書店主の辻山良雄さんによる連載「〈わたし〉になるための読書」。第11回は、文芸評論家・加藤典洋との14年間を描いた長瀬海『僕と「先生」』と、黒人神学から自身のルーツを見つめ直す榎本空『それで君の声はどこにあるんだ?』の2冊を取り上げます。大きな存在(「先生」)との葛藤を通じて、いかにして「じぶん」の言葉を見出すのか。日常から離れ、深く自分を見つめるための読書案内をお届けします。
わたしの学歴は大卒だが、上の学校に進むほど勉学のほうはおろそかになり、大学ではろくに授業にも出ず、単位の帳尻だけ合わせて卒業した(そうしたこともあり、時々「あなたはまだ卒業していませんよ」と大学から連絡が来る夢を見る)。
だから今回の二冊を読み、自らの若いころの行いを恥じるとともに、彼らを少し羨ましく思った。
「先生」は知識や学問を教える存在であるとともに、人がこの世界を生きていくとはどういうことか――それを普段の立ち振る舞いや言葉から伝える人生の先達でもある。二人は若い時分に「先生」と呼ぶことのできる人と出会った。しかしわたしにほんとうの意味での「先生」はいただろうか。
そうした人物と出会うことのできた人生は幸いだが、その存在が大きければ大きいほど、そこから〈わたし〉を立ち上げるのもまた困難を伴う。今回はそうした超克する「出会い」の二冊をご紹介します。
『僕と「先生」』はライターで書評家の長瀬海初の単著。「先生」とは、『敗戦後論』『人類が永遠に続くのではないとしたら』など多数の著作があり、文学と社会批評を自由に横断した文芸評論家・加藤典洋のことを指している。二〇〇五年早稲田大学に入学し、加藤のゼミに入った長瀬は、紆余曲折を経て彼のティーチング・アシスタントとなり、その付き合いは加藤が病に倒れ帰らぬ人となった、二〇一九年五月まで続いた。
本書は時系列に綴られた「僕」と「先生」との一四年間の記録である。章ごとに加藤の主な著作や彼が影響を受けた本が採り上げられ、全体を通してこの批評家の思想が浮かび上がってくるとともに、東日本大震災など社会を揺るがす出来事や批評家同士の論戦、若い学生に対して加藤はどう応答したのかなど、ひとりの人間の背中が見えるような本でもある。評論とも伝記ともエッセイともつかない動的な内容で、その「ゆらぎ」がこの本を何とも魅力的なものにしているが、詳細な出来事や思想を拾い集め、一人の人物の全体像を立ち上げていく著者の筆力には、「いまこの本を読まねば」と思わせる迫力があった。
わたしたちは批評家と聞くと、つい何かを知っている、迷いのない完成した存在だと思ってしまうが、長瀬が書いた加藤典洋の姿はそうではない。絶えずAとBとのあいだで逡巡し、時に感情をむき出しに、「誤りうることが正しいことより深い」として、自身は授業で採り上げたソクラテスのように、何も「知らないと思っている」。その像はとても人間臭く、台座の上に座り何かを知っているポーズをとる人物よりも、よほど誠実で魅力的に思えた。
しかし何も知らないとは、すべて一から自分の頭で考えなければならず、既存の考えや党派性に頼ることもできない、孤独で厳しいものだ。加藤は「じぶんの思考だけを頼りに世界と対峙する」ため、自らをわざわざそうした場所に追い込んだのかもしれないが、そのようにして逝ってしまった大きな存在を前に、残されたものはどう「じぶん」の言葉を紡いでいくのか――この超克が本書をその底から駆動させているエンジンで、この本を力強く、切羽詰まったものにしていると思った。
「先生」と出会い、自ら揺れながらもその全体像と向き合った、生きることと考えることが一つに結び合った一冊である。
師と呼べる人物を乗り越えようとして、〈わたし〉の声を探すというテーマは、榎本空の『それで君の声はどこにあるんだ? 黒人神学から学んだこと』にも共通する。彼の「先生」はジェイムズ・H・コーンという人物だが、コーンはその当時、ニューヨークはマンハッタンにあるユニオン神学校で「黒人神学」を教えていた。
コーンは神学を、白人のための、厳かでアカデミックな「学問」から解き放ち、もっとアクチュアルな、苦しんでいる人びとを自由にする「実践」だと広く捉えていた。いま周りを見回しても、人種や性別、障害の有無による差別はなくならず、格差もますます広がっている。それを考えると、社会によりずっと艱難辛苦を舐めさせられてきた黒人こそが、キリストの教えをじゅうぶん体現できる存在ではないのか――コーンはそのように考え、黒人解放の神学を打ち立てたのだ。
榎本はコーンの教えに共感し、英語での授業にもくらいついていった。そしてコーンは、留学生の身分でしかなかった彼をはげまし、同じ「考える者」としてみなと分け隔てなく接したが、そこには越えることのできない境界線も存在した。
いくら黒人の苦しみにつながりたくても、黒人でもない日本人が、彼らの背負ってきた痛みをどこまで理解できるのか。
そうした根本的な問いに突き当たった榎本は、「自分の声を見つけなさい」というコーンの言葉を胸に、自身のルーツに立ち返っていく……。
この本で印象に残るのは、全編を貫くヒリヒリとした緊張感だ。「何者かになりたい」という煮えたぎる思いを、冷静でソリッドな文章でかろうじて抑え込んでいる印象がある。コーンのしゃがれた深みのある声、若い榎本の少し影のある落ち着いた声など、一冊の本に様々な声や歌が満ち満ちており、黒人のアーティストが奏でる音楽と同質の知性を感じた。
まだ世界の至る場所には、それぞれの「苦難」が存在しているが、その苦難から目を逸らさず、それを生きることで、わたしたちは同じように「苦難」にいる世界の人びとと連帯することができる。そうした、いまにも沸点を迎えそうな混沌の中で、自分の声を見つけようと懸命に生きている人に読んでもらいたい一冊だ。
写真:著作者 Magnific

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・辻山さんの新刊『本とねこと青い自転車』が信陽堂より刊行されました。美しい装丁と版画(坂本千明さんによる)が印象的な、素敵な随筆集です。ぜひ。

著者:辻山良雄
辻山良雄(つじやま・よしお) 1972年兵庫県生まれ。大手書店チェーン〈リブロ〉を退社後、2016年、東京・荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店Titleを開業。書評やNHK「ラジオ深夜便」で本の紹介、ブックセレクションもおこなう。著書に『本屋、はじめました』『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』『しぶとい十人の本屋』など、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』がある。最新刊は随筆集『本とねこと青い自転車』(信陽堂)。撮影:キッチンミノル