これは、50代の息子(著者・久保研二〈ケンジ〉)と80代の父親(久保治司〈ハルシ〉)が交わした日々の断片の記録です。数年前、息子は関西に住む父親を引き取って、2人で田舎暮らしを始めました。舞台は、山口県の萩市と山口市のほぼ真ん中に位置する、人口密度が極めて少ない山間部・佐々並(ささなみ)にある築100年の古民家です。ここで、歌や曲や文章を書くことを生業(なりわい)とするバツイチの息子と、アルツハイマー型認知症を患っているバツイチの父親が、関西人独特の「ボケ」と「ツッコミ」を繰り返しながら、ドタバタの介護の日々を送っています。

1. 「珈琲つくるの“だけ”は上手い」の巻

「そやけどオマエは、珈琲だけは、つくるの上手いなあ、ワシはそれだけは感心するなあ、ほんまに」
「上手いのは、珈琲だけかい」
「そうや」
「サンドウィッチやピザトーストは、どないやねん?」
「サンドイッチか、サンドイッチは美味いよ。オマエがこさえるサンドイッチは、商売人がつくるのんみたいや」
「ほんならわざわざ『珈琲だけ』ってな言い方をせんでも、ええんとちゃうかい」
「そんなこと気にしたことないわ。上手いゆうて褒めとんねんから、それでええやないか」
「そやから、せっかく人を褒めてるのに、それやのに、ハルシは口が悪いゆうて、逆に相手に嫌われるんやで」
「ワシがいったい何を悪いこと言うたんや?」
「そやからな、『オマエのいれる珈琲は美味い』とか、『オマエは珈琲いれるの上手い』ゆうたらええのに、そこにわざわざ『だけは』を足すからあかんねん。そやから相手は、珈琲以外は、まずいのか? と、気分を害するわけや」
「へぇ~、びっくらこいた。ワシは、生まれて初めてそんなこと人から聞いたで。こうなったら、うかうか人を褒めることもできひんのう、このウチ(家)だけは」
「ほらまた『だけは』と言うたで。ウチだけやない。世間一般、日本中、もっと言うたら世界全体、地球人すべての常識や」
「へ~」
「ところで、ワシがたてた珈琲は、どう美味いんや?」
「ぬるいからや」
「なんや、それだけかい?」
「オマエも『だけ』ゆうとるやないか?」
「これは正しい使い方や!」

「珈琲つくるの“だけ”は上手い」の巻

2. 『なんぼ歳くっても、親の方が偉いんや』の巻

「……ちょっと今日の珈琲、いつもより、薄いなあ」
「ジュルジュルいわせて、珈琲飲むなっちゅうねん!」
「ワシ、歯が抜けとるからや」
「ジュルジュルとは、関係ない」
「はいはい」
「ハイは、一回」
「もう、何を言うても文句言われるから、ワシ屁ぇこいて寝る」
「屁は、こかんでもええ」
「はいは~♪い~ったこ~の~い~たろおォ~お♪」
「ごまかすな、ハイは一回」
「ええっと、そやった。屁ぇこいて寝るんやった」
「そやから、寝るのはええけど、屁は要らん」
「どうも、オマエとおると、調子が狂うなあ」
「どないに狂うんや」
「なんぼ頑張っても、オマエだけは思ったようにだませんわ」
「ハルシがワシを騙すってか? そんなもん、5万年早いわ」
「そない思っとけ。しまいにえらい目にあうわ」
「はいはい」
「ハイは1回と、ちゃうんか」
「今のは、わざと言うたんや」
「ほんならオマエに質問するけどな」
「なんでも聞いたらんかい」
「ワシ、今、パンツ履いとると思うか?」
「何っ、まさか……」

