まれ。関西学院中学部・高等部卒。サブカルチャー系大型リサイクルショップの草創期の中核を担う。2007年より山口県に移住、豊かな自然の中で父親の介護をしつつ作家業に専念。地元テレビ局の歌番組『山口でうまれた歌』に100曲近い楽曲を提供。また、ノンジャンルの幅広い知識と経験をダミ声の関西弁で語るそのキャラクターから、ラジオパーソナリティや講演などでも活躍中。2022年、CD『ギターで歌う童謡唱歌』を監修。
プロフィール・本文イラスト:落合さとこ
https://lit.link/kubokenji

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