慌てて洗濯機を見にいくと、脱いで丸めた紙オムツパンツが捨てられていました。もちろん、茶色い現物が付いた……。

「脱げえ! 全部脱げえ! シャワーじゃ、シャワーじゃ! 布団カバーも、シーツも、全部洗濯するから、とにかく風呂場に入れえーっ! 強制執行じゃーっ!」
「嫌や、寒いし、邪魔くさい」
「あかん、絶対にあかん! シャワーせな許さん!」
「パンツしか汚れてない」
「そんなことない、脱げぇ、全部脱いでくれぇ!」
「嫌や」
「頼むから、脱いでくれ」
「ほなら、そこまで頼むんやったら、しゃあないなあ、今回だけやで、今回だけ、オマエの顔に免じて、特別にゆうこと聞いたる」
「嫌や、ワシもう、こんな生活……」
「ぜいたく言うな」
「ハルシが言うな」
「そうか、ほんなら、ワシ風呂入るの、や~めた」
「わかった、わかった、ワシが悪かった」
「これでようわかったやろが。なんぼ歳くっても、親の方が偉いんや、よう覚えとけ」
「へへへ~い。お見それいたしやした~。あっしが悪うございました」
「最初からそない言うとったら、なんも問題は起こらへんのや。ほんまに、アホなやっちゃ……」

『なんぼ歳くっても、親の方が偉いんや』の巻

3. 『世界の七不思議』の巻

昨夜、食後の薬を飲ませたあと、別室のベッドでテレビを見ているハルシに、
「あとは、寝る前に飲む薬(眠剤)だけやから、もう寝よう、と思った時に、忘れんとワシにひと声かけてや」と言うと、
「そんなもん、いつそうなるかわかるかい!」
「たしかに、そらそうやな」
しばらくハルシはテレビを見ていたようですが、ふとテレビの音が消えました。私は、このタイミングで眠剤を飲まそうと様子を見にいくと、ハルシはすでに寝ています。さて、気持ちよく寝ているのをわざわざ起こして眠剤を飲ませる意味があるのか? 

とりあえず、今はそのままにしておいて、夜中に起きてきたら、その時に飲ませることにしました。そして、夜中目覚めて、トイレに行ったハルシ。私はさっきの薬を飲ませようとしましたが、その薬がなぜかテーブルの上にありません。いくら探してもないのです。

そして朝になりました。
「ハルシ、昨日の夜、あれから一人で薬飲んだか?」
「そんなもん、わざわざそんな邪魔くさいことをワシがするわけないがな」
たしかにそうです。
「どないしたんや?」
「たしかに、ここにあったはずの薬がないんや」
「そんなアホなことないやろ? よう探してみい。どうせどっかに落ちとるわえ、そのへんにでも」
私は、丁寧にあちらこちらを探しましたが、やはり薬はどこにもありません。
「なあハルシ……世の中には、ほんまに不思議なことがあるもんやなあ……」
「そうや! たしかに不思議なことがあるで。そやけどな、それな、オマエな、要は、ボケとるねん」
「なんやて?」
「オマエが気付いてないだけでな、それな、ボケの始まりや。オマエはボケかけとるねん。見ててみ、これからどんどん、自分の身の回りに不思議なことが起こるで」
「ハルシみたいに、ワシがボケるってか?」
「ドアホ! わしはボケてない」
「えっ?」
「ワシは物忘れが、若い頃よかちょびっと多いだけや、歳とったら誰かてこの程度は物忘れが増えるねん」
「なるほどな」
「オマエな、親の言うことだけは、よう聞いとけよ。ほんまに気をつけなあかんで、人間ボケたら、えらいことやで……本人はええけどな、まわりのもんがたいへんや……」
「そんなことまで知ってるハルシは、偉いなぁ」
「ホンマやなぁ。なんでこんなに偉い人間が、この世に生まれてきたんかなぁ…」
「不思議やなぁ……」
「確かに、世界の七不思議や……」


ねこのイラスト

 

 

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この記事の提供元
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著者:久保研二

久保研二(くぼ・けんじ)
作家(作詞・作曲・小説・エッセイ・評論)、音楽プロデューサー、ラジオパーソナリティ
1960年、兵庫県尼崎市生まれ。関西学院中学部・高等部卒。サブカルチャー系大型リサイクルショップの草創期の中核を担う。2007年より山口県に移住、豊かな自然の中で父親の介護をしつつ作家業に専念。地元テレビ局の歌番組『山口でうまれた歌』に100曲近い楽曲を提供。また、ノンジャンルの幅広い知識と経験をダミ声の関西弁で語るそのキャラクターから、ラジオパーソナリティや講演などでも活躍中。2022年、CD『ギターで歌う童謡唱歌』を監修。
プロフィール・本文イラスト:落合さとこ
https://lit.link/kubokenji

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